今年の七月末に行われた、PP研の連続講座「平成代替わり」で、私も報告者の一人だった。私が担当したのは「昭和Xデー」に対する反対運動の体験・経験について。最後の方で、これらと比べても、現在進行形の「平成代替わり」に対するたたかいは、様々な点で困難である(周知のことではある)ことを述べた。とてもあの時のような人々の結集はできないだろうということなのだが、では、どうするのか、どう考えるのか、ということになる。私が最後に述べたのは、「(極)少数派たらざるを得ないのは以前から分かっていたこと、反天の闘いは、どんなに小規模になろうが必要なデモをやり続けること、何が問題なのか、たえず、また、ポイントごとに、声明やアピールを発し続けること、それが長い目でみても意義・意味を持つであろうこと……」というようなことで、結局、「現在の反天連がやっていることがまったく正しい」と結論づけた。まあ、「内輪ぼめ」かも……。
今年八月一五日に発行された本パンフは、反天連の久しぶりのパンフ=最新のパンフで、機関紙”ALert”の二〇一六年七月号から一八年四月号まで掲載された「主張や見解」、天野恵一の連載「マスコミじかけの天皇制」が収められたものである。初めの数か月は、「アキヒト退位表明」から始まった「代替わり過程」への衝撃が、色濃く反映されている。にもかかわらず、このことの意味するもの=問題点を的確に指摘しているのは、「さすが」である。
アキヒト(+ミチコ)の目指した「再定義されるべき象徴天皇制」と安倍右翼政権の思惑の違いがリアルにわかる。退位=禅譲・譲位の自由権を確保しようとする(皇室典範改正?)アキヒトらと、憲法上の「建前」等をもって「一代限りの特例法」で対処しようとする政府。そのいわば「せめぎあい」の中で、実際の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が制定(挙国一致!?)されていく。一つの肝は、特例法でありながらアキヒト以降の「退位・禅譲」も可能としている点であろう。「象徴天皇制は私たち(皇室)のもの」という「意向」に、安倍らが「妥協」せざるを得なかった、と推測される。背景にあるのは「退位意向」に対する「多数の国民の同情・共感」がある、としていることだ。このことはある意味、アキヒトの目指したもので、まるでどこかの商店か同族会社の高齢の社長が引退して「ご隠居」となり、息子にその地位を譲る、という話であるかのようにして、庶民的な「共感」を得ていくことに成功した、といえる。政治的権能は有していないとしても象徴天皇は現憲法に規定された「国家機関」である。従って、退位・禅譲は表明したアキヒトの政治意志である。そのことにより新たな法律が創られるということは明確な「政治権限の行使」で、「憲法違反」。その問題をクリアする手段として使われているのが「国民多数の共感(総意ではないぞ)」で、これは象徴天皇制を永続させようとする、最強の武器、である。本パンフでは、ここらの違憲性や問題点を暴き出しているが、ほとんど「黙殺」される極少数派。さらに「国民の共感」は、安倍政治を批判する人々に、それに対抗しているアキヒト・ミチコへの期待・賛美という倒錯を、広範に生み出している。
本パンフ全体を通しての、もう一つの大きなテーマは、反天皇制運動が直面している「民主と人権諸運動」における「代替わり問題」の無視・軽視、反天課題「持ち込み」への警戒感、アキヒト賛美傾向等々をめぐってである。昭和Xデー闘争のような広がりをもちえない(だろう)という、予測の根拠でもあるが、ここは要するに「原点に立ち返って」構想と展望を考えていく、ということしか、ないと思う。まあ「少数派根性」といわれてしまえばそれまでだが、反天皇制運動は、戦後日本社会において大きな大衆運動として展開されてきたわけではない。あの昭和天皇に対してさえ、それなりの大衆運動らしくなったのは、「Xデー」が近づいた八〇年代で、反天連の活動を基盤としたものであった。象徴天皇制というこの扱いにくい「政治制度」に切り込んでいった反天連、天野の努力は、今日も生き続けている。
私たちは「民主主義に天皇制はいらない」という主張を獲得し、その根拠の一つに「貴族あれば、賎民あり」という古くからの反差別思想があることをアピールしてきた。これが心ある人々に受け入れられる機会は、きっと広がる。このパンフで示し続けてきたような、主張・アピールを、今後も続けていくこと。以前にもまして役に立っていない(生産性のない!)私ですが、できる限りのことはやり続けます。 *九月三〇日、沖縄で玉城デニーが勝ってくれた。奮闘を続ける沖縄民衆に敬意を表します。
(高橋寿臣)