【今月のAlert 】新型コロナ下の天皇制の変容 2.11─28行動への参加を!

 「GoTo」やオリンピックにこだわったあげく、新型コロナの感染拡大を招いた菅政権は、人びとの生命と暮らしを守るための医療や生活への具体的な支援や補償を拡大するのではなく、一般的な感染防止の呼びかけや飲食店などへの休業要請に終始し、さらなる感染拡大を招いてきた。そればかりではない。「新型インフルエンザ等特別措置法」などの「改正」にあたって政府は「違反者」への刑事罰や公表など、「人災」ともいうべき政治の破綻を、強権的に個人に責任転嫁するかたちで取り繕おうとしている。懲役や罰金などの刑事罰は、自民党と立憲民主党の合意によって、行政罰である「過料」に変更されたが、その本質は変わることはない。罰則によって感染症に対応しようとする政策は、人権侵害を伴い、そもそも感染症の拡大防止にも逆行すると、医学界や大手マスコミをはじめ、批判の声が強まっていたが、当然だ。

 人びとの怒りは、菅政権の支持率急落につながっている。こうした状況は、社会の流動化をもたらさざるを得ない。こういう時こそ、「国民統合の象徴」たる天皇の出番となるはずだが、新型コロナウイルスは、天皇一族にとっても危険な存在だ。もちろん、ウイルス感染は、天皇も「国民」も、平等にふりかかる災厄ではない。彼らが享受している手厚い医療体制や、まったくもって密ではない居住環境などからしてもそれは明らかだろう。それでも万一のことがあっては大変なのだ。ただでさえ、天皇のスペアは少ない。

 新年の一般参賀に続き、天皇誕生日の一般参賀も中止になった。新春の「天皇一族の写真」も、核家族単位で別々に撮影されたものが発表されるほどである。明仁・美智子のような「平成流」を展開する余地はなく、新年のビデオメッセージやら、オンラインでの「行幸」を模索してはいるものの、いまひとつしょぼく、盛り上がりに欠ける。

 これらのことは、「新しい時代」の天皇制にとってのジレンマだろう。明仁自身が定義して見せたように、天皇という存在が「国民」の前に現前(プレゼンス)し続けることは、象徴天皇制存続のための肝なのだ。だから「コロナ後」、あるいは「コロナ状況下」の天皇制の再定義をめぐって、さまざまな「試み」は続けられるはずだ。

 私たちは、いま、2・11「紀元節」と、23「天皇誕生日」に対して反対する行動を準備している。神社本庁や日本会議などの右派グループは、例年二月一一日に「奉祝式典」を開き、青山通りで「奉祝パレード」をおこなってきた。ところが今年は、パレードは中止となり、式典も主催者と賛助団体の代表者のみの小規模なものにとどめるという。

 だが、もちろん私たちは、例年通り2・11には街頭に出てデモを行い、23には討論集会をもつ。新型コロナは心配だが、無理のない範囲で、自律・自衛しつつ行動に参加して下さい。

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 ここで、大事なお知らせをしなければならない。反天連は、第一一期を呼びかけることなく、この四月に正式解散する。毎月発行していたこのニュースも、通常号としては次の三月号をもって終刊となる(その後、特別号の発行を予定している)。

 反天連は、「昭和Xデー」との対決をめざして一九八四年に結成され、「Xデー」過程が一段落した一九九一年からは、三年を目処として解散・再結成を繰り返してきた。第一〇期は二〇一六年六月から始まったが、この段階で、とりあえず期間は三年とするが、次期の「Xデー」が近いことを考慮し、その際には「Xデー」過程終了まで活動を持続して区切ることを内部的に申し合わせていた。実際、あのような形で「天皇代替わり」が始まり、首都圏の仲間たちとともに、私たちも反対運動を走り抜けることになったが、昨年一一月の「立皇嗣の礼」をもって、それも一区切りついた。

 短いとはいえない関わりの中で、事務局メンバーのそれぞれが置かれている状況も変わり、これまでの活動のスタイルとは異なる運動の可能性も模索されていかなければならない。もちろん、反天連は解散しても、個々のメンバーは今後も反天皇制運動をはじめ、さまざまな運動に関わり続けていくだろう。なにより、天皇制のあり方自体、変容を続けているのだ。自分たちのできうる範囲で、新たな課題と結び直しをめざす試みを、私たちもまた続けていく。

(北野誉)