アイヌモシリに天皇をむかえて考える(投稿)

■《報告》アイヌモシリに天皇をむかえて考える①講演
アイヌモシリに天皇をむかえて考える
――植民地主義・人種主義の現在、私たちの責任

日時:7月28日(土)午後1時30分より午後5時00分
場所:札幌市教育文化会館3階305研修室(℡:011-271-5821)
後援:札幌市、札幌市教育委員会、朝日新聞北海道支社
主催:「天皇問題を考える市民の会」、編集責任:松元

主催者代表の石井ポンペさん

 去る8月5日、今上天皇・皇后が臨席し、北海道知事、札幌市長はじめ北海道の市町村長ら2900名が参加し「北海道命名150年」記念式典が札幌市で開催された。これは安倍内閣が内閣府に「明治150年関連施策推進室」を設置して2年前からキャンペーンを張ってきた北海道版の祝賀式典である。それを迎え撃つかたちで札幌市民は、“祝賀のまえに考えよう”と7月28日に「アイヌモシリに天皇をむかえて考える」集会を開催した。鵜飼哲さんの講演を柱に、アイヌ民族、在日朝鮮人、沖縄出身者、強制連行遺骨掘り起こし運動に関わってきた方々8名の発言・パフォーマンスによる約4時間の集会の報告である。参加者約170名。

 主催者代表の石井ポンペさん(74)は、先祖への供養と誓いがこめられたイナウを前にアイヌプリで、「散り散りになった私たちにはもう時間がない。一方的にアイヌモシリの大地を奪われ、旧土人と蔑まれたアイヌ民族の声をこの機会に天皇に届けたい」とあいさつして集会が始まった。

講演:鵜飼哲 一橋大学大学院教授(フランス思想・文学)
「国境」と天皇―オリンピック、コロニアリズム、アイヌモシリ

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 天皇や天皇制について議論することは陰に陽に圧力を受けている世情は依然変わらない。鵜飼哲さんは、「今回、代替わりを迎えた天皇の最後の北海道訪問に大きな危機意識をもっている、この意味を探りたい」と切り出し、国体の変更を意味するGHQ指令「天皇についての自由討議」こそ戦後の原点だと講演をはじめた。1869年の「蝦夷地の儀は皇国の北門の護り」という「御下問」は、いまもその根本的定義が変わらない事実上の北海道領有宣言であり、そこにはアイヌ民族反乱に対する恐怖と対ロシア「国境」画定命令があったと指摘した。しかも復活した「海の日」(7月20日)は、1876年、明治天皇が東北に巡行(50日)し初めて海路で青森から函館に寄港したのち横浜に到着したその日である。ここでは、明治期の「海洋および国づくり」の「恩恵」に被害者・被抑圧者を「感謝」させるという、「自然」と「歴史」のつなぎ方に注目すべきである。フクシマでいままたそのことが繰り返されている。原発事故の被害者が「復興」を奪われたまま世界中からの「感謝」を強要されようとしている。こうした構図は、おそらく日本の近代以前から「天皇」とともに繰り返されてきたのではないか。このことと今回の天皇最後の訪問は切り離されない。北海道領有宣言の10年後の琉球処分以来、北海道と沖縄は敗戦後も日本の「固有の領土」とされたままだが、この植民地的状況はじつは明治維新以前から始まっていたことも忘れてはならない。

0)「アイヌモシリ」と「カムイモシリ」
 震災後の私の最初の講義は『TOKYOアイヌ』(森谷博監督)上映とアイヌのフチ宇梶静江さんの講演会「アイヌとして生きる」(4月24日)だったと、宇梶さんの詩を紹介。

「大地よ
重かったか/痛かったか/あなたについて/もっと深く気づいて、敬って/その重さや痛さを/知るすべを/持つべきであった/多くの民が/あなたの重さや痛みと共に/波に消えて/そして大地に/還っていった/その痛みに今/私たち残された、多くの民がしっかりと気づき/畏敬の念を持って手を合わす」
(2011.3.19,am2:00 アイヌ 宇梶静江 当時78才)

 鵜飼さんは、「私はこの「大地」を単純に地震のあった大地と考えていた」と述懐して、ところが宇梶さんは、
「「カムイモシリですね。神様の培われている大地、カムイモシリよ、重たかったか、痛かったかという言葉が出たんです。」宇梶さんの口から出た「大地」という日本語は、特定の地理的空間を指していたのではなく、民族文化の総体を担うアイヌ語の言葉、<カムイモシリ>を翻訳していたことに気づかされたと、鵜飼さんは「私を含めて先住民から学ぶことがいかになかったか、宇梶さんのこころには『国境』がない」ことを強調した。後日宇梶さんは、もういちどこの呼びかけに、また別の角度から触れる。

「「足尾銅山だとか、沖縄の射撃練習場の赤土、裸にされた山、戦争で傷ついた自然、海の底まで掘っている。人間はひどいことをしていますね。そういうことがひとつひとつ自分に突き刺さっているわけだよね。沖縄の射撃演習なんか私のかあちゃんが撃たれているような悲しみを感じるんです。そこに住む人たちの平和を考えないからそういう恐ろしいことが出来る、それを見ている私は何なんだという思いがあったね。そういうことが溜まっていたんだと思いますね。それが、「重たかったか、痛かったか」という言葉になったんですね。」」
「「(‥‥‥)ちょうど78年前(1933年の三陸沖地震)も、東北の震災のあの場所は、多くの人がだまされて亡くなっている。同じところに津波が来るということは、そこに津波が来やすい、行きやすいんじゃないのかね。だから、地震が起こって、津波が悪いということじゃないと、先住民は思うと思うんだよね。そこが行きやすいとこじゃないんだべかと、親たちは言うと思うんだよね。そういうことを知ってもらいたいというのが、先住民の日常の言葉だったと思うんだ。」」(鵜飼哲「<過ぎ去らない現在>から<はじまり>へ」、『津波の後の第一講』岩波、2012)
私たちは先住民族からほとんど学んでこなかったのではないか。福島原発の燃料であるウランがオーストラリアの先住民アボリジニーの大地から持ってきたことさえも。

1)外的「国境」と内的「国境」

鵜飼哲さん

 天皇の祖先は、戦前は天から降ったとされ[神話]、戦後はどこから来たのか分からなくなる[研究の禁止]。「象徴」であるかぎり「国民」には属さない、どこか外から来たものでなければならない。しかし、その来歴は「小中華」としての「日本」像と「蛮族」の表象である「蝦夷」から「アイヌ」へと変わったものの、大陸から列島への文字文化の到来と不可分であった。そもそも「天皇」という称号は中国から(『史記』、BC90年代)のものであり、「元号」は中国の古典(「平成」は『春秋左伝』、「昭和」は『書経』等)からのものであった。「日本」(「ニッポン」)という観念の核心にある中国(ひいては朝鮮を含む大陸アジア)への隔絶感と事大主義的尊崇の二律背反がいまも生きている。フランスの人類学者が「自分自身を観察することなくして他者を観察してはならない」と言ったが、日本人と日本国こそ「天皇」にかかわる自己の歴史をいまいちど観察すべきだ。

 天皇の「権威」は境界の設定とその通過から生まれる効果を発揮する。天皇が「境界」を超えて移動しメディアに登場することで天皇の身体と「日本国」の領土=「国土」が同一視され、あたかも「日本人」の心のなかから現れたかのような「権威」が生産されるわけだ。島=境界=国境がなければ天皇はない、だから天皇は日本の島々を訪ねる。このような「国民統合の象徴」としての努力こそが天皇制存続に不可欠であったわけで、これこそ天皇の政治的行為ではないだろうか。こうして外的国境を天皇の権威がお墨付きを与えることによって「国民」の内的国境に転化させてきた、と鵜飼さんは指摘する。

2)戦後天皇制の位相
 「玉音放送」は「忖度」の強要のはじまりだ。『「聖断下る」と言って朝日新聞などで報道された、帝国の最高責任者の「決断」なるものは、降伏を「降伏」とは言わず敗北を「敗北」とは言わず、「時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ耐ヘ忍ビ難キヲ忍ビ以ッテ万世ノ為ニ太平ヲ開カント欲ス」とか「戦局必ズシモ好転セス」などとかだけ言って、正確な意味の判断はもっぱら聞く方の–つまり日本人国民の–推察力に頼っているような、そういう「決断の告知」なのである。何が「聖断」だ、甘えるのもいい加減にして貰いたい、と思った人々が相当数いたとしても当然であろう。』(藤田省三「「昭和」とは何か―元号批判」、『精神史的考察』、初出は1975年)また丸山真男は、やった上のものが責任を取らずに下のものが責任を取らされる、この天皇制の機能不全を「無責任の体系」といい、「忖度」を前提とする「主権者」は主権者ならず、とも言った。

 そしてまた、1946年の「人間宣言」(「昭和21年年頭の詔書」)は、メディアの「忖度」による命名であった。「(‥‥‥)朕と汝ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。天皇をもって現御神とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。(‥‥‥)」

 ここでは「私は人間です」とは言っていない。「現人神」を否定しただけだ。天皇=「人にして神」という政治神学的構造は維持されている。GHQは天皇の神格化否定という目的が「天皇その人によって骨抜きにされた」ことに気づかなかった。(河西秀哉『天皇制と民主主義の昭和史』2017年、藤樫準二『陛下の“人間”宣言』1946年6月)

 日本国憲法一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とある。ところがこの「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」(日本国憲法10条)と規定され(大日本帝国憲法18条「日本臣民タル要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」がまんまと挿入され)、かつて、「日本臣民」に強制的に編入された旧植民地出身者の人々が、敗戦後は「外国人」として除外されたわけだ。この二つが、かつての朝鮮系・台湾系日本人の人権が損なわれる根拠となったのだ。」(日高、前掲書)「天皇」がその「統合」を「象徴」できないような民は逆に「国民」から排除される。戦争放棄の9条は、じつは1条から8条までの天皇規定とこの10条に挟まれている。1952年4月28日の日本の主権回復の直前に旧植民地出身者から日本国籍剥奪(「10条」違反の法務省局長通達による)の一方的決定は、これも日本国憲法体制の下でなされたことである。この国籍剥奪は、ハンナ・アーレントも言っているように全体主義国家で大々的に行われていたことであるが、民主的とされる日本国憲法も同じことをやっている。こうして戦後日本の「ポスト帝国」的支配は「排除による包摂」(朝鮮・台湾)と「包摂による排除」(アイヌ・沖縄)の複合を通して貫徹されてきたわけである。「近代のアポリア」(岡和田晃+マーク・ウィンチェスター「“アイヌ民族否定論”に抗する 」、『アイヌ民族否定論に抗する』、2015年)に通じることだ。

3)オリンピックと天皇(制)
 幻の東京五輪となった1940年大会の招致決定時(1936年)当時の手塚東京市長の発言は次のようであった。「今日我が東京市が積年の宿願を達してオリンピック都市たる栄誉を担うに至りましたことは、之れ全く恐れ多きことながら、上御一人の御稜威の然らしむる所でありまして恐懼感激に堪えない次第でありますと同時に皇国の国威国力の隆盛を感謝せざるを得ないのであります」と、天皇のおかげを強調した。じつはヒトラーが、ムソリーニに頼み込んだ「おかげ」なのだが。

 40年大会は「皇紀2600年」に当たり、64年大会は現天皇の皇太子結婚(59年)に当たり、2020年大会は明治150年と天皇代替わり(19年)をまたいでいる。改憲(?)が目論まれ、オリンピック開会宣言が新天皇のもう一つの即位式、国際舞台への登場となる予定だ。天皇とオリンピックは骨がらみだ。国立競技場は神宮外苑地区に新設中であり、2020年は明治神宮「鎮座」100年にも当たる。しかも、20年大会組織委員長の森喜朗は首相の時「日本は天皇を中心とした神の国」と発言した人物で、首相も都知事も日本会議所属、財務大臣は「ナチスの手口」に学ぶことを提唱と言った。絵に描いたような「民族の祭典」を演出しようとしている。天皇制も「宗教」、オリンピックも「宗教」なのである。

 クーベルタンはつぎのように言う。「近代オリンピックの第一の本質的特徴はそれが宗教だということである。彫刻家が彫像を彫琢するように自分の身体を鍛錬によって彫琢することで、古代のアスリートたちは神々を「崇めていた」のである。近代のアスリートたちは、同じようにすることで、彼の祖国、彼の人種、彼の国旗を称揚するのである。」(P・ド・クーベルタン、1935年 8月4日、ベルリンにおけるラジオ放送)祖国、人種、国旗‥‥‥オリンピックはレイシズムと地続きなのである。

4)「復興」五輪とは何か?
 2020年東京オリンピックは、安倍晋三首相の「アンダー・コントロール」宣言とともに招致決定(2013年9月、ブエノスアイレスIOC会議)されたことは周知のことだ。その後彼は、「原発事故で大きな被害を受けた福島では、…2020年には身近な場所から仮置き場をなくします。」と演説した。(安倍首相所信表明演説、2017年11月17日)世界には見せないことにしようというわけだ。オリンピック招致が福島原発事故隠蔽工作でもあったことは明白だ。

 小出裕章氏は、「溶け落ちた炉心は、ペデスタルから外部に出ており、掴み出すことはできない。100年後にも事故は収束できない。仕方ないので、格納容器の横から穴を開けて、溶け落ちた炉心を取り出す「気中工法」にロードマップを変更したが、膨大な被曝作業になってしまう。結局、当面は「石棺」を作って閉じ込めるしかない。」(小出裕章、五輪災害おことわり連絡会主催「3・11と東京五輪」での発言。2018年3月31日)と語っている。

 一方では、原発作業員への締め付けがきびしくなった。「新年度になった4月から、福島第一原発の大半の場所の作業で危険手当がほとんど出なくなった。俺らは高線量の原子炉建屋周りの作業だから、危険手当は下がらなかったけど、1日2万円出ているはずの危険手当は1万円しか渡されない。同じ作業をしている別の下請け会社の作業員は、3千円だと話していた。被曝するのは俺らなのに、会社が大半を持って行く。(‥‥‥)5月から携帯電話の持ち込みも駄目になった。写真の流出を防ぐらしい。カメラ機能を使えなくした携帯を許可制で、班で1、2人が持ち込む。何かあった時は携帯でというが、自分の携帯は持ち込めない。」(54歳男性、「福島作業員日誌」、聞き手・片山夏子、東京新聞、2018年6月1日朝刊)

 現実の隠蔽と復興の祭典が車の両輪で走り出している。関東大震災(1940年大会)、第二次世界戦争(1964年大会)、東日本大震災(2020年大会)と、日本開催の五輪はつねに「復興」の祭典という「歴史」の捏造(組織委員会、2016年)が行われている。「がんばろう東北」から「がんばれニッポン」へと被災地は利用され、資金・資材・労働力が流出し東京の再開発に転用されている。そうした現実にもかかわらず、被災地住民には世界からの「復興」支援に対する「感謝」が強要されるという構図だ。被害者、被抑圧者が「感謝」を強要される「歴史」と訣別することが必要だ。

5)近代オリンピックの理念とコロニアリズム
 近代オリンピックは、19世紀ヨーロッパの「人間」の発見の地としての古代ギリシャ崇拝、その継承者としての西洋近代の位置づけ、「文明」の伝播としての植民地支配の正当化にはじまる。クーベルタンのオリンピック復興理念もこの当時の覇権的な思潮を背景に成立した選良(エリート)主義と温情主義(パターナリズム)の産物だ。(cf.  M・バナール『ブラック・アテナ』、1987年)

 クーベルタンは言う。「スポーツは植民地化に知的かつ効果的な役割を果たしうる。我々ヨーロッパ人が<植民地的>と見ることに慣れている諸人種も、この数世紀間我々が彼らを支配し指導してきたがゆえに、大部分はスポーツに向かないわけではない。(‥‥‥)スポーツは規律化の道具であり、衛生、清潔、秩序、自己管理等あらゆる種類の優良な社会的性質と生み出す。原住民もこれらの性質を身につけたほうが良いのではないだろうか。そうすれば彼らは、別のやり方(武力弾圧)をするよりも扱いやすくなるのではないだろうか。」(P・ド・クーベルタン「スポーツと植民地化」、1912年)

 「聖火」リレーもまた、ナチスの発明であることは64年には五輪賛成派も気にしていた共通認識であった。ナチス党員カール・ディームが発案、ギリシャのオリンピア遺跡からベルリンまで中継地となった諸国(ブルガリア、ハンガリー、チェコスロバキア、オーストリア)は間もなくドイツに侵略、占領される。「聖火」リレーはその「現地調査」に利用された。「聖火」はギリシャ神話のプロメテウスがゼウスから盗んだ火。宗教と近代技術文明を媒介する象徴である。「火」は人間に固有の能力としての技術の起源とみなされ、その起源からの継承関係に参与することが「人類の輪」に加わることを意味する。64年大会「聖火」最終走者の坂井義則氏は1945年8月6日に広島で生まれた陸上選手で、原爆の「火」を浄化する役割を背負わされたことになる。そして2020年3月26日、「聖火」リレーは福島から出発するという、原発という核の火を浄化、隠蔽するために…。原爆の核、原発の核‥‥‥戦後日本のオリンピックはつねに核がらみであることに注目すべきである。

 いま東日本大震災および原発苛酷事故後の「復興」五輪として2020年大会が準備され、被災者に「復興」支援への「感謝」が強要されている。謝罪すべきものたちが被害者・被抑圧者に「感謝」を強要するこのメカニズムはコロニアリズム(植民地支配)と天皇制にも共通する。この歴史といまこそ訣別しなければならないと述べて講演を終えた。

【鵜飼哲さんプロフィール】
フランス留学中、植民地アルジェリア問題や歴史修正主義者の反ユダヤ主義に遭遇、反アパルトヘイト世界美術家協会やパレスチナ・インティファーダ連帯運動に参加。被植民地支配下にあった人々の移民・難民問題、沖縄問題、日本軍「慰安婦」問題など闘う人々とともに歩み自らの思索を紡いできた。『ショアー』、『ルート 181』上映運動、迫害に抗議する国際 作家議会、原発民衆法廷、非核化地帯構想、反核世界社会フォーラム参加など。1955 年生れ。京大卒。ジャック・デリダに師事。一橋大学大学院教授。フランス文学・思想。著書: 『抵抗への招待』(1997 みすず書房)、『償いのアルケオロジー』(1997 河出書房新社)、『応答する力』(2003 青土社)、『主権のかなたで』(2008 岩波書店)、共著;鵜飼哲、酒井直樹、テッサ・モーリス・スズキ、李孝徳『レイシズム・スタディーズ序説』(2012 以 文社)、共著:鵜飼哲、岡野八代、田中利幸、前田朗『思想の廃墟から 歴史への責任、権力への対峙のために 』(2018 渓流社)、講演録『オリンピック・ファシズムを迎え撃つために』(2017 コラボ玉造)、など。ジャン・ジュネ、ジャック・デリダなど訳書も多数。

■《報告》アイヌモシリに天皇をむかえて考える②発言集

●パフォーマンス
★ムックリと三線のコラボ:石井ポンペ&堀元進

石井ポンペさん&堀元進さん

 アイヌ民族の石井ポンペさんは、1945年、勇払郡穂村字イナエップ生まれ。この集会を準備した「天皇問題を考える市民の会」の代表で、集会タイトル「アイヌモシリに天皇をむかえて考える」の発案者だ。「アイヌはどんな人でも、まず『むかえる』という生き方をしてきた」と強調していた。ポンペさんはアイヌ民族の主張をこう述べた。「アイヌモシリのすべての国有林などアイヌ民族が使用するオヒョーの皮など樹木、薬草などに、使用する分だけイオル林としてアイヌ民族が誰でも利用できるよう文化につなげたい。現在、各地の公共施設、小・中学校などの廃校地、また離農した農家の跡地などを、アイヌ協会本部ではなく、各地域のアイヌ民族が年間を通していつでも大地の恵みを受けられるよう、衣・食・住に利用できるよう和人には努力してもらいたい。」
 堀元進さんは、1956年札幌市生まれ。旅人として1974年に初めて沖縄を訪れて以来、ほぼ半世紀近く沖縄に通い、沖縄と北海道を視座に物考えを続けている。思考に使う言葉は北海道弁と沖縄口のチャンプルー。琉球大学医学部卒。ウチナンチュの妻も同じく内科医。沖縄県人会の発展形である北海道・沖縄クラブ会長だ。集会に向けてこう語っていた。「人間はそれぞれ異なった個性を持つ。民族や文化もまた然り。それ故、異質をどう捉えるかが一人の人間や民族、文化の懐の深さを形作る。沖縄は沖縄であり、他の何物でもない。他者と接し良好な人間関係を作る際に、人類は「礼儀」を考案、文化的に普遍化した。近代日本の沖縄へのベクトルは、今も長く続く驕りと非礼の歴史そのものである。」
ポンペさんはムックリ、堀元さんは三線、アイヌモシリと沖縄の即興コラボで石垣島のアサトヤユンタなど3曲を披露してくれた。聴衆も手拍子でこたえ会場を和ませた。

★語り芝居:金時江[キム・シガン]「あんな戦争は繰り返してはいかん」
宋神道(東京高裁最終意見陳述書)より

金時江[キム・シガン]さん

 金時江は、北海道生まれ、北海道育ちの朝鮮人2世。札幌市在住。歴史(過去)を見つめることは未来につながると、茶門セミナー・ハンマダンを主宰し講演会、ライブ、上映会、朗読、語り芝居などに活躍している。日本軍「慰安婦」問題の解決を目指す北海道の会に所属し、札幌市に人種差別撤廃条例をつくる市民会議に参加している。
 すこし暗くした会場で、チョゴリ姿のシガンさんは今は亡き宋神道[ソン・シンド]さんの「胸の内」に代わって、控訴した東京高裁での原告訴えを一人語りで再現した。その迫真の演技は、水を打った会場に響きわたり聴衆のこころに浸み込んだ。

以下のビデオ収録でその語り芝居を観ることができる。
金時江.mp4 (ダウンロード)
https://drive.google.com/file/d/1jGrxgFqWNS31Bssx43zImEN7DbkSYcbL/view?usp=drive_web

 ここに宋神道さんの裁判経過を掲げておく。日本の「裁判所」の不当性が浮き彫りになっているので、お読みください。
宋神道[ソン・シンド]「あんな戦争は二度と繰り返してはいかん」より
1993年4月5日 東京地裁提訴
1999年10月1日 判決
 ① 事実認定⇒慰安所制度、慰安所での被害は原告の主張を認める。
 ② 国際法に基づく謝罪、損害賠償請求⇒判断を示さず。
 ③ 民法上の請求⇒国家無答責、除斥期間を理由に退ける。
 ④ 国家賠償法上の請求⇒「立法裁量上の選択肢の一つであり得る」が「国家賠償法上違法視されるべき謂れはない」
1999年10月7日 東京高裁控訴
2000年11月30日 判決
 ① 国際法⇒「慰安所の設置、運営についてはそれぞれ条約違反による国際法上の国家責任が発生していると認められる。その国際法上の国家責任を解除するために、日本国は国際的不法行為をした者たちに対する処罰や是正措置、被害者救済措置等を命ずる義務が生ずるが、日本国がそのための措置を実現させなかったとしても、国際不法行為とはならない」
 ② 民法⇒「民法715条2項の監督者責任に準ずる不法行為責任が生ずる場合もあり得ることは否定できない」とし、日韓請求権協定によって在日韓国人の請求権問題は「日本政府の対応措置に委ねられた」としながら、その損害賠償請求権等は除斥期間の満了によって消滅した、とした。
2000年12月12日 最高裁上告
2003年3月28日 上告および上告受理棄却決定
2011年3月11日 宮城県女川で震災に遭い、一時消息不明にとなるが、愛犬マリコと一緒に避難所で無事なことがわかる。その後、「在日の慰安婦裁判を支える会」の援助で、東京での生活を始める。
2017年12月16日 95歳で永眠…。韓国天安の望郷の丘にて、長年暮らした河再銀[ハ・ジュウン]さんの隣に眠る。

●わたしからも一言

★木村二三夫「天皇の名の下で、強制移住から150年」
(新冠御料を追われたアイヌの子孫、平取アイヌ遺骨を考える会代表)

 木村二三夫[きむらふみお]さんは、1949年平取町貫気別生まれ。中学卒業後、全国で様々な職種を転職。1976年、家業の軽種馬生産・育成業に従事。1998年、牧場を廃業後、造林・造材業で生計を立て現在に至る。
木村さんは、2015年、友人と所用の帰り道、強制移住地「新冠(アネサル)の地」を通りかかり、旧土人学校跡地に立ち寄った際、カンナカムイ(雷)にでも打たれたようなショックを受けた。そのとき、まるで誰かに囁かれたかのような声が聴こえ、それ以来、「盗掘されたアイヌ遺骨」問題に取り組んできた、といいます。大要つぎのように訴えた。

木村二三夫さん

 主催者の都合でアイヌ民族屈辱の150年の歴史を、たったの15分でしゃべれと言われた。『北海道命名150年』が祝われようとしているが、国民、政府、北海道民は人権と尊厳を無視されたアイヌの悲惨な歴史を考えたことがあるのか。明治維新以降、日本政府はわれわれのアイヌモシリを略奪し植民地化しすべての権利を奪い、とどめを刺すかのようにアイヌの先人たちの遺骨を学者たちが盗掘し研究用として12の大学・博物館等に持ち去った。最近の調査では、2000体になるといわれ各大学に留め置かれている。アイヌのエカシ、フチたちの魂は今なお彷徨い続けている。みなさんもわが身として考えてほしい。
苫小牧駒澤大学教授植木哲也さんの『新版 学問の暴力』(春風社、2017)という著書の中では、「脳みその滴り落ちる頭蓋骨、肉片の付いた頭骨さえ持ち去られた」とある。神をも恐れぬけだもののような行為ではないか。これらの遺骨の中には、天皇御料「新冠(アネサル)」の地から強制移住のすえ旧神貫気別へ追いやられ屈辱と艱難辛苦のすえ斃れ心ならずも眠りについた私の先祖もいる。
 日本政府はいまだにアイヌの地域(コタン)返還の要求に応じようとはしない。遺骨問題も謝罪さえしない、こんな馬鹿げたことがあるだろうか。しかもいま、研究のためと称して国や学者たち、どこかの馬鹿なアイヌ協会などの目論見の詰まった白老の「民族共生象徴空間・尊厳ある慰霊施設」という馬鹿げた施設に集約しようとしている。これは、三度目の強制移住だ。だれであろうとアイヌネノアンアイヌ=人である人として、このような非人道的行為を絶対にやらせてはならない。
 「北海道命名150年」と松浦武四郎がもてはやされているが、アイヌ語を習得しアイヌの地名と人物像を記した武四郎は「北加伊道」という案で「アイヌの住む大地」と命名していた。その武四郎は、江戸で見た「夢魔」について語っている。「箱館の料亭で日本人の役人たちがアイヌの血肉を貪り喰い飲めや歌えやの宴会をしていた」と。この歴史が続いているのではないだろうか。アイヌモシリで起きた残虐・卑劣極まりない非人道的行為をカムフラージュする歴史の歪曲、日本人がもっとも得意とするやり口には断固として反対の声を挙げていかねばならない。

 造林・造材業の木村さんは仕事中に出会ったヌプリ(山々)でのカムイたちとの触れ合いを、エッセイにまとめ絵本にした。タイトルはキムンカムイ(ヒグマ)を題材にした『カムイたち―キムンカムイ母さんとの別れ』(リーブル出版、2018年)。当日、希望者に贈呈され30冊があっという間になくなった。

★石純姫[ソク・スニ]「帝国の重層的な暴力」
(苫小牧駒澤大学国際文化学部教授)

 石純姫さんは、1960年東京生まれ。中央大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了。現在、苫小牧駒澤大学国際文化学部教授。東アジア歴史文化研究所所長。大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員。主著:『朝鮮人とアイヌ民族の歴史的つながり―帝国の先住民・植民地支配の重層性―』(2017年、寿郎社)。以下、発言要旨。

石純姫[ソク・スニ]さん

 日本では「明治維新150年」、北海道では「北海道命名150年」ということで、さまざまな所で近代化や開拓の物語が語られている。江戸時代の封建社会から近代国家が形成されていく過程で何よりも必要とされたのが「国民」という意識だった。国家システムの構築とともに国民意識の醸成に向けて精神的支柱としての近代天皇制が発明される。近代天皇制は古代国家の天皇制や幕藩体制下の天皇制ともまったく違うかたちで現れた。天皇は「神聖にして侵すべからざる」絶対君主であり、大日本帝国軍隊の大元帥であり、天照大神の子孫の現人神であった。このような巨大なフィクションを国家の根幹に据え、明治政府は「国民」を作り上げてきた。まさに、「経済上には略奪者の張本人、政治上には罪悪の根源、思想上には迷信の根本」(大逆事件の菅野スガの言葉)であった。
 その天皇制というシステムは、「愚民」を支配するにはもっとも効率のいいシステムだった。権力者や資本家はその虚偽を十分知り尽くした上で利用していた。
 元祖レイシストと言われている福沢諭吉は、天皇制は「愚民を篭絡する詐術だ」、詐術だとしてもそれが必要なんだと述べている。そのような天皇制の復活を狙っているのが現政権の主張する「改憲」だ。政治家や資本家が欲しい侭に権力を行使できるシステムとして、天皇制は戦前だけでなく敗戦から現在に至るまでも国民の精神や魂を支配する潜在性をもっている、と私は考えている。
 北海道では、近代以降、朝鮮人とアイヌはその深い歴史的な繋がりをもっていた。この繋がりをここ10年ほど私もいろいろな人から聴くことによって本にまとめることができた。この歴史的な繋がりを辿ることは、天皇制の下で「国民の物語」から排除された人々の非常に貴重な埋もれた遺産だと考えている。
 朝鮮人が北海道に移住し定住していったもっとも早い段階は、明治3年、1870年。これは平取で、アイヌ女性と朝鮮人男性のあいだで子どもを儲けて定住していることがわかった。その後、鳴門地方から日高地方鵡川へ馬喰として朝鮮人男性がアイヌ女性と結ばれ定住化していくという例もあった。
 北海道炭鉱汽船の労務者募集を契機に北海道における朝鮮人の人口は増加し、戦時期の国家総動員法実施以降はいわゆる朝鮮人の強制的労務動員が段階的に行われていく。みなさんもよくご存じですが、そのような北海道各地の強制労働の現場から脱出を試みる朝鮮人も少なくなかった。そうした朝鮮人は見つかれば死に至る暴行を受けることが通常であり、脱出した朝鮮人を通報すれば報奨金がもらえることにもなっていた。多くの日本人は、朝鮮人が逃亡したと警報を聞くと明かりを消して息を潜めていたという。
 そうしたなかアイヌの人々は、消えていた火をもう一度熾し逃げてきた朝鮮人たちを家の中に迎え入れたという。食事を与え朝鮮人を匿いつぎの脱出先を教えたという。「今逃げたらあんたは捕まるし、私も捕まる。あしたの朝早く、あの角の家から3件目の茅葺の家に行きなさい。その家はアイヌの家だからきっと迎えてくれる。」そのように言ったと伝えられている。そうしてアイヌの家を転々とした朝鮮人たちがやがてアイヌの女性と結ばれ子どもも出来て定住化していった例が数多くあったという。そのように結ばれた二人の間に生まれた子どもたちはけして少なくなかったという。
 中には、朝鮮人を匿って馬車に乗せ朝鮮に帰るために鉄道の駅まで運び切符を買って渡したという話。また、馬車の炭俵のなかに逃げてきた朝鮮人を隠して駅まで運んだが、見つかりそうになって再び家に連れ戻し、自分の親戚の女性と婚姻した例。命を助けるんだと言って、身内を説得して朝鮮人を自分の家族にしたというアイヌの例。また、逃げてきた朝鮮人を見て怖がる子どもたちに向かって、アイヌの母親が「驚くことはない、同じ人間なんだから」と言って食べ物をあげたり匿ったりしたという、アイヌも多かった。

 この「同じ人間」という意識をアイヌの人々がもっていたことは、何にもまして非常に重要なことだと考えます。教条的で一種の狂気にも近い政治プロパガンダに対し、自らの危険を顧みずに他者の命を救うという行為は、国家に盲従する「国民」ではなく人間としての自立した尊厳ある行為ではないでしょうか。私はずっと「国民」は人間ではないと考えています。
 国民とは、国家に忠誠を捧げ、愛国心を持ち、「国民」でないものを徹底的に排除するものです。植民地の朝鮮人は当時「臣民」とされ、「一視同仁」とか、「内鮮一体」などのスローガンが掲げられていましたが、じっさいには大和民族を頂点とする選民意識から差別がシステムとしても意識においても徹底的に浸透していました。現在でもそうだと思います。
現在、リベラルを自称する人たちの間でさえも、例えば政権を批判する場合に「国民は許さない」などと言いますが、自分の権利を「国民」という規定から始めるようでは本当に自立した自由と尊厳を持つことは出来ないだろうと考えています。だからみなさんには「国民」という言葉を無批判に使っていただきたくない。それは国家にとって代替えのきく匿名性ある消耗品でしかないのだということを、強く強調したいのです。
 そして死や魂の物語ほど、このナショナリズムの強固な枠の中でしか語られてこなかったのです。国民の歴史や地域の郷土史などでもつねに注意深く周到に朝鮮人を排除してきました。これはうっかり忘れたのではありません。本当に注意深く非常に周到に排除してきたのです。ですからアイヌの遺骨の問題でも同様なことだと思います。つねに日本人の死や魂だけが、語られ記憶され表象されてきたのではないかと思います。これは私が依頼されて書いた郷土史の執筆でもそうでした。じつはいまも、平取町振内[フレナイ]の共同墓地のなかには鉄道工事で犠牲になった朝鮮人の遺骨が大量に埋められているという証言を複数得ていますが、これを明らかにすることを平取町は拒否しています。非常にむずかしいことです。
 北海道は帝国の先住民支配と植民地支配が交錯する場所でした。じつは同じようなことがアメリカ大陸においても、ネイティブ・アメリカンとアフリカ奴隷がアイヌと朝鮮人のような繋がりと共生の関係をもっていたことが最近明らかになってきました。
 これは帝国の先住民支配と植民地支配の重層的な暴力の普遍的な構図なのではないのかと考えています。
 北海道における先住民アイヌと植民地被支配者である朝鮮人との繋がりは従来のアイヌ像を覆すものであると同時に、抵抗と協力のはざまで生まれた人間としての正義の行為、ないしは奇跡的な希望の行為として永く記憶・記録されるべきものではないでしょうか。
 表層的には均質で単一な文化・社会を形成していると思われる日本においても、多様なルーツを持つ外国人やさまざまなマイノリティーが存在しています。しかしそのマイノリティーは個別実体化したものではなく、重層的で非常に複雑なものです。
 このような重層的なマイノリティーの形成過程を明らかにすることは、近代におけるアイヌ史の見直しと共に在日コリアンの形成過程においても、新たな視点を提示するものと考えます。そしてそれは日本社会、日本文化の多様性という視野からも新たな展開をもたらすのではないでしょうか。
 錯綜したグローバリズムのなかで人々は分断され強固な排外主義が拡大し紛争がつくり出されています。故郷から引き離され移動を繰り返す人々との連帯と協力が、資本や軍事力の暴力がせめぎ合う世界とは異なる、多様で豊かさをもたらす世界を再構築する可能性となり得るのではないでしょうか。

★志堅原郁子「ことばと天皇制〜沖縄の体験から」
(暴力未然防止・人権教育ファシリテーター)

志堅原郁子[しけんばるいくこ]さん

 志堅原郁子[しけんばるいくこ]さんは、米軍統治下時代の沖縄、首里生まれ。小学4年生の時に、琉球政府から日本政府へ施政権が移る「世変わり」を経験した。その後、琉球新報記者(政経部・社会部)を経て、米国に留学し、州立サウスカロライナ大学でジャーナリズム修士号を取得。同大学院で日本語講師とし勤めた後、家族と共に札幌へ。現在、北海道大学非常勤講師。また、人権啓発と暴力未然防止教育ファシリテーター(NPOピーチハウス所属)として、ジェンダー対等性の視座から暴力を選ばない・選ばせない意識づくりと環境づくりを目指し、道内各地の中・高・大学で講座を実施している。
 沖縄師範学校在学中に鉄血勤皇隊に動員された父。戦後の過酷な収容所生活を生き延びた母。戦争孤児になった叔母・叔父。実現しなかった昭和天皇沖縄訪問の取材班(行幸啓班)に配置され、死去の際は牧志公設市場で一般市民の声を拾う担当だったわたし。「外地」の沖縄から、圧倒的に沖縄を知らない「内地」に対して、多様な沖縄の実相を伝えるのは難しいと感じます。今回は「ことばと天皇制」に関わるわたしのエピソードに限定して、家族の体験・記憶に触れながら話します。とあったが、個人的な体験も含むので掲載を辞退された。

★殿平善彦「死者から見つめられて生きる」
(深川一乗寺住職)

 殿平善彦さんは、1945年生まれ。深川市一乗寺住職。空知民衆史講座代表、北大開示文書研究会共同代表、北海道宗教者平和協議会理事長、NPO法人東アジア市民ネットワーク代表だ。長年にわたる強制連行犠牲者の遺骨掘り起こしから、アイヌ遺骨返還運動への取り組みまで「死者との対話」を重ねてきた僧侶だ。以下、発言要旨。

殿平善彦さん

 鵜飼さんの話では、天皇もオリンピックも宗教だという。私は浄土真宗の僧侶であって、宗教というものを職業にしているものの一人です。宗教というものは、抑圧する側の宗教もあり、また抑圧される側の宗教もある。近代天皇制が極めて宗教的であったことは言うまでもないが、その宗教的背景は国家神道のイデオロギーだった。私は仏教だが、仏教がどう振舞ったかといえば、抑圧される側の宗教としても、同時に抑圧する側の宗教としても見事に働いた。近代のはじめに国家神道が国教化するプロセスにおいて、浄土真宗に限らず、仏教もキリスト教も抑圧を受ける。しかし、そこから復活して行こうとする仏教は、抵抗としての仏教ではなくて、天皇制にいかに協力し従うかというところで自らの復活を遂げて行くことになる。浄土真宗はまさにそのひとつの典型でした。真宗教義は天皇制イデオロギーとは矛盾しないという主張を続けていく。戦争中になるとどんどん変質し、最後は浄土と靖国は同じだとか、戦争に行って死ねば浄土に行って仏様になれる、だからがんばって戦争に行きなさいとか、天皇制イデオロギーに従属し同化してしまった。
私は最近、アイヌの人たちとの出会いをいただいています。2016年7月、北大から遺骨を返還させて、浦河町の杵臼で再埋葬があった。そのときアイヌのエカシたちは、まさに自分たちの宗教に基づいて遺骨を迎えた。カムイノミがありイチャルパを営んだ。私はそれに参加させていただいたが、抑圧される側のアイヌの人々は自分たちの信仰を奪われてきた歴史があります。現在、多くのアイヌの人々の家庭では、キリスト教もありますが多くは仏教になっている。基本的には信教の自由があり、誰がどのような宗教を信ずるかはもちろん個人の自由であってそれが尊重されるべきです。しかしアイヌの伝統的な宗教活動、その信仰は、近代の日本の歴史においてはアイヌへの抑圧と共に否定的に扱われ、その結果として多くのアイヌの人たちが仏教徒になっていく、ならざるを得なかったというのも歴史の事実だと思う。そうしたなかであの再埋葬の時のあの葛野次雄エカシたちの高らかなカムイノミの響き、苦労して、再埋葬という自分たちの葬儀を伝統に則ってつくりあげた努力、それは深い感動を呼ぶものでした。
戦前から大学などによるアイヌ遺骨の発掘と持ち去りが行われましたが、戦後になってアイヌの墓地改良事業があり、伝統的なアイヌ墓地の多くが掘り起こされた。改良事業によって掘られた遺骨は八角形とか六角形とかの建物の中に置かれているという現実がある。こうしてアイヌの伝統的墓地は、ほとんど姿を消してしまった。仏教徒になったアイヌの人たちは、日本式の墓碑を建て、お寺の檀家になってお坊さんと一緒にお経を読んでいる。
 先日、HTVが制作し、放映した番組をみなさんも観たと思うが、葛野次雄さんは、父辰次郎さんの時代に作らざるを得なかった仏教的な和人的な石の墓碑を自ら取り除いた。彼にとっては、物理的にも心理的にもどれほどの決断と思いがあったか知れないが、彼は、敢えてその墓碑を取り除いてしまった。そこに埋葬されていた遺骨をあらためて再埋葬してアイヌ式のクワ(墓標)を立てた。ここに至る歩みと決断は、私たちの想像を超えることではなかったか。アイヌは自らの信仰に基づいた葬儀すら抑圧の中にあったのです。私は葛野エカシが決断した、先祖の遺骨を再埋葬する姿を観ながら、自分の宗教的信念、宗教的行為を実現していくことが、自らのアイデンティティの回復とじつに深く繋がったことなのだと感動的にその映像を観たのでした。
 その意味で、宗教というものは抑圧の道具になると同時に、抑圧されたものが抵抗する拠点にもなるものだ。私はアイヌの宗教からこのことを深く考えさせられた。生きた宗教とは、そういう存在なのではないか。
東京オリンピックが2020年に予定されているが、それと同時に白老のポロトコタンに「民族共生象徴空間」が造られようとしています。オリンピックは7月だが、象徴空間の方は4月に開館するそうです。そこに作られる「慰霊空間」に、北大や東大、京大など全国の大学の人類学者が発掘し、持ち去ったアイヌの遺骨が集約されようとしています。あれはいったい何なのか。観光客50万人の動員目標が、菅官房長官の一声で100万人になった。日本政府はいま新しいアイヌ政策をつくろうとしているが、アイヌ民族の先住権の具体化ではなく、象徴空間を作ることで観光客を呼ぶことが柱になっているとするなら大きな問題です。観光が持つ力が様々なアイヌ文化を継続させてきたとは思うが、政府のアイヌ政策が観光だけに持っていかれようとしているのではないか。
 いまでも、アイヌがいることを認めるがアイヌ民族は存在しないという主張がある。つまり、アイヌの人々の存在は認めるが、先住権を主張するための基本的な集団としての伝統的、自治的なコタンの存在を認めないのだ。これが北大アイヌ先住民研究センターのメインストリームの主張であり、日本政府のアイヌ政策の基本です。北海道アイヌ協会の人々の中にも、大学にあるアイヌ遺骨は「慰霊空間」へ集約すべきとして、地域への返還に反対する動きがあると聞いている。遺骨を奪い、土地を奪い、生活手段を奪い、言語を奪い、宗教すらも奪い、自立を奪ってきた側の動きがまだ止まってはいない。アイヌの人々は死者と共に生きている。遺骨を取り戻し再埋葬するという行為は、死者に見つめられ、そこから本当に自立した人々が生まれ育とうとしていることではないか。われわれは和人の歴史的なそして現代に及ぶ責任を自覚しながら、その人たちとどう生き、手を取り合っていけるか、これからも考えていきたい。

★ジェフリィー・J・ゲーマン「「アメリカ人」からみた天皇(制)」
(北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院特任准教授)

 主催者から、アメリカ人として日本の天皇制をどう考えるか話せと言われたが、問いばかりが多くて、いまだにまとまった考えは浮かんでこない。その問いとは、日本の天皇とはどういう存在なのか、天皇の理想的な姿とはどういう在り方なのか、といった本質的な問題だが、自分にはまだ応えられない。また、一大学教員として、日本の社会情勢や社会問題に対して、どのような発言をし、どのような行動をとるべきのか、これもむずかしい問題だ。

ジェフリィー・J・ゲーマンさん

 まず、自分のバックグラウンドをすこし紹介すると、アメリカ生まれのアメリカ人だが、1988年にはじめて来日し、同志社大学に留学をしてからずっと日本に住んでいる。日本語能力や日本事情に関する知識は関西の大阪教育大学で二つ目の学士号と日本の教員免許の一級資格や九州大学の博士号を日本語で取得した。また、大分県出身の妻と出会ってから26年、結婚してから23年経つ。2005年から日本の永住権を取得し、在日の居住歴25年の外国人である。現在、北海道大学大学院で准教授をつとめ、マイノリティ教育や多文化・異文化理解等を専門とし、ここ10年は一部の授業を日本語で行っている。
 また、私は一部のルーツをアイルランドに持つ白人系アメリカ人でもある。私が9歳のとき亡くなった母親は、とくに環境問題への関心が強く、ときどき地元の州議員に手紙を書くほどの政治的関心の持ち主であった。それに対して、父親の方は政治や社会問題にほとんど関心がなかったこともあり、この父親に育てられた事が今日の私のコメントの背景としては一番大きく影響している。
 つまり、日本に来てマイノリティの勉強をし始めるまでは、あまり社会問題に関心がなかったということが本当のところだ。日本のマイノリティ集団に関する勉強をはじめたのは、1999年に入学した大阪教育大学時代だったが、アイヌ民族に関する勉強は2003年まで始まっていない。だから、私の社会勉強に伴って日本の天皇に関するイメージも移り変わり、複雑化してきた。

 ということで今日の話は、ルーツを外国に持つ人間から見た天皇(制)についての若干のコメントを述べ、先住民族アイヌを支援しようとしている者の観点から、不十分ながら、日本社会において事態が前進して欲しい状況について話をしたいと思う。
 その前に断っておきたいことが2点。人間の生活において宗教は大きな支えとなり、また人間の向上心にも非常に重要な役割を担っている。外国人としての自分の経験を理由に、また少数民族の勉強をしていることを理由に、外国人として他国の土着の信仰を否定する気持ちはひとかけらもない、ということが1点。もうひとつは、米国は世界の警察官として、中東などに、軍事力を持って外国の状況に干渉し、複雑な現地状況や国際関係をこじらせてきた経緯があり、また国内先住民族に対する歴史的政策の行き過ぎた面からも、アメリカ人として日本の政策について判断をする立場にはないと考えるのが、2点目。国籍はアメリカだが、ここで語っているのは、あくまで一人間としてのコメント。「指を指したら自分に三本の指が向かっている」という譬えがあるが、その教訓を自覚しているつもりだ。

 さて、私が経験した天皇の二重の性質について述べてみる。日本の天皇は外国人からみるとあまり目立たない一方で、一部の日本人からよりどころとされている存在でもある。私の来日初期においては、昭和天皇が連合軍に「ポツダム宣言受諾」を公表した事が戦争の早期終了につながり、終戦後の平和的な日本の復興を導いたという意識はぼんやりとしてあったが、1999年までの私にとっては日本の天皇は時々テレビに現れるぐらいの、とくに興味がない存在だった。一方で、昭和天皇がなくなった時にホームステイのお母さんが珍しく、「日本は大変な事になった」と面と向かって私にはっきりと何かを訴えかけるように言ったことは、鮮明に記憶に残っている。また、私が2002年に日本のJC、青年―商工会が開催するTOYPプログラムに参加し、その一環として天皇と皇后に会えた時、手続きの重々しさや、周りの人々のその機会の珍しさに関する多数のコメントから、一般人が感じる貴族への憧れや感情論に飲まれやすい状況を少し感じ取ったようにも振り返る。その時の印象として、二人の落ち着いた、思慮深い言動、礼儀正しさから何か特別な風格、人徳を感じ取ることができた。
 一方では、とくに明治から終戦までの歴史的過程における天皇の役割との乖離をどのように説明することが出来るのかという深い疑問は、納得のいかないまま今日までに至っている。
 とくにアイヌ民族について勉強をするようになってから、今日この場で木村さんや石井さんが述べられた、アイヌ民族に対する一方的な土地や資源の収奪、文化や伝統的生業の禁止、言語の同化政策、現在にも残る低所得、低進学率、高い生活保護受給率、アイヌ文化やアイヌ語が周辺化され危機に瀕している状況に帰結する、不当で言語道断な歴史的政策の結果に、頻繁に出会い聞かされる事によってその事実の重大さに直面し、黙って見過ごすわけには行かないと思うようになった。
 先住民族の知が秘めている、科学、医療、社会政策への貢献、人類の発展に寄与する可能性をはじめ、国内における文化的多様性が日常生活にもたらすであろう心の豊かさの面からも、現在、内閣府がアイヌ政策審議機関で議論している不十分な中身の法律では、到底実現できるとは思われない限定された政策方針に、暗澹たる気持ちだ。こういう市民の場で訴えておられる当事者たちの声を汲み取り、その政策を充実させることが課題ではないかと思うようになった。

 2003年に大学院生としてマイノリティ問題を本格的に勉強し始めてから、断片的に入ってきた私の貧しい知識だけでも、日本の天皇には二重の性質が見受けられる。
 一方で、仏教を取り入れた聖武天皇の奈良時代は非常に多文化空間だった。また明治天皇が西洋的な政治を取り入れ象徴として機能した一方、国内情勢のために政治的な長として何百年も機能しない時期もあった。日本の天皇には様々な歴史的な顔があるようだ。
 政治学によれば、heads of stateの部類は様々あり、一つの国の長が同時に来賓訪問の受け入れ対応等様々な行事に国の象徴として機能しながら、実質的に外交や法政に関わる国もあれば、イギリスの国王や日本の天皇のように、実質的な政治にかかわらないが国民や外国の世論形成に影響を与える国もあるそうだ。さきほど述べた日本の天皇の役割の変遷が、その時々の政治体制の反映であると説明できるかどうか分からないが、現在は政治に直接かかわっていなくとも、その国内の影響力に直面すべきではないかという疑問が強く浮かび上がる。とくに今回のシンポジウムの焦点となっているアイヌ民族、琉球の人々、国内の韓国・朝鮮人・中国人への対応に関する天皇の影響力はより強いものになれるのではという疑問が残る。天皇は何をすればこれらの人々のためにより役に立つだろうか?
 現在は歴史的経緯を振り返り、それを反省する時代だ。南アフリカ、カナダ等の国々で平和と真相を究明する和解と真実委員会が作られ、効果は微小かもしれないが、それらの国々で関係性の修復や、周辺化されてきた人々の癒しや安寧につながっているといえるのではないだろうか。
 また、2007年9月13日に先住民族の権利に関する国際連合宣言が採択され、日本も批准している。場合によっては、ある国の過去の政策に対し、その国の長が先住民族に対し謝罪をする事すら見られる。ここ20年あまり少数民族や先住民族の人権状況を促進する土台が大きく踏み固められつつある。願わくば、天皇が代替わりになる前に、その象徴的な力を発揮し具体的な行動をひとつでもとって欲しい。

■《報告》アイヌモシリに天皇をむかえて考える③開催意図

《投稿》「天皇(制)」は、曖昧・ごまかし、排外・差別、の象徴か

180728集会チラシ(A面view)

 もう10年以上も前になるが、私たちは在日朝鮮人の歴史家キム・チョンミ(金静美)さんを招いて、第3回反植民地主義フォーラム「響きあう パレスチナとアイヌ―故郷を奪うもの」(2007年)を開催した。「現在進行形の植民地主義に抵抗する道筋を探る」というねらいだった。キム・チョンミさんは講演タイトルで、「なぜ日本民衆は天皇(制)を支持しつづけることができるのか」と問うた。しかし会場の聴衆も主催者も、最後までだれもその問いに答えることは出来なかった。

 それはなぜだったのだろう。天皇制に対して闘っているものがひとりもいなかったからだろうか。あるいは日本に天皇がいるのはあたりまえで、「なぜ」と問う人がひとりもいなかったからだろうか。会場には、日本社会を糺す闘いをしているものが少なくなかった。しかし、ほんの一時期を除いて日本では、学校でも家庭でも職場でも、労働組合でも学会でも、天皇制是非の公論はもとより仲間内の議論さえほとんどしてこなかったのが実情だった。

 考えてみると、天皇や天皇制というものは最初から「答えられない」仕組みとしてつくられてきた。戦前、戦中の人々は「万世一系の天皇これを統治す」と教えられ「天皇は神聖にして侵すべからず」に疑問を持つものは非国民と非難されてきた。戦後の人々はさいしょから「国民統合の象徴」と教えられ、何故と問うことは封印されてきた。誰一人訊かれたこともないのにすでに「国民の総意」となっていた。こうして「決まったこと」として「神聖」「崇敬」「敬愛」が日本の歴史と空気に嵌め込まれてきた。

 天皇の「生前退位メッセージ」(2016年8月)を聴いた多くの国民が「象徴」を務めてきたことに「敬意」を新たにしたという。改竄、隠蔽、改憲にひた走る安倍晋三にくらべ、憲法を遵守し戦没者を慰霊して平和を祈念し、全国各地の被災者を慰問しつづける現天皇を「明君」と讃える著名な憲法学者もいる。よき翁と媼になったというひともいる。天皇のうた(御製)をひろってみると、

精根込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき(1994年硫黄島慰問)
国がためあまた逝きしを悼みつつ平らけき世を願いあゆまむ(1995年戦後50年)
沖縄のいくさに失せし人の名をあまねく刻み碑は並み立てり(1995年戦後50年沖縄)
あまたなる命の失せし崖の下海深くして青く澄みたり(2005年サイパン島慰問)
逝きし人の御霊かと見つむパラオなる海上を飛ぶ白きアジサシ(2015年戦後70年ペリリュー島慰問)

 こうしたうたに接すると、「国民の象徴」として誠意ある勤めをしていると感じると同時に、自らの戦争責任を曖昧にしたまま世を去った亡き父ヒロヒトための「償い行脚」でもあったのではないかと思ったりもする。

 しかしまた、天皇に慰められるより、死者を返してほしい、故郷を返してほしい、責任者を処罰してほしい、ちゃんと賠償してほしい、という戦没者、被災者はいっぱいいるに違いない。さらに、現天皇・皇后の慰霊や慰問を振り返っても、原発事故にかんする御製はないし、南北朝鮮への謝罪も統一祈願もない。もちろん、日本軍「慰安婦」への謝罪も南京への慰問も辺野古への激励もない。天皇の慰霊や慰問は、やはり政治的な誤魔化しに利用されていると考える人もいっぱいいるに違いない。

 「生前退位」のメッセージを聴いて、私などは「ああ、このひとたちもあの仮面をはずしたかったに違いない」とあわれに思ったものだが、彼ら皇族を解放してやるようなことは何一つしなかった。(年間60億とも100億ともいわれる皇室一族への費用を考えると人権の問題だけではないが。)日本全体、正面きって「一木一草に宿る」「空気に澱んでいる」天皇制に立ち向かっている者はごく少なかった。天皇と皇族たちの「ただの人」への解放のために、あるいは「さらば天皇制」のために、闘ってきた者はこの70年余のあいだに何人いただろうか。

 神権天皇から象徴天皇に鞍替えしたヒロヒトをおいて天皇制は語れない。1931年満州事変、1933年小林多喜二虐殺、1935年天皇機関説事件から国体明徴へと進み、1936年の2・26事件を機に神権天皇は国体の中核となって、皇国・皇軍の称号が独り歩きした。文部省は、1937年中国侵略をもう一段階拡大する盧溝橋事件の4か月前、国民の思想を画一化させるための『国体の本義』という文書を全国の小学校から大学までに対し、また官庁の出先機関にもくまなく、一斉に送達した。

 「大日本帝国は万世一系の天皇、皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給う。これ、我が万古不易の国体である。…億兆一心聖旨を奉戴して、よく忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とする…。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳(燦然)として輝いている。」と、明確に神話を国史(日本の歴史)と宣言した。内容はトートロジー(同語反復)であり、いっさいの理論的思考も分析も排撃するドグマと独裁とが横行する国と化した。神話的観念論というよりドグマでありカルトである。

 忠君愛国、尽忠報国、自己を無にして天皇のために死ぬことを強制する死の宗教と化した臣民の道、これが臣民(国民)の生きる道となった。教育は扇動の場となり教科書は洗脳の道具となった。「日本ヨイ国、キヨイ国、世界ニ一ツノ、神ノ国。日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤク エライ国。」(国民学校2年生国語教科書)皇国臣民、皇道宣布、尊王絶対、肇国宏遠、皇統無窮、滅私奉公、挙国奉公、八紘一宇、皇国史観そして国体という「天皇国家絶対主義」こそ、天皇が統治する国家の属性だとされた。

 19世紀後半から20世紀前半までの間は、台湾出兵、江華島事件にはじまり、日清、日露、第一次大戦、シベリア出兵、山東出兵、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と戦争に明け暮れ、そして最後に、自国民310万、アジア諸国民2000万人の犠牲者を出して終わった無謀な侵略戦争の歴史そのものであった。

 敗戦時に天皇が一番こだわったことは、空襲でも原爆でも幾百万の犠牲者でもなく「国体護持」だったことは中高生でも知っている。この国体(=天皇家=天皇制=三種の神器=万世一系)護持こそ、ポツダム宣言受諾の日本側の最後の条件であった。同時にそこには東京裁判で戦争犯罪人として裁かれねばならぬ天皇自身の戦争責任モンダイが横たわっていた。米軍占領の円滑推進のためにもGHQと共謀しながら日本支配層は天皇と天皇制を存続させるために、公文書の徹底した焼却と隠匿、改竄がなされたことが明らかになっている。(この手法は現在の安倍政権にまで続く。)

 「忍び難きを忍び」という聖断、そして国民には訳の分からぬ8月15日の「終戦の詔勅」によって、戦争遂行の責任問題と自国民300万人、中国などアジア太平洋の侵略地域各国の犠牲者2000万人への加害責任問題は一瞬にして「あいまい」な闇に葬られてしまった。戦争で獲得した収奪資産もそのままに。翌年1月、日米合作と言われている「人間宣言」によって現人神は否定されるが、「官民挙げて平和主義に徹し、…新日本を建設すべし」と訴える全国巡幸に踏み切るなかで、新憲法が準備され象徴天皇への見事な鞍替えが進行したのである。神権天皇制から象徴天皇制になってその政治権力は剥奪されたものの、その神聖性、神話性、呪術性はオブラートに包まれたまま、政治権力の装置にも民衆の心にも温存された。

 すなわち、「戦犯容疑」のかかっていた天皇ヒロヒトの命乞い、天皇制国体(三種の神器と天皇家)の存続、占領支配の円滑化、これら三つの妥協の産物こそが象徴天皇制であった。昭和天皇が「国体護持」のためにと称して自らの戦犯訴追を免れ侵略加害の戦争責任をうやむやにしながら「象徴天皇」に居座ったということだ。国家主義(日本ナショナリズム)の象徴として天皇は生き残ったのである。「天皇」という装置にまとわりついているその亡霊の属性どもがあるからこそ、政治利用があとを絶たないのだ。

 昭和天皇の存命、免訴、鞍替えがもたらしたものは「あいまい」だけではない。「排外・差別」もこの天皇から始まる。戦後、解放をむかえた230万人もの朝鮮人たちが子孫のために各地に朝鮮学校を建設する最中、1945年12月に旧植民地出身者は法的保護から排除され、さらに1947年5月憲法発布直前には「最後の勅令」で国籍を剥奪され外国人登録を強制された。さらにひどいのは、「捨て石」として過酷な沖縄戦を強いられ集団自決、住民虐殺の果てとして20万人もの犠牲者を出したあげく、文字通り沖縄を「捨てた」1947年9月の天皇による「沖縄貸与メッセージ」。「曖昧・誤魔化し」は「排外・差別」に姿を変えた。そして憲法の人民(people)規定を国民(nation)にすり替えてしまい、法的にも物理的にも「国民」から排除する「在日朝鮮人」差別を確定していくのは、天皇制存続の表向きと一体のものであった。

 ここで歴史を書き忘れたが、日本の権力者による「卑劣さ・ずるさ」にも触れておく。東学農民戦争の5万人虐殺、閔妃虐殺焼却、満州事変「工作」、打ち続く奇襲開戦などが隠蔽・封印された事実にも、サムライ社会に許された裏切り、騙まし討ち、奇襲の手法と精神が脈打っていたことがわかる。現在の安倍政権にも引き継がれている日本人の「卑劣さ・ずるさ」の淵源は、神権天皇ナショナリズムと武士道精神、つまりオトコ社会の自民族優越思想ではなかったのか。これはヒロヒトの延命、免訴、免責、ごまかしの精神と合致する。

 その後長いあいだ、天皇と日本民衆の戦争責任が不問に付され封印されてしまった。「朝鮮特需」や「ベトナム特需」のもたらした「経済成長」に浮かれ、ODAの卑怯な「戦後処理」の結果、いまにいたるまで戦争責任回避と植民地主義継続によって日本国は肥大化を遂げてきた。この歴史改竄がもたらす「うやむやと曖昧さ」そして「卑劣さ・ずるさ」が、私たちに植え付けられ、だれも現実の矛盾に応えることを出来なくさせてきたのではないか。

 南原繁が「退位」をすすめ丸山真男が「無責任の体系」といい福田歓一が「立憲の枠内」といっても、知的エリートでさえ「天皇制の呪縛」を解き放ってはいなかった。天皇制を噛み切ることは出来なかった。彼らの世代の「敬愛」感情は国民の無意識に引き継がれた。天皇の全国巡幸を迎えるに際して、新憲法下でありながら引率の教師は子どもたちに日の丸を持たせ土下座や最敬礼を強要した。そのため、「曖昧さ」の政治利用はすでに準備されていた。

 ほどなく天野貞祐文相による「日の丸、君が代」の復活、吉田茂首相による再軍備と「愛国心」、そして「期待される人間像」の国家主義称揚。ついに「明治100年」の「紀元節」復活と「一世一元制」を隠した元号法へとつづく。

 1965年の「期待される人間像」にははっきりと、「祖国日本を敬愛することが、天皇を敬愛することと一つである。」と謳われている。現在、祝祭日のほとんどが天皇制にまつわるものばかりである。神話を事実と塗り固める虚構のニッポン。時代を天皇の名で呼びつづけるアナクロニズムが平然と「平和と民主主義の日本」を覆っている。

 11月3日は、明治天皇の誕生日「天長節」が「明治節」となり、敗戦後には、新憲法公布の日として祝日の「文化の日」とされた。ところが、安倍政権からはじまった「明治150年」の一連の記念事業と符節を合わせて「明治の日推進協議会」がつくられている。「同協議会」の請願では「明治天皇と一体となり国づくりを進めた明治の時代を追憶するための祝日」とするよう求めている。国会内の集会で当時の防衛大臣稲田朋美は、「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つにがんばりたい。」と語った。

 安倍政権の「明治150年記念事業」は、北海道において「命名・開道150年式典」となり、アイヌ民族の大地アイヌモシリを根こそぎ略奪した「開拓」を「先人の偉業」と賛美し、「滅びゆく民」「土人」として排除し生計の道を奪い蔑み棄民として差別してきた歴史を、それへの謝罪も賠償もせずに、「互いに認め合う共生の社会をめざして」と謳いあげている。

 日本の植民地主義は江戸期よりもっと前から始まっていたが、1869年(明治2年)箱館戦争鎮定に際して、明治天皇は「蝦夷地之儀ハ皇国之北門」とし、「是迄(幕末には)官吏ノ土人ヲ使役スル甚苛酷ヲ極メ」たが、これからはアイヌを撫育(同化)して「人民繁殖之域トナサシムルベク」開拓せよ、と命じたことから、劇的なアイヌの被虐の歴史が始まる。アイヌ民族に何の断わりもなしに北海道全域を領有し、アイヌに泥炭地など脆弱な土地をわずかに「下付」したものの、すべての土地と資源を奪い、アイヌを「旧土人」として差別しつづけることになったことは、誰もがみな知っている。

 2020年東京オリンピック開催の年、北海道白老に「民族共生象徴空間」が誕生するという。200億円ちかくが投入されるこの施設に、北大、東大、京大、阪大など旧帝国大学研究者が戦後もなお盗掘しつづけた「アイヌ遺骨」を集めて「慰霊の象徴空間」にするのだという。

 本来であれば、歴史的な排除・差別を謝罪し、北海道の天皇御料、国立公園の全部あるいは一部でもアイヌ民族に返還してコタンとイオルを再生し、先住民族の自治権・自決権を認めることによって、はじめて「共生」の端緒が据えられることになるはずだ。ところが、北海道アイヌ協会、北大アイヌ・先住民研究センターも参画している内閣府アイヌ政策推進会議の上記施設設置の目的は、「アイヌ文化を復興・発展させる拠点として、…将来の…共生社会を構築し…より良い社会…の象徴」とするとしているだけだ。先住民族アイヌの民族としての再生を一顧だにせず、遺骨を盗掘した大学は謝罪も賠償もせず、それらを集約してその「文化」を記念する象徴空間をつくればいいというものである。これでは、アイヌ民族を風俗⇒観光⇒文化研究の「対象」とする「視線」は、1903年の人類館事件と同じものではないか。建設中のこの「象徴空間」は、いまアイヌ民族を分断する新たな火種になっている。

 さらに問題なのは、民法の祭祀継承者という壁を乗り越えてようやく切り拓かれたコタンへの遺骨返還の道が閉ざされる恐れである。ここで集約的に「慰霊」するとなると、コタン再生の道がいっそう遠のくことになりかねない。歴史的にさらにひどいことは、「滅びゆく民」と規定された明治以来、科学的な人口統計はただの一度もなされたことがなかったことである。道庁が委託主導して「ウタリ協会(現アイヌ協会)」が実施してきた「生活実態調査」は、まったく人口統計学的な調査ではなかった。したがって現在もなお、アイヌ民族自身が列島各地域の正確な同胞の人口数を知らないままでいる。これでは民族の自立も自決もあったものではない。すなわち日本政府は、「科学的」と称する人類学者に盗掘を認めておきながら、科学的な人口統計調査を一貫して意図的にサボタージュしてきたということだ。

 むしろ「先住民族権利宣言」(2007年)を批准しアイヌ民族を「先住民族」と認めた日本政府がいますべきことは、もしそれへの抑圧の歴史を心から反省するのであれば、アイヌ民族を蔑み貶めた差別の歴史を批判的に保存展示することである。それは、アイヌ民族自身の手によって「コタン破壊と民族離散、旧土人差別と人権侵害の歴史博物館」がつくられるのを支援することではないか。日本歴史の正しい認識のためにも、後世の若者たちのためにも、たんなる文物博物館ではなく人権歴史博物館こそが必要だ。

 土地を奪った者、その土地に入植した者、という反省の意識を欠いたままでは、「共生」という声はあげられないのではないか。アイヌを暴力で同化し差別し零落させた後、囚人労働とタコ部屋労働さらに朝鮮人・中国人の強制労働の過酷な犠牲者たちの骨の上に北海道の「開拓」があったということは、消すことができない事実だ。200億円もの施設を作って、カネの勢いで「和解」や「共生」を強要する日本人の傲慢さは、明治の膨張主義、国家主義、つまり植民地主義をそのまま引き継いだ精神構造と言えまいか。

 内に「安寧」をことほぎ外に「まつろはぬものどもを討ち平らげる」のが、天皇の最古からの役割だ。8世紀末、蝦夷征討の坂上田村麻呂は征夷大将軍として東北の阿弓流為(アテルイ)を討ち滅ぼした。20世紀、昭和の時代になると征夷は大東亜共栄圏から八紘一宇へと拡大され、天皇と国家と臣民が一体となって侵略戦争に邁進した。終生闘うアイヌであった故北川しま子さんは、日の丸、君が代を「あれは強盗団の旗、強盗団の歌」と看破した。

 環オホーツク海域の先住諸民族の土地を一方的に確定、略奪する明治以降の侵略膨張政策によって、アイヌモシリ、クリル、サハリンなどは日本国に編入された。その国境画定によって、アイヌ、ウィルタ、ニブフ、ウルチ、ギリヤーク、イテリメンなどの北方先住少数民族は分断されたばかりか、その後に「入植」させられた日本人、朝鮮人、ロシア人と混交し、さらに「残留」分断させられることになった結果にも、日本人と日本政府は何の罪責意識をももつことなく150年を生きてきた。

 こうして「植民地主義をなかったことにして」、あるいは過酷で非人道的・人種差別的な「同化政策をなかったことにして」済まそうという「持続する植民地主義」は、いまも辺野古で、分断されたアイヌの生活基盤で、在日朝鮮人の生活圏と朝鮮学校で、着々と遂行されているのが歴史の現在である。悲しい実例が、ちょうどひと月前、関空税関職員によって実行された。無償化除外で差別されている神戸朝鮮高校の生徒たちが修学旅行で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を訪問したという。楽しい修学旅行の思い出を胸に帰国したものの、関空税関で民芸品や化粧品、お菓子などの「お土産」をほぼ全部没収されたという。生徒たちは泣きじゃくり、怒り、抗議したらしいが「お土産」は戻らなかった。命令したのは、北朝鮮「脅威と制裁」で漁夫の利を得た安倍政権の経産省である。税関職員の子どもだって修学旅行の「お土産」を買ってくるだろうが、これが「天皇を象徴とした美しい国」日本人のレイシズム(人種差別)の現実である。

 イスラエルに占領された西エルサレムに「ヤド・ヴァシェム」というホロコースト記念館がある。ホロコーストの追悼を記念するといいながら、「ユダヤ民族2000年の苦難の歴史」が陳列されてもいる。本来のユダヤ教とは無縁の「民族や国家」を礼拝(らいはい)祈念する建国神話の国家施設である点で、日本の靖国神社と遊就館を想い起こさせる施設となっている。

 国家には建国神話がまとわりついている。建国の象徴があり正当化があり自民族美化がある。イスラエルの場合は、偽造された3000年の被虐の歴史でありホロコーストである。日本の場合、戦後再出発した「平和と民主主義」であるかもしれないが、やはり古くは天皇を戴く「万世一系」「神国日本」「日本固有の民族宗教」などという神話で偽造された歴史が下敷きにありそうだ。歴史の偽造は自民族美化と手に手を取って増幅拡大する。中東唯一の「民主主義国家」と美化する一方で、政治家もメディアも国民も自らが被害者に貶めた隣人のジェノサイドを叫ぶ「レイシズム国家」イスラエル。侵略地への入植を非難する国連決議に、3000年前からの「約束の地」だと嘯くイスラエル。他方、長く過酷なアイヌ、朝鮮人差別をしながらいまだにアイヌモシリを略奪し差別したとは認めず、国家責任の謝罪も賠償もなしに「平和と民主主義」の国と自認して、その根拠の薄弱さを怪しむことのない荒んだ社会の現実ゆえに、絶えず「美しい日本」の扇動に酔いしれながらひたすら戦前回帰を目ざす日本なのだ。

 「殖民」と野蛮な国家形成を絶えず正当化したがる日本国とイスラエル国が、2014年から2015年、軍事同盟まがいの握手をして国家主導の軍産学複合体形成に着手し、戦争をする国・戦争で儲ける国に向けてひた走っている。自分たちの野心だけを粉飾・聖化して、歴史的な現実、民衆の現実を無視するそのきわ立った国家信仰(ナショナリズム)と根深い歴史偽造の性向を抱える両国の連携は、民衆を殺害する先端武器供給だけでなく世界民衆をごまかす新たな言説供給の火種となる危険も併せ持っている。歴史的事実の歪曲と加害責任の否認を繰り返すイスラエルと日本の歴史偽造は、その根が古く奥深い。今後の人類の植民地主義・人種主義の清算と克服という課題にとって。Restoration(復興=維新)神話への回帰を共にする両国の変わらぬ民族主義的野望は地政学的にも世界の悪性腫瘍の根源とみなされることになるであろう。

 日本の神国イデオロギーこそ、欧米中心主義が支え利用するシオニストのユダヤ民族史観と同様、人種差別主義(レイシズム)の根拠となる思想だ。そのはじめから、自民族優越、他民族蔑視の差別史観であった。神話を歴史そのものにすり替えて成り立ってきた日本の天皇制と近代史、近代国家、いっさいのねじれはここにはじまる。

 古代では、天皇家=朝廷に属する領地を公(おおやけ)といった。それが国家・社会となり私に対する公となった。この上からの公(おおやけ)が学校にも職場にも巷にも幾重にも重なり合い呪縛し合い、さらに国家社会の公(おおやけ)に繋がっていつでも国家に回収される構造になっている。日本人は、いまだにお上(かみ=神)から賜った(下賜された)公という観念から抜けきらないでいる。

 ヨーロッパ市民社会が、ユダヤ人差別を温存しイスラーム教徒移民・難民への憎悪を拡げつつも実現していると称してきた市民の公共空間と比べてみても、それとすら似て非なるものである。だから日の丸、君が代で起立しないと処罰されるといった世界的にも普遍性のないことが日本では平気で横行する。天皇を「隠れ蓑」にして権力の横暴が許される場、国民を馴致する場、思考停止させ自他ともに人権を消去する場、これが日本における公の役割である。だから国家システムを左右する政財界の権力者たちは皇室の存続を固守するのだ。かつて福沢諭吉は、「愚民を籠絡する」欺術としての帝室(神権天皇制)を、日本国に欠かせないものとして推奨した。いま安倍晋三は、アンダーコントロールという公然たる嘘で「パンとサーカス」たるオリンピックを招致し、「ニッポン、チャチャチャ」を唱和させようとしている。

 安倍政権や日本会議の歴史修正主義者たちの国家目標にとって「日本を取り戻す」という復古主義は、自在な煙幕でこのニセ「公」という場を利用して歴史と現実を正視しなくなるようにさせる人心支配と国家主義を目指す、またとない呪文、モデルなのだ。

 冒頭の「だれも答えられなかった」に戻るが、私たちは上から措定された差別を黙認し、曖昧さのなかに漂って、反応する力を失ってきたのではないか。日本人の度し難い曖昧さ、無反省、ごまかし、これらはアイヌや在日朝鮮人を差別・蔑視してなんとも思わない根深い植民者根性に根差しているのではないか。象徴天皇というお飾りは、どう考えても植民者根性を覆い隠す呪文、思考停止してよしとする集合的呪文になっているのではないか。答えたくない、答えられない、だから黙ってやり過ごす、だからごまかす、「美しい」などと偽造する、それにも黙ってしまう、歴史にも現実にも正視すること直視することを忘れる、こういう自己欺瞞の「象徴」こそが天皇ではなかったのか?

 日本人民は、天皇という虚構からいつ解き放たれるのか。いま世界では、世界人口の92パーセントがおよそ君主や王権のない共和制のもとで暮らしている。いたるところで「さようなら天皇(制)」の声をあげよう。どんな民族でも共生する誰のものでもない列島となるため、人間として人類が共に生きるために、列島の主(ぬし)として君臨してきた「日本人」が問われている。

2018年7月20日
天皇制を考える市民の会へ投稿
パレスチナ連帯・札幌 松元保昭