【書評】ピープルズ・プラン研究所パンフレット 連続講座記録『象徴天皇制国家の70年』

本紙ではおなじみの伊藤晃さんと、反天連の天野恵一を講演者として立てて、ちょうど一年ほど前の昨年七月二五日におこなわれた講座の記録がパンフレットになった。といっても、反天連のパンフではない。天野恵一が運営委員を務めるピープルズ・プラン研究所で、昨年から今年にかけておこなわれた連続講座の第2回「象徴天皇制国家70年」の講演記録である。

「象徴天皇制国家の七〇年」とは、敗戦・占領以来持続している〈象徴天皇制デモクラシー〉にほかならない。このパンフレットは、まず伊藤が「戦後天皇制は何を象徴してきたのか─安倍政権と明仁天皇」として、こうした構造について論じている。

憲法に位置づけられた制度としての象徴天皇制のもとで、ヒロヒトとアキヒトが「天皇による国民一体」を積極的に作り出す天皇として行動してきたこと、しかしそれが現在の時点で「天皇と国民の関係のなかの綻びの可能性」をみせていること、現在の安倍がすすめる政治は、「戦後的国民一体」を乗り越える志向性をも示しており、天皇自身そのことに不安を抱いているのかもしれないが、その場合の天皇の言動は結局のところ、「安倍の刺激的な政策を国民の心の中で中和させるように働く」だろうと伊藤はいう。

これに比べると、天野恵一の「象徴天皇制と『八月革命』─象徴天皇制デモクラシー・占領デモクラシーという問題」のほうは、そのタイトルにふさわしく、占領と象徴天皇制の成立という起源にさかのぼり、そこでつくられたロジックが、天皇制の戦争責任を隠ぺいし、「無責任のシステム」を構造化していったことを明らかにしたものである。いままさに私たちが8・15の行動として準備しているところの、戦争終結をめぐる「原爆神話」と「聖断神話」の背中合わせの関係についての指摘、宮沢俊義の「空中の論理」めいた議論から、それに対する違和の表明ともいえる大熊信行の「虚妄の戦後」論と、それを批判した丸山真男の議論のうちに、丸山自身の被爆体験をふまえた議論のやり取りがなされていれば……と仮定してみせるところなど、実に興味深い論点もあった。

この講座がおこなわれたのは、まさに安倍の戦争法案強行に対して、反対運動が広がりつつあった時期だった。いまそれを読みなおして見てあらためて思うのは、ここで指摘されている、戦後憲法秩序=戦後民主主義に関わる問題である。いうまでもなく、伊藤も天野も、それらを乱暴にまるごと否定したり肯定したりする立場にはない。もちろん、欽定憲法の改正手続きというかたちをとった憲法の成立過程は問題である。伊藤は、それを「日米合作による民衆の憲法創設行為の封じ込めの過程でもある」とし、憲法第一条が「国民が……全体としてまとまりを作る時には、自分たちが社会的共同の形を自主的につくり出すのではなく、国民という形を取ってしか自分たちを表現できないというあり方を選んだということ」すなわち、国民というまとまりを天皇によって象徴されるという「天皇による国民一体」こそが、戦後日本の「国体」であったと指摘する。だが、これは、伊藤がその著書『「国民の天皇」論の系譜』(社会評論社)などで強調する、民主主義あるいは共和主義の積極的な可能性を議論する際に、その前提として確認されるべきことの指摘だろう。天野はさらに、「戦後の人権をめぐる闘いあるいは平和をめぐる闘い。戦後憲法の宮沢的リベラリズムが積極的に押し出したプラスの部分、そのこととの関連の中で、民衆運動自体が蓄積していた力量。これに依拠する以外には、僕たちには積極的遺産はほとんどない。だからこそそれが象徴天皇制に組み込まれてあったという問題。このシステムをいかに分解させながら蓄積されてきた『平和と民主主義』エネルギーを解放しつかみなおしていくか」と課題を提起している。これは昨年の国会前において、あるいは今も毎日のように問われている問いにほかならない。

このパンフは、ほかに伊藤と天野の、関連論文(反天連ニュースほか運動メディアに掲載されたもの)も収録されている。天野も言うように、「戦後レジーム」は間違いなく「象徴天皇制レジーム」であった。われわれはこれを安倍とは異なる方向でどう超え、脱却していくのか。そのことを考える上でも手ごろなパンフレットである。

(ピープルズ・プラン研究所パンフレットvol.3/二〇一六年六月発行/四〇〇円)

(北野誉)