【書評】『歴史は墨でぬりつぶせない:アジアの歴史と女性の人権』『〈平和の少女像〉はなぜ座り続けるのか』

二〇一五年一二月二八日、日韓外相会談が突然に発表され、日本政府と韓国政府により、「慰安婦」問題が「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」したとされた。

この政府間「合意」が、国家の犯罪に対する責任を明らかにして当事者への謝罪を行なうものではないことは、当初から明白だった。そもそも安倍らは、一貫して日本が侵略戦争をしたという事実も、性奴隷制の事実も、これに関する国家の責任も否定してきた。不十分ながらではあれ、これらへの国家関与の責任を認める方向を打ち出した河野談話や村山談話などすら否定し、「自虐史観」であると宣伝して唾を吐きかけてきたのは、日本会議をはじめとする、政界・財界・宗教や学界などのグループであり、九〇年代後半以降、安倍らはこうした勢力の代表としてふるまってきたのだ。

そしてもちろんこの政府間「合意」の後にも、安倍は国会などの場における公式の謝罪を拒み、安倍の思想を汲む議員やその周辺からは「慰安婦は職業的売春婦だ」などとして、彼女らを侮辱し「合意」が空文であることを示した。形式的に国家間の共同的な確認であるからといって「合意」なるものが重い意味を持つはずもない。また、これがそもそも米国の東アジア戦略に基づいた日韓政治の「調整」でしかなかったこともはじめから自明だった。「合意」は、むしろ「最終的かつ不可逆的に解決」したという国際的な虚偽のための「免罪符」としてこそ機能したのだ。これに対しては、国連女性差別撤廃委員会などの人権機関からも強い批判がなされている。

中原道子の「歴史は墨でぬりつぶせない:アジアの歴史と女性の人権」は、「河野談話」以降に、これを単なる政治家の認識の表明にとどまらせず、実質のあるものとさせるべく積み上げられてきた、主として民間の各団体や歴史家らによる事実の確定作業や、司法や行政に対する働きかけの努力と成果などを具体的に示している。さらに、こうした日韓における共同的な作業に対し、安倍や橋下らのような極右政治家がどのような対応をしてきたかについても、年表により時系列で振り返っている。この本は、決して大部のものではないが、「戦後七〇年」を機に、さらに進められようとした歴史修正主義に対抗する重要な橋頭保となったものでもある。

朴槿恵の失脚により、さきに触れたような日韓政府間「合意」も、その「効力」を喪失していくだろう。したがって、私たちは、この問題を本来あるべき位置に置きなおし、被害の当事者の声に寄り添う立場から考えていかなければならない。この本は、戦争犯罪がどれほど深く人間を傷つけるものであるのか、それを糺していくための作業がどれほど困難であり、また、だからこそ価値のあるものであるかということを示しており、今だからこそ、あらためて読まれるべきものだ。

韓国の芸術家キム・ソギョン、キム・ウンソンによる〈平和の少女像〉は、韓国で一九九二年からずっと続いてきた「水曜デモ」の一〇〇〇回を記念して、二〇一一年にソウル日本大使館前に建立されたことにより、その闘いのシンボルとして大きい意味を持つことになった。いま右派にとって「日韓合意」とは、この少女像を撤去させる「合意」であるとまで認識されているとも言えよう。

しかし、こうしたモニュメントが重要な「意味」を持ってきたのはなぜか。それは何よりも、日韓の政府、とりわけ日本政府が、軍隊の犯罪を隠蔽し、被害者の声を圧殺し侮蔑を浴びせ続けてきたことによるものだ。彼らは、時とともに被害者がすべてこの世を去り、告発の声が発せられなくなることのみを望んできた。
だから、いつまでもそこにあり続ける〈平和の少女像〉が、黙しながらなお問うている歴史事実に怯え、敵視するのだ。

「Fight for Justice 」のスタッフによって制作されたこの本は、国際的に設置が広がる「少女像」の意味ばかりでなく、各国に存在する「戦争記念碑」のもたらす役割をも厳しく指弾するものでもある。そして、少女像に対するさまざまな「批判」にも、反植民地主義、民族主義、女性差別など、いくつもの問題意識から反批判がなされている。〈平和の少女像〉のもたらすものが、すでに「シンボル」を超えたものとなっていることを、この本は強く感じさせてくれる。

●中原道子『歴史は墨でぬりつぶせない:アジアの歴史と女性の人権』(発行:スペース伽耶/発売:星雲社/定価: 本体1200円)
●日本軍「慰安婦」問題Web サイト制作委員会・編 岡本有佳・金富子責任編集『増補改訂版〈平和の少女像〉はなぜ座り続けるのか』(発売: 世織書房定価: 本体1000円)
http://fightforjustice.info

(蝙蝠)