二週間ほど前、東京にいる中学時代の友人二人と会った。一人は東大の経済学部教授でもあったので私は「よりましな資本主義国家てのはあり得るのかね?」と尋ねた。「そりゃあるさ。スウエーデンなんか……」と答えたので「そうかね、武器輸出大国だけどね。」と私はつぶやいたのだった。
「強欲」やら「ポピュリズム」やら、グローバル時代の今日の資本主義諸国家は、貧富の差(格差)の拡大や、次世代へのつけ回し、民族排外主義の伸長、失業問題の未解決などの状態に立ち至っている。その中でスウエーデンは確かに「よりまし」なのかもしれない、と私も思うのだが……。
「革命をへて共産主義を実現する以外に、貧困と戦争は根本的に解決しない」という立場は、現実的・具体的な場での改良=よりましなものを実現する、ということを、軽視・無視する傾向をもった。そうはいっても労働組合運動などでは、「改良」はそれぞれの人間の「現実的生活改善」にはなるので、「革命的な指導者」といえどもそのために行動せざるをえないのだが。私自身、現実的「よりまし」追求の運動に、大きなエネルギーが結集する経験を重ねてきた。
暴走する国家・社会に抵抗する私(たち)の立場はどのようなものなのか。
「民主と人権」が大きな核であると思う。これはいくつもの大衆運動の原動力であったはずだ。けれど仲間の一部に「安倍に対立するアキヒト・ミチコへの期待」が存在するという。これはたぶん「民主」についての内面も含めた各人の思想・覚悟にかかわることなのだろう。
ならば私たちは、「君主制のないよりましな民主主義を求める」ようアピールし続けるしかないのだと、思う。
(髙橋寿臣)