今回のテキストは、ヒロヒト「Xデー」状況の中で書かれた諸論文、八〇年代国際化や情報化が進む中で天皇制がせり出す中、反天連の天野さんが交わしてきた対論集、そして「Xデー」状況で出された各種団体の声明文等の三部構成となっている。
すでに八〇年代の反天皇制運動では、非政治性や非宗教性を建前としながら政治力を貫徹している象徴天皇制への分析視角が、アキヒト天皇制へのそれとしても有効なものとして、かなり出そろっていることが読みとれる。もちろん、ヒロヒト時代の批判だから、その後のアキヒト天皇制の展開は予想を超えたものとして限界はあるものの、それはやむをえまい。決してヒロヒトでは成しえなかった「天皇制の最高形態」が、アキヒト天皇制で追求され、完成されてきたということでもあるだろう。
学習会では、当時の分析から「Xデー」後の展開も踏まえ、今の状況をどのように捉えるか、論者に改めて聞きたいという意見が出された。
対論では、天野さんは天皇制の政治力を正面に据えて問題を立ててきた経緯を、対論者は日常の中における天皇制との関わりを契機とした関心へのこだわりを語るのだが、議論の中で両者の認識が共有されていく様子がわかり、興味深かった。また、対論だからこそ、「Xデー」状況の「自粛」がマスコミ報道の過熱の下で勢いよく拡大し、直接的な右翼の暴力がなくとも身近な関係の人々が「自粛」へと呑み込まれていく当時の社会の雰囲気がよりつかめるものとなっている。一方で、全国各地で噴出する「自粛」ムードへの疑問や批判は、それまでの象徴天皇制に反対する具体的な論理と運動があったからこそ、より一層の拡がりと高揚をつくり出せたのは間違いない。いずれにせよ、アキヒトは父の「Xデー」から、多くのことを学んだことは確かだ。私たちは、ヒロヒト「Xデー」に対する闘いの中から、何を学び、準備していくのか。議論していきたい。
次回のテキストは、最高裁長官を務めた国際法学者、横田喜三郎の『天皇制』。四月二五日七時から。
(川合浩二)