「報告」カテゴリーアーカイブ

【学習会報告】反天連学習会 菅孝行編著「Xデーがやってくる! 危機の中の天皇制攻撃」(柘植書房、一九八四年)

六月の反天連学習会で読んだのは、結成前後の反天連をもその内に含む、一九八〇年代前半の運動状況を色濃く反映したテキスト。

反天連ではこの間、ヒロヒト「Xデー」に関連した本を読んでいるのだが、そもそも当時、「Xデー」はどのようなものとして想定されていたかということを確認したいと考えたのが、この本を選んだ理由であった。

その課題は、巻頭の菅孝行の論文と、巻末の山川暁夫の論文を読むことで果される。菅は言う。一九八三年以来、天皇・皇族のシンボルの下での国民統合を強化しようとする権力の動きが急速に露骨になってきた、そしてそれに呼応するように、山谷や日大に代表されるような、天皇主義右翼=民間武装反革命の本格的活動が始まっている。天皇制攻撃の本格化は、日本帝国主義の危機の深化による。それは「第三世界」諸国人民の反帝国主義闘争の前進によって規定された西側世界=統合帝国主義の危機である。アメリカの対ソ限定核戦争戦略、中曽根政権の登場もそうした危機への対応である。「利害の思想としての国益主義から倫理としての殉国の思想へ」、それは天皇以外の統合軸を見いだし得ない。

山川は、「Xデー」を通して「『戦後』意識が国民から消え、新時代意識が扶殖される」と分析した。巨大な「世替り」意識によって、現憲法は「昭和憲法」として相対化され、「『昭和史の終わる日』こそが、改憲実現への決定的跳躍台にならないと限らない」、と。

いまやアキヒト天皇が戦後秩序の「擁護者」とさえみなされていることを考えれば、これと異なった展開をしたことは明らかである。天皇の戦争責任の解消は、「代替わり」によって「自動的」になされたのではなく、新天皇の、それを自覚的に果たす「努力」の持続の姿の繰り返し(という演出)によってなされ、平和主義・護憲天皇というイメージを強化していったはずだ。

学習会でも、まずはこのように予期された「Xデー」が、現実に展開したそれとはかなりずれていることの確認から始まった。もちろん、そのことの指摘はたやすい。冷戦構造の変容・帝国主義と第三世界の位置の変化という時代の流れに、現実の「Xデー」がぶつかったことは大きかったと思うが、想定されていた危機の条件が変わっていたのだ。そしてそもそも、ある種「危機論」的な分析視角や、天皇制強化=「復古反動」論とは一線を画していたとはいえ、戦前的天皇制に連続したイメージで捉えられていたところの天皇観に、バイアスがかけられていたこともあっただろう。この本ではほとんど論じられていない「大衆天皇制」状況も含めて、現代資本主義における天皇制のリアルな認識作業が必要だった。けれども、「Xデー」に向けての「切迫」した気分というものは確実に存在した。天皇制が天皇制であるかぎり、本質的には変わらない天皇制攻撃の質というものが確かにあり、それぞれの運動現場における「天皇体験」は、ソフトな顔の下に露出するハードなものであったということだ。

このような現代天皇制の二重の構造は、何よりも現実の反「Xデー」闘争の過程で、天皇制の実像に迫る中であらためて見出されていったことであっただろう。

この本では、菅、山川の論文以外のすべてが、現場と課題からの運動報告である(愛知・管理教育、立川・動員、戦争責任、警備、山谷・右翼テロ、精神障害者差別など)。この本の初版のあとがきで、反天皇制の「先駆的な闘い」とされてきたそれらの実践は、このときすでに、それぞれの現場における反撃が、同時に反天皇制運動とならざるをえないことの発見の過程を示している。現実に登場した天皇制の姿は多少は違ったものであれ、それへの反撃は、形を変えて持続しているのだ。 次回は七月二六日。テキストは朝日ジャーナル編『昭和の終焉:天皇と日本人』

(北野誉)

【集会報告】第Ⅸ期から第Ⅹ期へ 反天連討論集会 どうなる!? どうする!?天皇制と反天皇制運動の現在

反天連が第10期を迎えるにあたって運動の今後を考える討論集会が七月二日、14時からピープルズ・プラン研究所で開催された。

トップバッターは伊藤晃さん。日米同盟下での国際協調による世界平和という主流の意識に民衆の平和意識を折り合わせていくのが象徴天皇制の機能だったが、安倍の積極的平和主義はそれを突き崩そうとしている。さらに大東亜戦争下の国民一体の継承と戦後平和意識の矛盾を慰霊行為で解決しようとしたが、戦後民主主義に内在した侵略性、排外主義、人種主義、男権主義に対する象徴天皇制の隠蔽が行き詰っていることを指摘した。こうした二つの矛盾を乗り越えようとする象徴天皇制は決して戦前の復古ではなく、私たちは様々な民衆運動をつなげて自立的な社会的共同をいかに形成できるかが課題であることを提起された。

立川テント村の井上森さんは、二〇一五年のSEALDsに見られる「戦後の選び直し」が実は「戦後批判」の忘却を意味しているのではないか、という重要な問題提起を行った。そして「戦後批判」を東アジアの民主化運動の(屈折した)一部として自己定位し、新たな「国民運動」の中に投げ返していくこと、それはとんでもなく細い道だが、不可能ではないと。

最後は天野恵一さん。象徴天皇制体験の思想的総括が必要であること、それは歴史として客観化してみる作業である。象徴天皇制と対決する民主主義という土俵で、様々な歴史体験がクロスする必要があるという問題提起。

その提起を受けて後の討論では、昭和天皇Xデー状況における自粛問題が戦後でも初めての天皇制体験として捉えられたという天野さんの発言を契機として、あの時代を様々な角度から検証する議論が出された。しかし、次なるXデー状況に対する予測はかなり発言者によって異なり、自粛状況が再現されるか否かについても意見は大きく分かれた。

わたし的には井上さんの戦後批判の隘路と天野さんの民主主義論をもう少し関連させながら議論したいとの思いが残ったが、今後の議論に期待しよう。

最後に井上さんからこの反天連通信が質の高いメディアであってほしいという注文が出され、ますます「ALERT」に対する期待が高まり、多くの仲間で支えていかなければならないという思いを強くしたのであった。

(宮)

【集会報告】安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う 4・28—29 連続行動報告

今年の四・二八〜二九連続行動は「安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う」というテーマで設定された。この間、反天皇制を課題とする実行委の行動は、一九五二年四月二八日のサンフランシスコ講和条約と日米安保条約の発効に始まる、沖縄に対する米軍支配の問題を、昭和天皇裕仁の戦争・戦後責任の問題と重ねて提起、二〇一〇年からは「反安保実行委員会」との共闘による連続行動として取り組まれている。今回の闘争は、とりわけ、昨年九月に強行され、今年三月末に「発効」させられたばかりの安倍戦争法下においてのものとして、重要な意味を持つものでもある。施行された戦争法の「集団的自衛権」により、沖縄は米軍と自衛隊の最前線としての存在を、これまでよりさらに厳しく強いられることになった。

四月二八日は、これまでも「沖縄デー」として数々の闘いが重ねられてきているが、この日、実行委は、文京区民センターにおいて屋内集会を開催した。沖縄から日本基督教団うるま伝道所牧師の西尾市郎さんをお招きして「沖縄『構造的差別』の歴史と現在」と題した講演をしていただいた。

現在、自民党は改憲の突破口として、東日本大震災や現在も続く熊本・大分の大震災を利用し、憲法に「緊急事態」条項を挿入しようとしている。これが実現すると、災害などをきっかけに憲法を停止した独裁がすぐに行使されるだろう。西尾さんは、この「緊急事態」法と辺野古における闘いが一つのものだというところから語り起こされた。
沖縄における反戦・反基地の闘いの基底には、沖縄戦における苛酷な経験が語り継がれ、共有されていることが存在する。「蛆が人間を食う音」「人間が腐っていく強烈な臭い」などのリアルな体験が沖縄戦の記憶としてあり、これらが「平和」を希求する意思をつくっているのだ。人の痛みに共感する人間性こそが、辺野古をはじめとする現在の沖縄における闘いの根本だ。だからこそ、私たちの闘いは分断され対立させられてはならない。こうした体験をもとに、平和をアジアとの連帯の中で実現していくことの重要性が、講演の中で何度も強調された。

引き続き、今回の実行委から天野恵一が発言。いま、昭和天皇の「沖縄メッセージ」による沖縄の米軍への売り渡しの事実や「尖閣」諸島など「領土」問題が、歴史修正主義者たちの主要な論点として浮上しており、なかでもR・D・エルドリッジによる歴史解釈の読み替え(「オキナワ論」新潮新書ほか)については、今後も批判的検討が重要になることが、集会資料の解説とともに報告された。

引き続き、会場発言として、一坪反戦地主会関東ブロックの大仲さん、辺野古への基地建設を許さない実行委員会の中村さん、ストップ辺野古埋め立てキャンペーンの芦沢さんから問題提起。さらに、明治公園野宿者への攻撃への反撃を訴えるアピールが反五輪の会よりなされて、集会は締めくくられた。この日はいろいろな行動と重なることもあってか、参加者は七五名だった。

明けた四月二九日には、新宿柏木公園からデモ行動が行われた。出発前の公園において、まず実行委の国富建治から、前日の集会を要約する報告とともに「この『昭和の日』は、天皇制の延命のために敗戦を遅らせ、悲惨な沖縄戦を招いたばかりか、戦後における『構造的沖縄差別』の成立に対しても大きな役割を果たした昭和天皇を賛美する日だ」と提起、さらに前日に引き続いて西尾さんからも発言を受けた。参加者からは、「自由と生存のメーデー」実行委、「伊勢志摩サミットに反対する実行委」による新宿デモの提起、G7茨城・つくばサミット反対を取り組む戦時下の現在を考える講座、「三多摩メーデー」への参加を呼びかける同実行委からのアピールがなされ、デモに出発した。

今回のデモに臨んでは、二月一一日のような不当な規制がなされないように強く申し入れをしていたこともあってか、警察による弾圧は、これまでのなかでは比較的小さいものだった。もちろん、右翼はつきまとい、妨害・暴行をねらう挑発を繰り返したが、私たちは毅然として行動を貫徹することができた。解散地の柏木公園においては、明治公園弾圧の救援会からのアピールを受け、この日の成果が確認されて行動を終えた。参加者は約九〇名だった。

(のむらとも)

*共同行動報告集(2016年6月10日発行)より

【学習会報告】天野恵一「マスコミじかけの天皇制」(インパクト出版会、一九九〇年)

今回のテキストに収められた諸論文は、反天皇制運動連絡会の活動の中でも、とんでもなく慌しかった「Xデー」前後の二年間、八八年の初めから八九年末にかけて書かれたものばかりである。八七年の裕仁の沖縄訪問予定が流れ、政府と宮内庁の情報隠蔽の陰からも、裕仁の重病を明らかにうかがわせる情報が伝わり、「Xデー状況」が政治の前面に躍ることになった時期だ。

この時期、天野は反天連第一期のニュースと日本基督教団の靖国・天皇制情報センター通信に、合わせてほぼ月に三回の連載を書き、インパクション・新地平・クライシスなどの雑誌にも天皇制に関する原稿を多数書いている。この本は、それらを集めたものであり、したがってこの時期の天皇制に関するクロニクルという性格のものとなっていることで、唯一無二のものといえるだろう。

書かれているテーマを拾うだけでも、一つひとつが再考に値する、現在もなおアクチュアルなものだ。たぶん著者も含めて忘れかけているだろうこれらを、あらためて記憶喚起しておくことは、近い将来に訪れるはずの明仁「平成」のXデーについて考えるためにも重要だ。

裕仁の重体が顕わになって国家とメディアによって演出された「自粛」を、天野は全社会的な「天皇儀礼」として掴みだす。この天皇儀礼は、「非政治」的な政治の貫徹であり、「非宗教」的な宗教行為として、国家神道を否定し政教分離を実現したはずの戦後国家を席巻したのだ。そして裕仁の死後、即位・大嘗祭といった天皇制の儀式が、日本国憲法のもとで、当然のように国家儀礼、政治行為として解釈され、その根拠も疑わしいものが詐術により麗々しく権威づけされて登場したのである。さらに、明仁による「護憲」発言はいまなお価値づけされ、決して天皇主義者ではないはずの知識人たちの足元を危ういものとしている。その具体的な形相を、この時期の歴史事実や人々の発言とともに、捉えかえしておかなければならない。いまの私たちの「民主主義」についてのスタンスも、この時期に、天野を含む各地の反天皇制の活動家たちとともに組み立てられたものだ。

この本をン十年ぶりに再読するとき、かなり危うく古い内容になっていないかと心配でもあった。読み直してみて、(留保はあるが)内容面ではそんなことはない、と言っていいと思う。これは収穫だった。

次回テキストは菅孝行編著『Xデーがやってくる!』(柘植書房)。六月二八日七時から。

(蝙蝠)