連日の猛暑レポートが続いていた六月九日、天皇・皇后は南相馬市で開催された天皇三大行事の一つである全国植樹祭出席のために福島入りした。式典会場は津波被害に遭った沿岸部の海岸防災林整備地。天皇の植樹に意味を持たせるにふさわしい場所ということか。県の実行委公式サイトでは以下のように述べている。「福島県で開催する全国植樹祭は、本県の森林再生の取組の目標とするとともに、国内外からの復興支援への感謝の気持ちを広く発信するシンボル事業とすることを観点に検討し、東日本大震災による津波被災地であり、参加者に地域の復旧の状況を見ていただくことができる場所とした」と。「復興」植樹祭……。住民の、あるいはそこに住めなくなった住民のための行政であれば、やるべきことは他に山積しているはずだ。何のために福島県はこんなことに金やエネルギーを使わなくてはならないのか。そして天皇は例年どおり、植樹祭出席のほか、いくつかの視察や慰問もこなし、当地の人々を忙しく動員させている。
九日にはいわき市で避難生活を続ける被災者と面会し、植樹祭当日の一〇日は会場への移動中、雨の帰還困難区域を車で通り抜け、途中の料金所で、動員されたのであろう地元の人々と懇談したりしている。夜は宿泊先近くの公園で「提灯奉迎」。天皇たちもベランダから提灯を揺らして応えたとか。そして最終日の一一日、相馬市で慰霊碑に献花、水産物の地方卸売市場を訪問などしている。
大地震・津波と原発事故によって被災した人々を、救うことなく黙らせる天皇たちの力を最大限利用する行政と、人の心までも動員するに見える天皇・皇后のこういった行為に対して、うまく的を射た簡潔でインパクトのある批判の言葉をすぐにでも見つけ出したい。ともに考えて欲しい。
天皇の福島訪問と植樹祭については新聞・ネット上でそれなりに報道されていたが、どれも「天皇にとっては最後」「来年は皇太子」等の文言付きだ。「生前退位」とは、こうやって次の天皇制、すなわち天皇制の持続を連想させるものであることに、いまさらながら気づく。
福島訪問から約二週間後の七月二日、天皇は脳貧血でしばらく安静という記事が流れる。すぐに「症状安定」の報道に変わるが、おそらくしばらくは、「あの年齢と体力でよくやっていらっしゃる」といった同情や「崇敬」の念をないまぜの声がつくられ、一方では、天皇自身がつくり出した、年齢や体調に左右されず、常にりっぱに「公務」を果たす象徴天皇像と、それによって成立した「生前退位」が再度意識される状況がつくられるのだろう。どのような状況でも、いまのところ天皇の思い通りに事態は動き、株は上がるばかりに見える。回り始めると止まらない一つのサイクルが動き出しているかのようだ。
しかし、天皇の不調報道に、ここにきて「生前退位」あいならぬか? と考えたのは私たちばかりではないはずだ。その後の天皇の体調についても、ごく一部の者だけが知りうるだけで、事態はいつも不確定なものとして現象しているのだ。ただ、どうであれ、代替わりまであと長くても一年足らずである。うっとうしい天皇賛美報道とさまざまな服属儀礼のオンパレードが始まることもわかっている。天皇たちの都合でそれに変更があろうとなかろうと、惑わされ振りまわされるのはまったくゴメンである。言うべきこと、やるべきことを、その都度考えていきたい。
私たちはこれまで考え訴えてきた天皇制の問題を、整理し直し、言葉を吟味し、全国の友人たちとともに、少しでも拡がりを持った運動を目指していくしかないのだ。天皇が国家の制度として存在しているかぎり、私たちは天皇制について考えなくてはならない。そして、戦前から戦中、戦後と、天皇を介在させ続けることで、植民地主義、占領政策に基づく侵略戦争の歴史と責任を曖昧にし、現在のこのひどい社会に至っていることへの関心をつくり出したい。
一昨年の天皇の「生前退位」意思表明から、いわば天皇代替わり騒動というものを私たちは経験し始めている。この国が、天皇(制)に対しては誰も、国家権力でさえも、ものが言えない社会であることを、多くの人が見たはずなのだ。しかし、それがいかに非民主的な社会であるのかの実感は共有されていない。課題の大きな一つだ。
本紙でも繰り返し伝えているが、「元号いらない」署名は継続中である。これは一つの切り口でありうるのだ。七月二一日には集会も準備している(チラシ参照)。ぜひ一緒に考えていきたい。
(大子)