【学習会報告】古川隆久『皇紀・万博・オリンピック:皇室ブランドと経済発展』(中公新書、一九九八年)

紀元二千六百年に向けて、万博やオリンピックといった国家規模のイベントがどのように発案され、実現出来ずに終わったのかを歴史学者が述べた本である。著者は、二千六百年はお題目に過ぎず、イベントを通して経済発展を目指すのか国民統合を目指すのかが対立する論点であり、国民は前者を、政府は後者を志向し、いわば同床異夢だった。戦前は暗い時代ではなく大量消費社会であってファシズムに塗り込められていたのではない、とする。

この主張が実証的に述べられているのならまだいい。語り口に芸があればそれなりに読めもしよう。しかし著者は事実を人脈に基づいて並べ立てるだけで論証らしいものもなく、記述も平坦、正直読み通すのが辛かった。それは僕一人ではなかったようで、僕の報告が終わるなりみんな口々にいかに読みづらい本だったかを語りだし、報告者に同情まで寄せられる始末。こんな本も珍しい。

今回の本はそもそも前回のケネス・ルオフの『紀元二千六百年』で先行研究に上げられていたところから拡大学習会でも取り上げられた。内容的にも重なる部分が多々あり、読んでいれば自然と比べてしまうのだが、読んでいて引き込まれるのも論証に同意や反論したくなるのも圧倒的に『紀元二千六百年』である。ケネス・ルオフは、日本人は忘れたつもりだろうが戦前、ファシズム下の消費社会を充分に楽しんでいた、との告発が根底にあった。古川隆久は、戦前の日本は経済的発展を遂げた社会で人々は消費を楽しみつつ、ファシズム下のイベントに、あくまでも動員として参加していた、と語る。そこに当時の状況への批判はない。
皇室ブランドと言う言葉は頻出するが天皇制と言う言葉は出て来ないところにも著者の姿勢は表れている。

著者はこの本以降、天皇関係の本をいくつか出しているが、出来れば読まずに済ませたいところである。(次回テキストはT・フジタニ『天皇のページェント』)。

(加藤匡通)