とうとう、Ⅹ期をスタートさせる時間に入ってしまった。平成天皇制のXデー状況とXデーと闘う。これがこの期の軸である。「反天連」は昭和天皇Xデー及びXデー状況に抗するという運動課題をかかげて結成された運動体である。30年以上の運動の持続があり、まさか天皇Xデー闘争を、もう一回体験するなどということはまったくの想定外であった(特にこんな病体のままで)。
この間、私たちの「読書会」のテキストに、私の『マスコミじかけの天皇制』(1990年・インパクト出版会)が使われた。それは新聞・週刊誌・TV・雑誌に洪水のごとくあふれた「皇室情報」の中を私自身が独力で泳ぎきった記録である。読みなおして気がついた。
私たちは「代替わり」のスタートの時点で、平成天皇制(アキヒトーミチコ天皇制)は、ずいぶん遅れてやってきた象徴天皇制の、かなりスマートな(平和憲法にマッチしたという意味での)完成形態であることに、それなりに自覚的であった。
いいかえれば、今、天皇主義右翼安倍政権に抗する様々なテーマの政治的社会運動の中に、アベの暴走に不快感を表明しているアキヒト天皇一族の「護憲=平和発言」への期待を口にする人が少なくないという、とんでもなく倒錯した事態がうまれる必然性。これを、いち早く予感しながら、反天皇制運動を持続してきたのである。〈護憲・平和イデオロギー〉こそが象徴天皇制のナショナリズム(国民的一体感づくり)の中心軸なのだ。「即位」の時点の「護憲」発言に、期待をにじませた、戦後民主主義派知識人の登場と、それとの論戦。この記録に、その点は象徴されていよう。そう、私たちは〈象徴天皇制デモクラシー〉の内在的批判を課題として突きだし、個人の自己決定権を奪還する相互主体的な活動としての〈民主主義〉を〈象徴天皇制デモクラシー〉に対置して闘い続けてきたのだ。そして、戦後憲法との関係でいえば、国家(天皇)のごとく戦争(軍隊)を前提にする「平和」などではなく、9条の理念通りの〈絶対平和主義〉理念の積極性を、この点はまともな9条護憲派より、ずいぶん遅れて発見し、右翼の公然たる暴力の日常化の中で〈非暴力直接行動〉をしゃにむにつみあげてきたのである。中心にかかげ続けた政治テーマは〈天皇制の植民地支配・戦争責任・戦後責任を問い続ける〉であった。この長い長い自分たちの象徴天皇制批判の、〈運動体験〉を、次のXデー状況に抗する運動の中で、あらためてはじめてXデーを経験する世代とともに、どう〈思想化=運動化〉するか。これに自覚的であり続けたい。
(天野恵一)