【今月のAlert】「生産性」が国家によって簒奪された状況をはねかえすために

安倍晋三じきじきの抜擢により稲田朋美に続くかたちで衆議院議員の席を得た杉田水脈は、「(LGBTの)彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」「そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」などと、優生思想を露骨に表現している文章を「新潮45」八月号に掲載した。

杉田はこれまでも、日本軍性奴隷制=「慰安婦」問題をはじめとして、なでしこアクションや在特会などの極右排外主義グループと行動を一つにして、差別発言を繰り返してきている。杉田は「日本維新の会」や「次世代の党」「日本のこころ」など政党を転々とさせながら、こうした思想を国会やテレビ、インターネット上で繰り広げてきたことを安倍に評価され、いわば安倍ら極右勢力の思想の宣伝担当としての役割を担ってきたのだ。杉田は、女性差別はないとし、「日本文化と伝統」なるものを強調しつつ、ジェンダーフリーへの悪罵を通じて男女平等という基本的人権の根幹までも否定する発言を重ねてきており、今回のLGBTに向けられた否定もまたこれらの発言と同様で、それは日本会議系の連中とも共通する一貫したものだ。これに対し、いままで安倍自身やその周辺、自民党議員らがどれほど悪質な行動や発言を重ねても「閣議決定」などで問題なしとしてきた自民党が、驚いたことにウェブサイトで「本人には今後、十分に注意するよう指導した」としている。もちろんこれは安倍の総裁三選が確定するまで、他にも多数存在し愚かで攻撃的な言動を重ねる「安倍チルドレン」、すなわち安倍の思想的子どもたちの口を一時的に封じるための弥縫策にすぎないのは明らかだが。

「国家にとって利用価値があるかどうか」というおぞましい「基準」で優生保護法に基づく「断種」までもがなされてきた、日本国家の伏せられてきた暗部が、このかん明るみに出されている。営々とした努力で積み重ねられてきたはずの基本的人権の確立が、実際には大きく損なわれ揺らいでいるということが、このような右派勢力の動きからくっきりと見える。

そしてそれを肯定する底流は、典型的な極右にのみ限られたことではない。東京医大の入学試験において、女性の受験者の得点が一律に削られ、男女の入学者の比率が操作されてきたという事実が明らかになったが、ネット上の情報を見ていくと、それは以前から他の学校でもあったこと、というものが多数あり、そのことは「意外なこと」とは感じられていない。そして、自身のこれまでの記憶をふりかえっても、これらは、もちろん否定しながらも「ありそうなこと」として、無意識のうちに脱色されているように感じる。

じつは、子どもを作ったり育てたりすることは、医大、医者ばかりではなく産業界、さらに社会の広い範囲において否定され続けているわけだ。そして、多くの女性にとっては職業や未来も収奪されてきているわけだ。子どもを作らないことが否定され、子育てによる休暇すらもマイナスとして否定され、老齢や障がいなどで「利用価値」がないと見なされれば、石原慎太郎や植松聖に類する連中らによって、まさに、生や存在そのものも否定されるというのがこの社会の行き着くところとなっている。さらに、ひとの生を「生産性」などという概念を通じ認識することから、わたし(たち)自身すら遠くないところにいる。そのことこそが、この問題から剔抉されねばならない。

そしてもちろん天皇制は、危ういながら「男子相続」の血統主義に基づいており、来年には大がかりな代替わりの儀式がなされる予定で、その「皇位継承式典事務局」も発足している。明仁と美智子は、その最後の「巡幸」を、明治政府が最初にその「領土」とした北海道とした。そして、今年の「全国戦没者追悼式」も、明仁の天皇として最後のものとなる。しかし、こうした差別の構造、いま眼前にある冷え冷えとした現実に向き合うとき、天皇および天皇制による「慰撫」「慰霊」「追悼」など、なんの意味も持たないことはあまりにも明らかだ。

今年も私たちは8・15行動を「『明治一五〇年』天皇制と近代植民地主義を考える8・15行動」として取り組むが、その行動は、より積極的に、奪われ続けている存在を、世界と自由を取り戻していくものとしていきたい。

(蝙蝠)