【表紙コラム】

一九八七年、沖縄国体でソフト・ボール会場の「日の丸」を焼き捨てて、その強制に抗議した知花昌一。その行為から三〇年を経た今年の四月二九日、私たちは彼の話を聞く集まりを持った。

私は、この集会の準備のプロセスで大阪へ出かける機会があった(それの直接の目的は高浜原発再稼働反対のための関電包囲行動への参加であったが)。かつて関西で知花裁判を支えた友人をまじえて、ワイワイやった。私が沖縄に何度も足をはこぶようになったのは、東京での知花裁判支援がきっかけであった。裁判活動の思い出話ははずんだ。

実は沖縄「国体」の後は、再スタート二巡目の「京都国体」があり、「沖縄日の丸」抗議をステップに広がりだした、反国体行動が「京都」で全国化し、各地から京都へ支援が集まり、反天皇制運動の合宿が国体行動にあわせて持たれた。そこから〈反昭和天皇Xデー〉闘争の全国的な連絡体制がうみだされ、自分たちが予想もできなかった反昭和天皇Xデー闘争の持続的なもりあがりがつくりだされていったのだ。こういうかつての過程が、話の中で思いだされた。

四・二九集会でも知花の現在まで持続している力強い闘いの報告を受けての、主催者サイドの私の発言でも、この点については少しふれたが、そこでキチンといえなかった事を書いておきたい。

私たちの三十年以前の「昭和Xデー」の運動は、天皇国体という違憲の天皇「公務」への闘いの持続(それは「国体」だけではなく「植樹祭」や「皇室外交」もそうである)の蓄積の中からつくり出された広がりであったのだ。私たちは非政治的象徴天皇にもどれなどという運動をしてきたわけではない。象徴天皇の合憲的「国事行為」そのものの政治性をも問題にしつつ、違憲の「公務」の拡大(政治権能の強化= 実質的「元首化」)を運動的に批判し続けてきたのだ。だとすれば、「生前退位」メッセージによる天皇の違憲の「公務」の積極的拡大=実質的元首化(安倍改憲の先取り)への抵抗の大衆化は、自分たちの持続してきた歴史的な象徴天皇制批判の運動の体験と理論の成果をキチンとふまえるべきだ。

ヒロヒト天皇Xデーもアキヒト天皇Xデーも私たちにとっては連続しているはずである。
(天野恵一)