これまでも意識的に情報を得ようとしていたのだが、四月二七日の南北首脳会談は、しかし閉ざされた列島に住まう者にとっては、やはり驚かされるものだった。メディアに流された映像、その演出の一つひとつの周到さはもちろん、断片的に伝えられてきた事実に、みるみるうちに繋がりを与える構想力は圧倒的なものだった。「板門店宣言」はまだ弱い内容にあるし、両国が戦争状態にあることが利益になる勢力は、内外になお数多く困難は大きい。とはいえ、引き続く米朝首脳会談や、南北米中の交渉による平和協定の枠組みの設定などがあり、そうした要因を織り込みながら今後の日程が組み立てられていることも、期待されうるものを示すと感じる。
「最大限の圧力」「断交」をがなり立て、直前には「新たな核実験の兆候」などとデマを流して否定され、関連諸国間で長足に進捗する外交の状況すらも何一つ把握していないトンマな姿をさらけ出した安倍政権担当者と官僚たち、またバラエティ番組の「有識者」などは、砂の上でひっくり返った虫のように、いまなお手足をバタバタさせ醜態をさらしているのだろう。しかし、私たちはこれを「蚊帳の外」と嘲笑っているわけにはいかない。いまこそ歴史的な責任を明らかにさせて、私たちのなすべきことをしていかなければならないのだ。
私たちはかつて、二〇〇二年一〇月十一日付けで「『日朝会談』以後の状況への『緊急声明』」を発表した(反天皇制運動PUNCH24号)。訪朝した小泉首相に対し、金正日委員長(いずれも当時)が「日本人拉致」の事実を認め、同時に「日朝ピョンヤン宣言」が発表されたときのことである。「日朝ピョンヤン宣言」における、「国交正常化交渉の再開」、「国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないこと」の確認、「北東アジア地域の平和と安定」に向けた協力、等々の積極的な意味を評価しながらも、それが前年の「九・一一」後のブッシュらによる報復戦争状況下において無効化されることを危惧し、「拉致問題」をきっかけにした在日朝鮮・韓国人たちへの脅迫・暴行や差別の拡大を批判する立場を明らかにした。同時に、「ピョンヤン宣言」において日本国家が「過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」ことを前提にするなら、なすべきことは、国家賠償「経済協力」はもとより、被害者のそれぞれに対する謝罪と個人補償であり、それこそが求められていることを主張した。
私たちは、日本国家と天皇制の植民地責任・戦争責任が、歴史的になし崩しにされて明らかにされず果されていないということを、反天皇制運動の活動の中で、一貫して主張してきた。その立場から、「ピョンヤン宣言」前々年になされた日本軍性奴隷制についての「女性国際戦犯法廷」への協力を行ない、右翼暴力団による妨害にも力及ばずながら身を張って抗してきた。こうした活動を、この東アジアの歴史の大きな転換点でも、微力ではあるが断固として追求していきたい。金正恩とトランプによる米朝首脳会談の後に「日朝首脳会談」が実施されるとするならば、そこでは、「日朝ピョンヤン宣言」の内容が俎上にのぼり、日本の戦争責任があらためて問題とされる。実績の貧しい政治家は、それを蔽うためにより派手かつ愚かなふるまいをしがちだ。当選時の公約どころか政権内もガタガタのまま中間選挙が近づき、ロシアンゲートに苦しむトランプや、核開発とミサイルの軍事に極端に傾斜した国家経済の安定と浮揚をめざす金正恩、相次ぐスキャンダルと腐敗にまみれながら、最悪の差別排外主義と歴史修正主義にその勢力を託している安倍らが、どのような動きをするかは予断を許さないものがある。
私たちは今年の四月にも、二八・二九日と連続で「明治一五〇年 日本(ヤマト)による沖縄差別を問う」連続行動を行なった。さきに触れたような現在の国際政治の展開の中では、場合によっては、在韓米軍、さらには在日米軍や自衛隊などの位置づけも大きく変わりうる可能性も、まったくありえないわけではない。だからこそ、私たちは、天皇代替わり過程の中で、こうした問題意識をつねに研ぎ澄ましながら、自分たちと世界との関わりを問い直していかなければならないと考えている。
(蝙蝠)