【今月のAlert 】「女系」でも「男系」でも天皇制廃止だ! そして「皇女」制度を許すな!

 二〇二一年『朝日新聞』の第一報の一面は、コロナと元農水相の賄賂で埋め尽くされた。第二報(三日)も同様だ。新年早々、紙面全体のコロナ関連記事が占める割合は実に多い。昨年、運動現場へのコロナ感染拡大の影響は決して小さくなかったが、天皇たちが受けた影響の大きさを、改めてこの紙面から思う。まずは一般参賀中止で始まる二〇二一年に、天皇たちは継続する不運を感じたことだろう。

 一般参賀は一九四八年から続く皇室行事だが、新年一般参賀が中止されたのは今年を入れて三回のみだ。過去の二回は一九八九年昭和天皇Xデーの年とその翌年で、裕仁の重篤と死後の服喪が理由だった。天皇自身の都合を除き、何があっても続けてきた一般参賀は、五万から一〇万以上を超える天皇信奉者を前に天皇がスピーチする貴重な機会であり、その様子をテレビや新聞で我々に見せつける大きな天皇イベントなのだ。それを断念しなければならなかった天皇一族は、昨年からつづく「公務」の自粛の継続を予感させられたに違いない。

 初詣の記事とならび、一般参賀の様子や天皇の「言葉」、家族写真やベランダにずらりと並ぶ天皇夫婦と成年皇族たち、打ち振られる「日の丸」の小旗の波。今年はそういった映像や記事がない。天皇たちにとっては、一般参賀中止にとどまらず、コロナ禍に「配慮した」お祝いムードや高価で派手な装い(ティアラ)の自粛など、見せどころ激減の状況は続く。そして、「次善の策」としてのビデオメッセージ。一日のビデオメッセージは社会面に小さめの家族(天皇・皇后・愛子)写真付き記事。三日の「新年祝賀の儀」の記事はさらに小さめで写真なし。天皇報道が比較的多い『朝日』でさえ、記事はこれだけであった。それでも十分すぎるとは思うが。

 メッセージでは、「皆が互いに思いやりを持って助け合い、支え合いながら、進んで行くことを心から願っています。(中略)我が国と世界の人々の安寧と幸せ、そして平和を祈ります」と述べる。「民主的痛覚」(伊藤晃)というのをマジで感じさせる天皇のセリフで、同様の言葉は何度も聞くが、その度に呆れかえり怒りがわく。天皇の「願い」や「祈り」とは無関係に社会は動いているのだ。たとえば、寒風吹きすさぶ路上で年越しを余儀なくされている人たちを支援する人々は、天皇に示唆されて動いているわけではまったくない。しかも天皇一族は、年末年始であぶれ路上で過ごす人たちの、寒さや悲しさや無念さとは無縁のところで生きている。あるいは、医療・保健・福祉の現場だけでなく、危険と隣り合わせだったり、理不尽な条件下で働く人たち、独居老人、一人親、失職した人たち等々の過酷な現実を知る必要もない。天皇・皇族がその「血統」を根拠に、国によって丁重に保護されているからにほかならない。そんな不条理があっていいはずがないし、ましてや政府や行政の無策の代償としての「お言葉」や「公務」を担当する国家機関は百害あって一利なし、なのだ。

 一方、新聞は大きく紙面を割いて「おひとりさま」記事や養子縁組の家族物語など、婚姻や「血の論理」とは別の選択肢を肯定的に扱う記事を組んでいた。明らかに天皇制の論理とは別方向の紙面づくりで、興味深い。読者の多くはそのような記事を望んでいるということだ。

 ほんの少し遡り、昨年末に向けては眞子の結婚話と秋篠宮の親父発言、そして皇位継承問題として政府が指し示した「皇女」制度問題でメディアはそれなりに沸騰していた。眞子の「お気持ち」、眞子の結婚に対する批判、二四条を引っ張り出して結婚を認めて見せた秋篠宮への複雑な気分がにじむ肯定・否定論と多々あるが、まずは、そのさなかにでてきた「皇女」制度問題。

 この案は八年ほど前から出ていた。ただ、これが「皇位継承問題」の解決策にはなり得ず、あまり前面には出てこなかった。しかし今回、これが政府案として動き出しそうな気配だ。「男系男子」原則なのだそうだ。女系でも男系でも天皇制廃止、を当然の前提に、政府が構想する「皇女」制度に反対していこう。「血統」だけで特別優遇される「皇女」たち。天皇制という身分社会に、さらに特別な身分を作ろうというのだ。私たちは「『紀元節』と『天皇誕生日』に反対する2・11ー2・23連続行動」実行委でも新天皇制論議を始めている。ともに深めていこう。

(大子)