日本の近代化の過程でつくり出された「政治シンボル」が、明治維新政府の思惑からどのような変遷をたどり、悲惨な敗戦を迎えるにいたったのか。本書ではその歴史的な考察が試みられる。そして、その政治シンボルを検証しなおすためのケーススタディとして、アマテラスが取り上げられている。
近代国家建設=脱亜入欧・欧米型列強国化が目的であったこの国の近代化は、欧米的なキリスト教的宗教を模索し、行き着いたところが天皇であったという。こういった整理はそれほど珍しくないかもしれない。しかし、その天皇をまつりあげる時、その天皇の権威づけとしての〈政治シンボル〉を必要とし、それがアマテラスであったという。そしてそれを歴史的に解明していくのだが、ここがこの本のユニークなところだ。また、天皇の「伝統」がいかに明治以降のものであるかも、よく読み取れるテキストとなっている。
議論は沸騰した。政治シンボルの近代史に絞り込んだユニークな視点とその論理展開は、私たちを面白がらせた。同時に、アマテラスが政治シンボルとして使われていく経緯等について、本当にそうであったのか?との疑問を付す意見も。私も同様に感じることはあった。
それにしても、一九三〇年代〜敗戦あたり、思わず現在と比較しながら読んでしまうのだが、「象徴天皇もアマテラスと同じ政治シンボルの一種であり、政治シンボルとは有効かつ強力であればあるほど、統治者・被治者双方にとってリスキー」という著者の結論は、暗示的である。
絶大な権威をもって民衆に受け入れられ、解釈に曖昧さを残さず……、かつ専制政治に陥らない工夫をこらした政治シンボル。象徴天皇制、いい線いってるってこと……?
というわけで、もう少し関連領域を読むことに。
今回はトメ吉さん推薦のテキストで、ついでに参加も。また来て下さいまし。
◎次回は、村上重良『天皇制国家と宗教』(講談社学術文庫、日本評論社)
(桜井大子)