【学習会報告】遠藤興一『天皇制慈恵主義の成立』(学文社、二〇一〇年)

 皇室はいつから福祉に関わるようになったのか。赤子である国民に、国父として恵みを垂れる家族的天皇像は、いつから国家に利用されるようになったのか。本書はそうした疑問に答える数少ない研究の一つだ。

 近代国家成立にともない、西欧の立憲君主制に範をとり、王政復古の名で儒教的倫理観を国民に強いた日本帝国にとって、慈恵主義は、上は下に慈恵をもたらし、下は上に忠誠を尽くすという重要な相互的演出の一つだった。貧窮者に慈愛(charity)を施すことは、王室の高貴な義務(noblesse oblige)であり、国家がそれを制度化することは、国民の支持や恭順(pietët)を得るうえで重要なことだった。

 内廷費と、国庫を通さず、天皇家に直接納められた日清・日露戦役の莫大な賠償金は、国家や社会ではなく、篤志家天皇による地震、噴火、風水害、火災時の恩賜、下賜金となり、福祉財団や罹災救助基金として制度化された。

 光明皇后の施薬院、悲田院の前例にあやかり、日本赤十字社設立に尽力した美子(昭憲)、病気の夫を支え、救癩事業に心を寄せた節子(貞明)、福祉施設を巡啓した良子(香淳)らは、彼らの大葬時の下賜金によって、死後も模範的な「国母陛下」像を演じてきた。東京慈恵会病院の総裁は代々女性皇族が就任している。

 その仕組みは、GHQにより皇族財産が整理された戦後も続く。ヒロヒトの全国巡幸にはじまり、皇族は福祉施設利用者に温かい言葉をかけ、その庭にはお手植えの樹が並び、「仁愛」を可視化した。明治四四年に設立された恩賜財団済生会の現総裁は文仁だ。

 皇室による福祉や罹災民への寄付、慰問、ねぎらいは中々批判しづらい。しかし、その金がどこから出たもので、近代以降どのように国家とマスコミにより演出されてきたかを理解すれば、その偽善性は浮き彫りになる。そして何より、ともすれば社会的弱者に憐憫や同情の眼差しを向けてしまう、われわれ自身の内なる慈恵主義、パターナリズムに気づかせてくれる良書。

 次回は、本書にもたびたび引用された黒田久太『天皇家の財産』(三一書房、一九六六)を読む。

(黒薔薇アリザ)