【集会報告】8・15実前段集会 「聖断」のウソ─天皇制の戦争責任を撃つ

「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8・15反「靖国」行動は、今年も、七月三〇日の前段討論集会と八月一五日の当日行動の組み合わせとして進められている。

始まったばかりの、天皇自身によって領導される「天皇制の代替わり」過程のなかにあって、そして同時に、安倍政権の推し進める「改憲」過程のなかにあって、日本国家の植民地支配、戦争・戦後責任を、歴史として問い直しながら、現在の私たちを含む社会全体にとっての課題として打ち出していくことは、より重要な意味を持っている。

今回は、講師として、いつも私たちの行動に参加し伴走してくれている千本秀樹さん(日本近現代史研究)に、「『聖断』のウソ─天皇制の戦争責任を問う」と題した問題提起をしていただいた。

昭和天皇裕仁の終焉が近づいた時期になって、「昭和天皇は平和主義者であった」という捏造がメディアに広く流通し始めた。それまで主体的・能動的に政治と戦争を指導してきた裕仁は、悲惨なアジア太平洋戦争における日本の敗戦が蔽いようもなく明らかな最終期になって、その側近たちとともに、天皇制を戦後に生きのびさせるための大掛かりな工作を開始した。それは、連合国なかでもアメリカの戦後構想に、天皇制国家日本をビルトインさせるものだった。その中で、戦争責任はBC級戦犯、A級戦犯に案分され、天皇の「聖断」により戦争が終結し「一億総懺悔」するという虚構が成立させられた。国家の犯罪を明らかにする多くの事実や資料は隠滅された。戦争責任を一つひとつ具体的に問うことが、戦後における民主主義の出発点になるはずだが、それらの多くは現在に至るまで未決のままだ。

千本さんは、講演の中で、天皇と軍をめぐる歴史事実を細かく俎上にしながら、それがどのように神話化され、書物や映画などにおいて流通しているかを話されていった。こうした事実を踏まえて考えることは、いままさに明仁らが進めている天皇制国家の改造を、思想的、政治的につきつめて捉えていくことにおいて、最重要のことだ。「平和」を僭称しながら進められる戦争体制と、今後もよりいっそう闘っていかねばならない。

集会は文京区民センターで開催、参加者は四十数名だった。

(蝙蝠=反天連)