5月3日、原宿で行われた「明治公園オリンピック追い出しを許さない 明治公園国賠まるわかり集会」に参加した。主催は、同国賠訴訟原告団。2020東京オリンピックのメインスタジアムとされる新国立競技場の建て替えに伴って、都立明治公園が廃止され、そこに長く暮らしてきた野宿者が、2年前の4月に強制執行がかけられて追い出された。これに対して、当事者である元住人や支援団体が原告となって、JSC(日本スポーツ振興センター)、東京都、国を相手どってこの3月に提訴。いわば、その訴訟団のキックオフ集会である。
JSCが明治公園の住人を「債務者」として、「占有地からの退去」を求めた仮処分を裁判所に申請し、いつ強制執行が行われるかわからないという時期に、そのJSCの門前で(!)住人と支援者がおこなった記者会見について、私も本欄に書いたことがある。ひどいことばかりだ。これまでの当事者との話し合いを一方的に破棄し、さまざまな脱法行為やでっち上げ逮捕までして、住人の生存権を踏みにじった行政とJSC、そして都民の公共の財産である都立公園を、オリンピックを奇貨として、大手ゼネコンや政財界の利権のために売り飛ばす東京都や国(詳しくは『反天皇制運動カーニバル』36号の渥美昌純論文など)、そして、そうした問題を隠蔽し、「異論」を封じ込めるナショナル・イベントとしてのオリンピック。こういったことをあらためて今回の集会で聞き、当事者の発言や強制排除の映像を見聞きしながら、頭の中ではずっと「野蛮な資本主義」という言葉が響いていた。
集会で最も印象的だったのは、映像で写しだされた、かつての明治公園の、今は失われてしまった緑豊かな「四季の庭」の姿を見て、そこに暮らしていた元住人が「なつかしい」とつぶやいたこと。奪われた風景、奪われた暮らし。資本のための「開発」が、人にとってかけがえのないものを壊していく。その、国と資本があげる勝利の凱歌こそがオリンピックなのだと。
(北)