【今月のAlert】天皇「代替わり」・「明治150年」を撃つ反天皇制運動の拡大をめざして

今年に入って、天皇「代替わり」に関する準備が着実に進んでいる。

一月九日の閣議で設置が決まった「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」(委員長= 菅官房長官)は、その日のうちに初会合を開き、三月中旬をめどに基本方針を取りまとめることを決めた。式典準備委員会では、「平成の即位の儀式を基本的に踏襲すべきだ」という意見のもとで、即位儀式のうち、「剣璽(けんじ)等承継の儀」「即位後朝見の儀」「即位礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」「饗宴の儀」の五つを国事行為とし、「大嘗祭」については国事行為とはしないが、公費支出をするという方針が示された。

「剣璽等承継の儀」は「三種の神器」などの引き継ぎ儀式であり、「即位後朝見の儀」は、即位後初めて天皇として「国民代表」に「おことば」を述べる儀式である。
純然たる皇室神道の儀式である大嘗祭も含めて、憲法の「政教分離」「国民主権」原則に対する重大な侵害であることは疑いない。

さらに政府は、皇太子・徳仁が即位する来年五月一日を「この年限りの祝日とする」方向で検討に入ったという。「昭和の日」にはじまる「一〇連休」があけたときには、「新しい御代」という祝賀ムードの演出ではないのか。五月一日のメーデーも天皇の記念日となってしまうのだ。

政府は、退位の儀式を四月三〇日、即位の儀式を五月一日に分けておこなう方針である。天皇が自らの意思で皇位を譲る「譲位」の色彩を帯び、天皇の国政関与を禁じた憲法に触れることがないようにするため、と説明されている。

これ自体が欺瞞的なものだが、伝統主義的右派は、それでは天皇の「空位」が生じると批判している。神社新報社が設立した「時の流れ研究会」は一月二四日に「御譲位の儀と御即位(践祚)の儀は、同日・同じ場所で引き続き行はれ、『剣璽』が承継されることを望む」「皇位継承の儀式は、憲法にも定められる皇位の重みから、国の重儀(天皇の国事行為、国の儀式)として執行されることを望む」などとする要望書を出した。彼らにとって、「三種の神器」は皇位の象徴であるので、その「引き継ぎ」なき「譲位」などありえないのだ。

こうしたくだらない議論がまじめになされること自体に、天皇制という国家の装置の核として、実は明確に「国家神道」が存在し続けていることが示されている。
それは単なる「神道儀式」であるから政教分離に違反するといった話ではないのだ。
これら「代替わり」儀式を通じて、国家の祭祀としての国家神道が現前するのである。それが日本の「文化と伝統」という言いぐさで肯定されることも、神社非宗教論を掲げた国家神道と同じである。

そして、この「代替わり」儀式の準備と並行して、各省庁の連絡調整機関である「明治一五〇年」関連施策各府省庁連絡会議のもとで、「明治一五〇年」の祝賀事業が進められている(昨年末現在で、国主催のものが一五二件、地方公共団体レベルのものが二〇〇八件)。現時点では、開催も含めて確定してはいないが、メインの儀式として、当然、秋には政府主催の記念式典が想定されているはずである。

明治一五〇年の施策に関する政府の文書は、「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ向けて」と称して、「明治期に生きた人びとのよりどころとなった精神を捉えることにより、日本の技術や文化といった強みを再認識し、現代に活かすことで、日本の更なる発展を目指す基礎とする」と述べている。

政府広報で「明治ノベーション〜メイジン」なるキャラクター(?)が登場しているように、それは安倍や財界が求める流行の価値観を日本近代の出発点に投影した、「ニッポンスゴイ」論である。「一五〇年」を、今に続く一連の発展を遂げた近代化の歴史ととらえ、それをもたらした精神文化の称揚とともに、まるごと賛美・肯定しようとするものだ。

しかし、現実の明治= 近代日本の一五〇年とは、すなわち天皇制国家の一五〇年である。前半はアジア侵略・植民地支配と戦争に彩られ、また、後半は象徴天皇制のもとで侵略戦争と植民地支配から目を背けてきた歴史だ。「一五〇年」はそのように無条件に賛美されるような歴史では決してないのだ。

私たちは、この「明治一五〇年」が、明仁天皇「代替わり」の前哨戦として行われるイベントであるととらえ、近代天皇制の歴史総体を批判していくという立場から、今年一年間の反天皇制闘争を開始していきたい。2・11 反「紀元節」行動はその第一歩である。ぜひ多くの参加を。

そしてまた、昨年「終わりにしよう天皇制!11 ・26 集会・デモ」に取り組んだ首都圏の反天皇制運動の枠で、この二月から「元号はいらない署名運動」を呼びかけることになった。次号では、具体的な報告もできると思う。ぜひ、協力して、反天皇制の声を大きくあげていこう。

(北野誉)