【今月のAlert 】「有識者会議」の討論を検証し、批判の声をあげよう!

八月八日の天皇の「生前退位」の意向を表明するビデオメッセージを受け「有識者会議」が設置された。正式には「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」。その初会合が一〇月一七日に、そして二七日に第二回会合が開かれた。繰り返しになるが、この「有識者会議」が天皇自身のビデオメッセージを受けて設置されたことは自明であり、それによって退位の制度化に向けて政治が動きだしたということを否定する者はいないだろう。これは明らかに、憲法四条に反して天皇が「国政に関する権能を有し」たことであり、違憲行為である。

だから、その指摘を回避するために、二ヶ月以上経過しての初会合の日程が設定され、名称に「生前退位」の語句を挿入しないという配慮がなされたという。聴取項目が八つ設けられ、天皇の役割、天皇の国事行為や公務のあり方、負担軽減の方法、摂政を置く是非、国事行為を委任することの是非を検討した上で、後半に、天皇の退位の是非の議論を持ってくるという順番にも考慮がされたという。

座長の今井敬経団連名誉会長は記者会見で、「天皇のご発言とは切り離して考えていく」と強調し、「生前退位」についても「まったく予断なく議論する」と発言している。明らかな天皇の違憲行為が言及されることなく、「配慮」されるものへと変質している。

有識者会議が年末までに専門家からヒアリングを行い、来年初めに「論点」を公表し、来春には「提言」を取りまとめ、それを受け政府が関連法案を提出。そして一八年一月の天皇即位三〇年に向かうという流れを政府は目指しているらしい。オリンピックまでに新天皇即位の流れが着々と準備されている。

そして、この有識者会議の議論は非公開でなされ、議事録は発言者の名前を伏せ概要のみが公開されるという。
その理由は「静かな環境で、率直に自由な意見交換をするため」ということらしいが、議論は公開されるべきであるし、議事録はすべて記録されるべきだということは大前提として、ちょっと深読みしたくなるフレーズである。発言によっては右翼の大音量の街宣車が押し掛けたり、発言した内容によっては、身の危険を感じる事態になる危惧が想定されているのかしらと。

まあ、意見聴取者一六人のメンバーの名前をみる限り、そんな心配は無用で天皇制ありきが大前提の議論で終始することは明らかだが。

そもそも天皇制は権威秩序と治安維持法等による補強政策によって、支えられてきたという歴史がある。天皇に対する敬慕といわれているものは、市井の人々から自然発生的に表れたとはいいきれないだろう。「神聖ニシテ侵スヘカラス」という帝国憲法の規定によって、弾圧に伴う暴力によって強要され、批判を許さない体制の中で維持されてきた。天皇制批判は常に身の、いや命の危険を伴う暴力と隣あわせにあった。敗戦後、国民主権によって天皇は象徴になったが、マスコミ報道の過剰な敬語使い一つを例にとっても、相変わらず「神聖ニシテ〜」の精神が醸成され続けている。

非公開について政治学者の白井聡は東京新聞で、天皇の「お言葉」とのくい違いを指摘する以下のコメントをしている。「天皇のメッセージの本質は国民の皆さんに考えてくださいということ。自分がこうしたいということではなく、より広く、天皇とは何か、国民統合の象徴とは何かを議論してほしいという趣旨だった。会議の密室性は『お言葉』と逆行する─。」と。

密室性の問題が主権者側の知る権利の不利益ではなく、天皇の意向に沿わないからよろしくないというものだ。憲法に規定されている国民主権の原則を問われる発言といえる。民主主義と天皇制の矛盾を問うどころか、天皇制が憲法に規定された制度であるという原則さえもなく、あまりにもやすやすと天皇発言に乗っかっている。護憲派天皇対極右安倍政権という図式は、結局、天皇制国家というナショナリズムに取り込まれるという危惧が、今回の天皇メッセージを巡る状況で露呈し確認されたような言論で溢れている。

憲法で謳われている人民主権の原理が、運動側においてさえ崩壊しつつあるように思う。この危機的状況下、私たちは天皇のビデオメッセージの語句を丁寧に検証し、批判の声を具体的にあげていく。恒例の12・23の集会を楽しみに!

(鰐沢桃子)