【集会報告】PP研連続講座 東京オリンピックと『生前退位』

九月一五日、ピープルズ・プラン研究所(PP研)主催の〈「平成」代替わりの政治を問う〉連続講座第七回が開催された。この回のタイトルは「東京オリンピックと『生前退位』──ナショナリズム大イベントがねらうもの」。問題提起者は、宮崎俊郎、小倉利丸、天野恵一と、本紙ではお馴染みの顔ぶれだった。

宮崎さんからはオリンピック反対運動の視点に立った問題提起。オリンピックが「平和の祭典」と観念されることによって、監視社会、ナショナリズムなどがオリンピック招致・開催によって醸成・強化されている現実を批判させない社会が作り上げられていることを、具体例をあげながら指摘した。いま話題となっているボランティアについては、ナショナリズム批判の視点から「ボランティアとして国家行事に動員していくことに意味がある」ことへの批判の重要性を語った。この間の反オリンピック運動についてのまとまった報告も。

小倉さんは、「明治一五〇年」の断絶と継続という問題提起から始まり、この国のありよう──ナショナリズム、戦争、「日本人」、天皇制等々について言及。そして、国や「国民」の虚構性と、そこによって立つ「日本人」というアイデンティティ、その虚構をベースにしたナショナリズムへと話は進む。オリンピックの問題は国別という枠組自体にあること、敵・味方意識の再生産をとおして「国民」「国家」に収斂していくイデオロギー装置があり、国際スポーツは「平和」を装いながら戦争の感情を正当化すると批判。

最後に反天連の天野から。先のお二人の話の共通点としてあった、オリンピックと天皇制のもつタブー性(批判を許さない)という共通性の指摘を受けて、一九九七年の長野冬季五輪反対運動の経験から問題提起。オリンピック批判の記事に入れた、天皇を揶揄する形で描かれた挿し絵(貝原浩の漫画)が掲載不可となり争った経験など紹介した。

その後の議論も大いに盛り上がった。

(反天連/大子)