【表紙コラム】

先日、福岡で開かれた「政教分離訴訟全国交流会」に参加してきた。今回で30回、すなわち、中曽根の靖国「公式参拝」への訴訟以来、毎年行われてきたもの。私は去年、東京で行われたときが初参加だったが、さすがに長年、このテーマで活動を重ねてきた人たちの集まりなので、充実した議論に、さまざまな刺激を得た。

今回とくに、2019年におこなわれるであろう「即位・大嘗祭」に関して、「政教分離訴訟」という枠組みで何ができるかに議論が集中した。前回の「代替わり」でも「即・大違憲訴訟」が、1700名もの原告を集めて闘われたが、今回ももちろん、何らかの行動を起こすことは前提。ただそこで、「大嘗祭」は明らかに政教分離違反だが、「即位の礼」は必ずしもそうではなく、「国民主権」原則違反としての色合いが強いので、政教分離違反の訴訟という点では分けて考えるべきではないかという意見が出て、いろいろと議論になった。

前回の訴訟では、「即位の礼」の儀式についても神道色の強いものがあり、それが政教分離に抵触する可能性があることが裁判所で判断されている、その意味でも機械的に分けられないという弁護士の発言もあり、実にそのとおりだと思った。憲法的には、「政教分離違反=『国民』主権原則違反」でなければならないな、と。同時に私は、そもそも天皇制自体が神道儀礼と切り離して存在することはできず、またそれは「非宗教」的な外皮をまとっていた場合にも、現実的に国家の宗教性を体現している以上、政教分離違反の存在じゃないの?という思いがし続けていた。天皇制を政教分離違反で問うことはできないものか。だいたい、天皇制の「天」ってなんだよ。

(北)