【学習会報告】茶谷誠一『象徴天皇制の成立:昭和天皇と宮中の「葛藤」』(NHKBooks 、二〇一七年)

八月のテキストは若手研究者の新刊書。これまで反天連学習会で何度も議論してきた占領期の天皇制分析だ。とはいえ、著者の視点やアプローチの方法が違えば私たちの論点も増えるので、何度でもOKさ。

本書では、主に昭和天皇と側近たち、日本政府、GHQの「三つの勢力の言動分析を中心に、これらの勢力の周囲で奔走していた関係者などにも注意しながら、象徴天皇制の成立過程を検証」されている。特徴は、天皇や側近たちの厖大な日記、関係者たちのメモ等をもとに分析が進められており、記述内容の信憑性など疑いつつも、これまで読んでいたテキストを裏付けていくような分析も多い。いまではよく知られている、当時の天皇側近たちによる天皇の政治関与を巡る暗躍もなまなましく、議論の素材としてはおもしろいテキストだった。

著者の茶谷は、榎原猛による「君主制の国家形態分類」を引き、戦後の象徴天皇制を「象徴君主保持国会制的間接民主制」と規定する。GHQが模索した天皇制の形態もこれであって、それに抵抗する昭和天皇と側近たち、支配者層の時代が長く続くが、明仁天皇によってそれがようやく「確立」したという。

へ? それでよかったのか!? 著者に詰め寄りたくなるような結論に、このような分類自体が問題を見えづらくするのではないか等々、さらに議論は展開。しかし本書は、この結論を導くために書かれているのでは、とも思えてくる。

実はこの本は、本誌7月号(一三号)の書評欄で、国富建治さんによって紹介されている。そちらもぜひ参照していただきたい。

次回は九月二六日(火)。テキストはまたしても新刊:吉田裕ほか編『平成の天皇制とは何か』(岩波書店、二〇一七年)

(桜井大子)

【書評】『福島原発事故から6年「復興」の名の下に切り捨てられる人びと』

今回ご紹介するのは、”Alert” 9号「集会の『真相』」でも報告させてもらった、二月一九日に上記のタイトルで行ったシンポジウムのパンフレットです。福島原発事故緊急会議ではここ数年3・11 前後は当事者の声に耳を傾けることに重点をおいてシンポジウムを企画しています。

今年は郡山市在住で「原発いらない福島の女たち」で活動している黒田節子さんとFoE Japan の満田夏花さんのお二人。
随分と時間が経過しての発行になりましたが、パンフ作成にあたり書き下ろしてもらったものです。

自主避難者の住宅提供が三月末で打ち切られるという厳しい事態を目前に控えて行なったシンポジウムでした。

あれから半年、悲しいことにその内容はリアリティーを失ってないどころか、ますます厳しいものとなっています。

今夏、戦時下の大本営発表のごとく安倍政権追従のマスコミ各社は、北朝鮮の弾道ミサイル報道を加熱させ、それは現在も継続しています。冷静な分析や解説がなされることはほとんどなく、人々に恐怖だけを与えるような報道姿勢。

安倍首相は、「国民の生命をしっかりと守るために万全を期す」と発言をしました。その言葉のなんと空虚なことか! このパンフは守られるべき人々の生命が、「国家」により簡単に切り捨てられる現在の具体的な報告です。

全国瞬時警報システム(Jアラート)の警報音が鳴り響き、ミサイルの飛来を想定して頭を抱えてうずくまる人々の避難訓練の様子。地下鉄や新幹線も止める。このような中、原発は次々に再稼働されています。まるで原発事故はなかったかのように。いいえ、事故によって新基準をクリアできているから安全だという新たな安全神話によって。

こんな無駄な訓練よりも、先ず原発を止めるべきだと天野さんも書いていますけれど、そう思います。

この七月に、破壊措置命令を常時発令していることを理由に、関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の運転差し止めを求める仮処分が大阪地裁に申し立てられたということです。その仮処分の第一回審尋が開かれ、関電側が「運転を停止すべき程度に、具体的かつ現実的な危険が切迫していない」と却下を求めたと新聞で報道されていました。八月二九日に安倍首相が「これまでにない深刻かつ重大な脅威」と発言していますが、原発は停止されていません。この申し立ては面白いと思います。権力者や支配層がいかにご都合主義か。今、私たちを取り巻く状況のあらゆる場面で展開されている悲喜劇的な政治です。けれども、その嘘がまかり通っている社会の中で、直接被害を受けている当事者の声はかき消されてしまう。その悔しさ、憤り、政府の不条理を黒田さんは訴えます。

「汚染水はアンダーコントロールできている」という安倍首相の大嘘でスタートしたオリンピックに向けて動き出した時間。

黒田さんは「『復興』を声高に叫んで公共事業を推進し、東京五輪を控えて避難指示解除をいそぐことが本当に地域再生につながるのか」と問いかけます。

三〇枚のスライドとともに、この六年のフクシマの実態が報告されていますが、国の不条理と闘ってきた歴史でもあります。

満田さんは公のデータをベースに、当事者によりそった視点で、「国策」として推進され、現在も継続する原発政策における被害の客観的事実を紹介。避難・帰還政策に重点を置いた報告となっています。

加害者が誰一人責任を問われることはなく、それどころかその加害者が継続して今も原発に関わっている。
事故から六年、次々に原発再稼働が強行されています。

「目の前を通り過ぎようとしていることに、愚鈍でも誠実に向き合ってやっていきたいと思っています」と黒田さんは最後に締めくくられました。

●定価:五〇〇円
●申込先:2011shinsai.office@gmail.com

(平井由美子)

【今月のAlert】天皇代替わりへの取り組みを開始する11月行動に向けた議論を!

裕仁の代替わりに向けた動きがようやく鮮明になってきた八〇年代の初めに、私たちを含む反天皇制運動の流れが、少しずつ形をとり始めた。昭和天皇の戦争責任を批判し、日本国家の歴史を厳しく問う声も、それを根源的に問題とする政治的な闘争も実証的な論理も、メディアなどで表面化されることは切れぎれながら、ずっと持続されてきたのだから、あまりに遅すぎる取り組みではあった。しかし、政府による裕仁の在位六〇年のイベントへの批判があり、さらにその翌年の裕仁の重病発覚とXデーの過程で、「昭和史」がどのようなものであったかが、あらためて多くの人々にとって意識され、天皇制の歴史を文化や日常意識までも重ねながら批判していくことが、あたりまえの前提となりうるきっかけを、それぞれが掴んでいったのだ。

八九年の明仁への代替わり以降、「慈愛」や「祈り」をたれる「聖家族」としての天皇一族の演出はより強化されている。
そのなかで、政治家はもちろん多くの法学者も歴史家も、明仁らに対する批判を抑制し、存在や「人格」の賛美にまで踏み込むことが頻りとなった。
帝国憲法や勅語で人にくびきをかける「國體」による支配から、無意識な翼賛へと社会全体が大きく舵をとっているように見える。

明仁の「平成」は、八〇年代末からの世界的な歴史変動と、日本国内における経済破綻と衰退、地震や原発事故などの大規模な災害を経てきた。いわゆる「国民意識」なるものがあるとして、それは生まれ育ちや階層による既得権益を至上のものとしたり、民族などへの差別排外主義をその存立根拠とする必然性など、こうした変化の中でもまったくなかったはずだ。しかし、この時期には、国家の新自由主義などの政策とともに、そのような志向が社会全体に行き渡り、社会の軍事化や歴史修正主義の影響もまた、この時代にはくっきりと刻印されている。

昨年の明仁による「メッセージ」以来、ようやくこの時代を理論面から焦点化する動きが少しずつ現れ始めている。近刊の「平成の天皇制とは何か」(吉田裕・瀬畑源・河西秀哉編、岩波書店)などもその一つだ。その中では、例えば「明仁天皇は『接見』という一見非政治的にみえる公的行為を通じて政府の政策を支持するメッセージを発している」(吉田裕)など、当然の指摘が、それにしてはあまりにもおずおずと複数の論者から提示されている。これは裕仁や明仁天皇の「権威」と政治権力の行使すら、私たちの闘いがまだきちんと指弾しきれていないということの反映でもある。しかし、だからこそ、天皇代替わりの日程や事象がどのように展開するかということへの分析も含め、対抗的な内容を、運動の側から至急に具体化させていかなければならないと感じる。

今年の夏は、八月十一日の集会、例年の八月十五日の反靖国行動で一段落した。今回もまた、悪天候にもかかわらず熱い共闘体制を組み立てることができた。しかし、核やミサイルといった朝鮮半島の軍事的緊張を追い風として、いったんは大きく揺らいだ安倍政権による一極支配が救われ、改憲策動をはじめとする攻撃が、この秋からは早くも具体化していきそうだ。

これに秋篠宮眞子の婚約〜婚姻や、「明治一五〇年」、東京五輪などというイベントが絡み合って、天皇の代替わり過程が、天皇制の権力拡大や「国民意識」の再編として進行させられようとしている。これらは、いかにハレのイベントとして扱われていようとも、世界的に広がるレイシズムや暴力、戦争の危機とともにあるということを、私たちは知っている。一一月には、天皇代替わりと反天皇制のネットワークの構築に向けて、集会を準備開始している。大きな注目を呼びかけたい。

(蝙蝠)

【表紙コラム】

雨の8.15行動が終ったその3日後、私は暑い香港にいた。本紙でも何度か紹介されている安倍靖国参拝違憲訴訟には、たくさんの海外からの原告がいるが、香港の古い友人もその一人だ。その彼女に会うこと、そして彼女が法廷で証言し、紹介した、旧日本軍による香港占領を伝える「香港法治の旅」を、彼女の案内で歩くことが香港行きの目的の一つだった。

日本軍が香港を占領するまで最高裁判所としてあった建物は、日本軍占領下、憲兵隊本部として使われ、弾圧の拠点とされた。無法で暴力的な軍事占領の象徴的存在だ。司法の最高機関を軍によって蹂躙したこの歴史を、東京地裁の裁判官はどのように聞いたのか。だが、彼女の証言は裁判官の胸にはどのようにも響かなかったようだ。判決文では一顧だにせず、そのような歴史を是認あるいは無きものとする、安倍、靖国、国を無条件に容認した。

日本軍による銃撃の痕が残る石造りの古い西欧風建造物たち。それは西欧列強国の支配の跡でもある。今回の「法治の旅」をとおして、古い建物たちの、その美しさとは裏腹の、幾重にも支配の跡を残す傲った顔が見えてくるのだった。

翌日、その裁判所に向かって歩く政治犯釈放を求めるデモに、友人に誘われて参加した。道路はみるみる人で膨れあがり、路面を走るトラム10数台が連なり、いたるところでストップしている。歩道からコールが投げかけられ、歩く人々が呼応する。主催者がそれとして見えないデモの参加者は10万人だったとか。参加者は実に自由に歩いていた。

大国支配の歴史を生きる香港の人々の自治と民主化を求めるデモは、とてもアナーキーで力強く、そして冷静で熱かった。

(大子)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 15号(2017年9月 通巻397号)

今月のAlert ◉天皇代替わりへの取り組みを開始する11 月行動に向けた議論を!(蝙蝠)
反天ジャーナル◉トメ吉、はじき豆、山城さんもお薦め
状況批評◉「ヤマザキ、天皇を撃て!」奥崎謙三の「憲法第一章無効論」再考 (田中利幸)
ネットワーク◉二〇二〇年オリンピック災害はおことわり!(宮崎俊郎)
書評◉『福島原発事故から6年「復興」の名の下に切り捨てられる人々』(平井由美子)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈88〉◉過去・現在の世界的な文脈の中に東アジア危機を置く(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈15〉◉「先の戦争」の何がどのように「深く」、「反省」されているというのか:〈壊憲天皇明仁〉その13(天野恵一)
野次馬日誌
学習会報告◉ 茶谷誠一『象徴天皇制の成立:昭和天皇と宮中の「葛藤」』(NHKBooks 、二〇一七年)
集会の真相◉ 8・11 天皇制と戦争:アキヒトにも責任はある!+8・15 反「靖国」デモ/8・12 平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動/8・13 「お気持ち」なんか知らない 忖度しない集会・デモ(つくば)/8・25 警視庁機動隊の沖縄への派遣は違法住民訴訟大集会/9・2 日生前退位、何が問題か「天皇代替わり・憲法・政教分離・これから」神奈川集会
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

*2017年9月12日発行/B5判16ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【集会宣言】8・15 集会宣言

明仁天皇の「生前退位」の意向表明にはじまり、テレビ画面を通じた天皇の「玉音放送」から1年。談合による「翼賛国会」によって天皇の「退位特例法」が成立させられ、来年末の天皇退位・2019年中の「即位礼・大嘗祭」と続く「天皇代替わり」過程が、本格的に開始されている。

「退位特例法」はその条文で天皇明仁の「公務」を初めて明記し、「国民は、……天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感している」と宣言した。これは、天皇と「国民」とは「君民一致」で結びついているということの、公然たる宣言だ。

天皇の憲法違反は許されない。天皇の「公務」自体はいらない。天皇制そのものが廃止されなければならない。こういった声は決して多数派のものではないとはいえ、この1年間にも、各地で、天皇制に反対するさまざまな取組みが重ねられてきた。

安保法案に続き、共謀罪を強行成立させた安倍政権は、その勢いを駆って9条を突破口にした2020年までの改憲に向け、今年中の改憲案提出を明言した。
この間の支持率急落によってそれは一定の見直しを余儀なくされているようだが、来年の「明治150年式典」、天皇「代替わり儀式」、そして東京オリンピックに向かうなかで、「戦後」という時代の「転換」を図ろうとするのは、すでに既定の路線だろう。

中国や朝鮮の脅威を煽り、沖縄を日米の前線基地とし、大量の機動隊を連日投入して暴力的に新基地建設を推し進める政府の姿勢に変化はない。

日米同盟を基軸とした戦争国家の進展において、戦争の死者を国家が「追悼」することで、国のために死ぬことを尊いものとするイデオロギーは、強化されざるを得ない。本日、天皇出席のもと九段で行なわれている「全国戦没者追悼式」は、戦争の死者を戦後日本の「平和と繁栄」のための「尊い犠牲」として称えることで、人びとを死に追いやった日本国家の責任を解除する欺瞞的な儀式だ。
そして靖国神社は、政府機関の援助を戦後も受け続けながら、より露骨にかつての戦争を「聖戦」として賛美し、首相のみならず天皇の参拝によって、「英霊」を顕彰しようとする政治的施設である。

われわれは、本日の行動をステップとして、この秋から来年、再来年と続いていく「天皇の季節」を拒否するための行動を続けていくことを、ここに宣言する。

2018年8月15日

「代替わり」過程で天皇制と戦争を問う 8・15 反「靖国」行動 参加者一同

【連帯アピール】許すな!靖国国営化 8.15東京集会

第44回 許すな!靖国国営化 8.15東京集会に参加された皆さん

今年も、本日午後から、同じ在日本韓国YMCAを出発点として九段へのデモに取り組む、反「靖国」行動実行委員会より、皆さんに対する連帯のアピールを送ります。

私たちは、国会内での談合による「翼賛国会」によって天皇の「退位特例法」が成立し、来年末の天皇退位・2019年中の即位礼・大嘗祭と続く「天皇代替わり」過程の本格的な開始を迎え、「代替わり」過程で天皇制と戦争を問う8・15反「靖国」行動として、すでに8月11日に討論集会をおこない、本日の行動に取り組もうとしています。

「退位特例法」はその条文に天皇明仁の「公務」を初めて明記し、「国民は、……天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感している」と宣言しています。これは天皇と「国民」とは、憲法上の法的な関係であるよりも前に、「情」において結びついているという、「君民一致」の「国柄」であることを宣言したに等しいものです。

安倍政権による改憲の動きは、この間の支持率急落などに伴い、一定程度の見直しを余儀なくされているようですが、天皇条項については、すでに明仁天皇のリーダーシップによって解釈改憲されています。

すでに各地で、「天皇代替わり」に反対するさまざまな取組みがはじまっています。本日も、各地で集会が行われています。私たちも東京で、皆さんとともに、靖国・天皇制問題を訴えていく声を上げていきます。ともにがんばりましょう。

2017年8月15日

「代替わり」過程で天皇制と戦争を問う8・15反「靖国」行動

【学習会報告】平井啓之『ある戦後:わだつみ大学教師の四十年』(筑摩書房、一九八三年)

平井啓之『ある戦後:わだつみ大学教師の四十年』は一九八三年一二月に筑摩書房から刊行された。

私は刊行された直後に、『日本読書新聞』に書評を書いている。それは、「反天連」づくりがスタートしている時点であり、そこに収められている天皇制(というよりヒロヒト天皇)批判の鋭い言葉に強烈に共感した。そして、その書評も一つの契機となり、著者とのかなり親密な交流が、さらに平井さんの長い活動の場所であった「わだつみ会」との「昭和天皇代替わり」の状況下での、ささやかな交流がうみだされていった。〈天皇(制)の戦争責任・戦後責任〉という、反天皇制運動の普遍的なテーマ。それを戦後の象徴天皇制下で自分たちの問題として私たちが深く自覚していくプロセスと、その交流は重なっていた。

「平成天皇代替わり」状況下の今、この本をテキストとして再読したのは、一つは、この間この学習会で一貫して問題にしている天皇の「人間宣言」なるものを、どう読むかが頭にあってのこと。

アキヒトの「生前退位希望のメッセージ」をマスコミは第二の「人間宣言」として、持ちあげ続けた。しかし、大日本帝国憲法下、「現人神」の主権者を自称していたヒロヒト天皇が、敗戦後、占領下で、自分の「神格」性を否定し、「象徴」におさまるために発した「人間宣言」。それがそう呼ばれた理由は、表面的には理解できるが、はじめから「象徴= 人間」天皇としてスタートしているはずのアキヒト天皇が、新たに「人間宣言」というのは、いかにも奇妙。これは、ヒロヒト天皇の「人間宣言」なるものが、実はどういう政治的ペテンと欺瞞の産物であったかをこそあらためてグロテスクに表現しているのではないか。天皇を「人間」と視ようとすれば「人間」と視え、「神」として視ようとすれば「神」であるという日本の民衆の〈自己欺瞞の意識〉にメスを入れて、この〈人間宣言〉をスンナリ受け入れた無責任と欺瞞との民衆意識を問いなおす平井の問いは、この状況下でこそ生きている。
渡辺清の天皇ヒロヒトへの怒りへの深い共感をこめた論文を含めて、平井の天皇制批判を、あらためてこの状況下で読みなおせてよかった。

ヒロヒト天皇個人への「古くさい」怒りの論文は、この「新しい」状況下で、まったく「古く」なっていない。

次回は八月二九日、テキストは茶谷誠一著『象徴天皇制の成立』(NHKブックス)

(天野恵一)

【今月のAlert】安倍はヤメロ!天皇制いらない!のデッカイ声を!

ここにきてやっと安倍政権支持率が急落し、三〇パーセントを切ったという。そしてすべての疑惑を放り投げたままの内閣改造。八月二日には新閣僚が発表された。さすがに第二次安倍政権発足時のような、「お友だち」で埋め尽くす人事はできなかったようだが、これですべての疑惑をうやむやにし、安倍は生き延びるつもりなのだろうか。

安倍が追い詰められているのは、直接的には次々と出てくる疑惑・スキャンダル問題が大きいとはいえ、これまでの無茶苦茶な国会のありようの結果でもあり、粘り強い「安倍ヤメロ!」の声の結果でもある。だから、内閣改造ごときで生き延びさせるわけにはいかないのだ。
国会内外からの追及の手をいまこそ強めていくしかない。さらなる大きな声をあげていこう。

その安倍政権が短期間でつくりだした数々の悪法は、安倍内閣の行方とは無関係にすでに動きはじめている。反天皇制の運動に直接関わる天皇の「退位特例法」も同様で、すでに七月二八日には、退位・即位・改元に向けたスケジュールについて想定される日程が公表された。
二〇一八年一二月下旬に退位・即位し一九年一月一日改元、一九年三月末に退位し四月一日即位・改元という二案だ。

政府は「国民生活への影響」を最小限に抑えるためとして前者を、宮内庁側は年末年始は「重要な皇室行事(祭祀)」が相次ぐので後者を推しているという。天皇制にも元号にも反対する私たちは、どちらにも与することはできない話である。ただハッキリ言えることは、少なくとも法律に基づく改元の時期等に関する政治的なスケジュールについて、天皇家の私的な行事である祭祀を理由に、天皇側が政府の方針に口を出すという事態のおかしさである。憲法二〇条の政教分離の原則にも、政治に関与してはならないという憲法四条にも触れるはずだ。なによりも、天皇一人の都合ではなく、一億二七〇〇万の「国民」の都合が先なんじゃないのか?その「国民」もいまでは天皇への「敬愛・理解・共感」が法律で定められてしまっているのだが。さすがにここまでくれば多くの人の目にも、これまでよりは「非国民」が素敵に見えてくるのではないかとさえ思う。

このかんの「天皇退位特例法」制定をめぐって天皇の不満の声が漏れ聞こえてきているが、少なくとも一年前のビデオメッセージで語った天皇の意思は天皇にとって理想的な形で法律に反映されている。憲法第六条・七条で厳しく規定されている行為以外の、いわゆる「象徴行為」「公務」と呼ばれてきたものを法律レベルで認めさせ、「国民」の「敬愛・理解・共感」までも法律で取りつけ、天皇の意思とこの「国民の理解」云々で、次期天皇の生前退位も可能とさせる余地すら作り出させた。不満などあるはずもなかろうと思うのだ。不満どころか抗議すべきは私たちの方である。

この天皇の不満話については、小堀桂一郎らが、天皇が強い不満を漏らしていたという『毎日新聞』の記事をめぐり、天皇の発言を記者に漏洩したなどとして氏名不詳の宮内庁幹部職員と毎日新聞社の社長、記者に対する国家公務員法違反(秘密漏洩)罪の告発状を東京地検特捜部に提出した、という。天皇の発言は「重大な秘密として厳重に秘匿すべき法律上の義務があるのというのだ。

伝統主義的右派の立場で、何をどのように問題にしていいのかわからなくなっているのではないかと思える告発について、ここで言及するつもりはない。ただ、今の事態を批判的に評する意見として、このようなウルトラ右翼の見当違いな告発くらいしか表に出さないメディア状況、言論状況は深刻な事態なのだ。天皇の違憲行為、それを忖度する国会の意見状況を批判する私たちの、たとえば天皇個人および国会議員に出した「8・15 行動準備会」による二種類の抗議文については、まったくなきものとされた。私たちはメディア各社に抗議文およびその提出について事前に案内を出しているにもかかわらず、まったく無視されたことは、繰り返し伝えておきたい。

明仁のビデオメッセージから一年。このかんに私たちが見てきたことは、こういった伝統主義右翼も、リベラルを標榜する層も、国会、メディア、市民社会全体が、それぞれの立場で天皇を忖度したてまつる情景だった。この社会の低すぎる民主主義の底上げのためにも、このかんの天皇問題を外しては考えることはできない。一足飛びは無理だが、一歩ずつめげずに進んでいくしかない。

まずは8・11 集会、8・15 デモへ!

(大子)

【表紙コラム】

先日、福岡で開かれた「政教分離訴訟全国交流会」に参加してきた。今回で30回、すなわち、中曽根の靖国「公式参拝」への訴訟以来、毎年行われてきたもの。私は去年、東京で行われたときが初参加だったが、さすがに長年、このテーマで活動を重ねてきた人たちの集まりなので、充実した議論に、さまざまな刺激を得た。

今回とくに、2019年におこなわれるであろう「即位・大嘗祭」に関して、「政教分離訴訟」という枠組みで何ができるかに議論が集中した。前回の「代替わり」でも「即・大違憲訴訟」が、1700名もの原告を集めて闘われたが、今回ももちろん、何らかの行動を起こすことは前提。ただそこで、「大嘗祭」は明らかに政教分離違反だが、「即位の礼」は必ずしもそうではなく、「国民主権」原則違反としての色合いが強いので、政教分離違反の訴訟という点では分けて考えるべきではないかという意見が出て、いろいろと議論になった。

前回の訴訟では、「即位の礼」の儀式についても神道色の強いものがあり、それが政教分離に抵触する可能性があることが裁判所で判断されている、その意味でも機械的に分けられないという弁護士の発言もあり、実にそのとおりだと思った。憲法的には、「政教分離違反=『国民』主権原則違反」でなければならないな、と。同時に私は、そもそも天皇制自体が神道儀礼と切り離して存在することはできず、またそれは「非宗教」的な外皮をまとっていた場合にも、現実的に国家の宗教性を体現している以上、政教分離違反の存在じゃないの?という思いがし続けていた。天皇制を政教分離違反で問うことはできないものか。だいたい、天皇制の「天」ってなんだよ。

(北)