戦後の象徴天皇制の問題を憲法との関係から新書一冊にまとめた本で、学習会テキストやレジュメの元ネタとして活用していた人が今回続出したが確かによくまとまっている。刊行は九〇年、前回代替わりの真っ只中なのでこの本であつかわれているのはヒロヒトの象徴天皇制だが、基本的な問題は当然出そろっている。
三章「天皇の権威強化を支えるもの」が最もページ数も多く、中心と言っていいと思われる。日の丸・君が代、元号、各種公的行為、天皇には裁判権が及ばないと述べる裁判所、と具体的に列挙されている。また五章「象徴天皇制と人権」は天皇制がいかに人権を侵害しているかについて、具体的な運動への弾圧をもとに述べている。一般の読者なら天皇制の持つ抑圧的で暴力的な側面を初めて知り、驚くかもしれない。
しかしそれらよりも僕が気になり、今回議論にもなったのは別のことである。例えば四章「代替わり儀式と象徴天皇制」は代替わり儀式について具体的に実態を見て「憲法的評価」を下す章である。個別に儀式が検討されほぼすべてに「違憲の疑いが濃い」と判断されている。もちろんそうした丁寧な検討は必要である。
同時代に進行中なら尚更にそうだ。だが、あの時憲法学者だけでなくマスコミさえ違憲の疑いが強いと言う中、儀式は行われ続けた。憲法制度として天皇制を論じるに際し「条文をこう解釈するべきである」と憲法学者たちが判断し学会の多数派となっても、現実の政治の中では学者たちが支持しない解釈こそが行われている。実態と解釈がここまで乖離している中、現実には反映されない解釈の正しさを述べながら、憲法学者はどのような思いを抱いているのだろうか? 誠実な憲法学者の限界を本書に見てしまうのは僕だけだろうか。
次回は三月二一日(火)。 テキストはインパクション臨時増刊『天皇Xデー狀況を撃ち返せ!』。
(加藤匡通)