天皇重体報道から、天皇Xデー(代替り)政治状況はスタートする。昭和天皇のパターンの強烈な体験から、私たちは、なんとなくそう思いこんでいた。しかし、それは今回、重体などではない天皇自身の「意向」をテコに始まるという、まったく予想もしないスタイルでやってきた。この突発的状況の中で、今、何が起きているのかを正確かつ批判的に認識するために、ストレートに役に立つ本を読みなおそう、そういう位置づけで、『象徴天皇制の構造─憲法学者による解読』(日本評論社・一九九〇年)が、今回のテキストとされた。
横田耕一と江橋崇の二人の編者は、「あとがき」で、こう書いている。
「本書の企画は、昭和天皇の『ご容体』が悪化した一九八八年の秋に始まる。世は恐ろしいほどの『自粛』フィーバーに襲われて、一部の人が抵抗しているものの、抗議の声は小さかった。天皇制を思想的、文化的、歴史的に批判し、糾弾する試みの出版物はいくつかあった。だが、天皇制の法制度論となると、まるで発表されないし、また、その見込みもないというのが当時の状況であった。/これでよいのだろうか。象徴天皇制は、日本国憲法の原則をなす国民主権原理などにどのように拘束されているのか。そもそも象徴天皇制を成り立たしめている法制度はどのようなものなのか。天皇制についての思想は各人によって異なるとしても、誰もが共通して理解しておくべき問題点はどこにあるのか。天皇制に関して戦後の憲法学が積み上げてきたものは何か。これらの点は、まさに緊急に解明されて、代替りという大きな節目で活用されなければならない……」。
この昭和の「代替り」状況で九人の法学者によってまとめられたテキストは「国民主権原理」による象徴天皇制の強い〈拘束〉の原則をキチンと再解読する法制度論であり、「象徴行為論」「公的行為論」そのものへの批判がシャープに展開されている。
天皇・政府・マスコミが一体化して、戦後の憲法学が積み上げてきたものを、まるごと破壊しつくしている、今の状況に対して、「ブルジョワ憲法(象徴天皇憲法)ナンセンス!」という不毛な超越的立場からではない、どういう天皇制批判の声(具体的論理)を私たちが運動的に対置すべきなのか。この切実な大問題を共に考える素材としては、すこぶる有益なテキストであった。次回は、九月二〇日、岩波新書の『昭和の終焉』。
(天野恵一)