【今月のAlert】天皇「代替わり」をめぐる活発な動き 「明治150年」反対の行動にも参加を!

今年の8・15闘争も無事に終わった。ここ数年は、デモ隊にひんぱんに突入してくる街宣右翼とデモの参加者が、直接接触したりする場面は少なくなっている。もちろんそれはよいことだが、結局この日、この地域を警察が完全に制圧し、そのコントロールのもとでデモも動かざるをえない事態が現出していることの結果だとすれば、それはまったくよいことではない。右翼を利用して中立を装い介入する警察に対する原則的批判をなしつつ、本来の目的であるわれわれの意思を、どのように表現していくか、引き続き具体的に考えていかなければならない。

今年の「全国戦没者追悼式」は、予想に違わず、アキヒト最後の式典出席として、マスメディアによってその「平和への思い」が強調された。「おことば」の大枠は変わることはなかったが、「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という一節が新たに加えられたことに注目する報道が目についた。ここではひとことだけ、「戦後の平和」とは日米安保体制と冷戦の一方への積極的加担によってはじめてなされたという意味で、「戦争」に対立するものでは決してなかったとだけ言っておこう。

天皇の戦争責任問題ということでは、共同通信が入手した、昭和天皇の侍従であった小林忍の日記にもふれないわけにはいかない。そこではヒロヒトが、一九八七年四月に「細く長く生きても仕方がない。……戦争責任のことをいわれる」と発言したと記されていた。これは、戦争責任のことをいつまでも言われるのは嫌だ、という心情を吐露したと読むのが普通だろう。しかし半藤一利は「細く長く生きても仕方がない、というのはすごい言葉だ。びっくりした。昭和天皇の心の中に最後まで戦争責任があったのだと分かる」などと、保阪正康との対談で述べている(八月二三日、共同配信記事)。

ただ、ここでふれたいことはそれではなく、自分も参列した天皇「代替わり」儀式について、その費用も含めて「ちぐはぐな舞台装置」などと小林が批判を加えていたことだ。政府は来年の「即位・大嘗祭」を「前例を踏襲」して行うとすでに発表しているが、「今回明らかになった小林氏の見解が一石を投じる可能性もある」などとする報道もある。

さらにその直後、秋篠宮が、「大嘗祭」への公費支出という政府方針に対して、「皇室祭祀に公費を支出することは避けるべきではないか」との懸念を宮内庁幹部に伝えていたと報じられた(八月二五日、毎日新聞)。一連の「代替わり」儀式の中でも「大嘗祭」は純然たる宗教儀式であるので「政教分離違反」という批判が多い。

ここには、「代替わり」儀式に関しては、少しでも批判を回避して「国民全体の慶事」として挙行していくべきだという「合理的」な政治判断が反映しているだろう。もちろん、政府の方針はそうではないし、前回のように、政府や右派勢力などの間で意見が割れているような状況でもない。この「合理性」も、結局は「国民的議論」に基づいた「代替わり」を、という、「リベラル層」をも含めた主張を補強するものでしかないのだ。「即位・大嘗祭」に関しては、それらの儀式に対する税金支出の差し止めを求める訴訟が準備されており、私たちもそれに協力している。その詳細はおそらく次号で明らかにできると思う。

そして最後に。八月一〇日、政府は永田町の憲政記念館で、明治一五〇年記念式典を行うことを閣議決定した。この一年、全国各地で、多くの「明治一五〇年」企画が実施され、私たちもまた、2・11以降、「明治一五〇年」が天皇「代替わり」の前哨戦をなす攻撃であると位置づけて行動を積み重ねてきたが、「明治一五〇年」を祝賀する社会的な盛り上がりは正直言って実現していないと感じる。一九六八年の「明治一〇〇年」と比較してみれば一目瞭然だ。このときは日本武道館で政府式典が開かれているが、ハコとしての武道館が一万四〇〇〇人収容できるのに比べると、憲政記念館の講堂は五〇〇人に過ぎない。けれども、あの「主権回復の日」の政府式典が行われたのもこの場所であり、天皇を迎えて式典を行うことになんの不都合もないということだろう(ただし、いまのところ天皇が出席するという発表はなされていない)。

私たちは、式典前日の一〇月二二日の夜に、一日実行委員会を結成して反対デモを行いたいと考えている。詳細は確定次第お知らせします。ぜひ予定に入れておいて下さい。

(北野誉)