【紹介】『私たちの街の朝鮮学校のこと知っていますか?─福岡朝鮮初級学校校長 趙星来氏のお話』

このパンフレットは、排外主義NO!福岡の学習会、「福岡朝鮮初級学校校長・趙星来さんのお話を聞く」を、講演記録としてまとめたものだ。「お話」の内容は話し手・趙さんの個人史であり、同時に朝鮮学校の歴史と現在である。語り口調の記録は、読む者をジワジワと引き込んでいく。

講演は自己紹介、家族と自分自身の話から始まる。たとえば、お父さん。一九四四年に日本に渡った在日一世で、趙さんと同じ朝鮮学校の教員と校長を務め、すでに他界されている。小中高と日本の学校に通い、朝鮮語はあまり話さないというお母さんは、そのお父さん(趙さんのお祖父さん)が強制連行で炭鉱に連れてこられ、福岡で生まれ育った二世。星来さんが生まれ、朝鮮学校教員のお父さんと家族を支えるために焼き肉屋を経営されていたという。そしていま朝鮮大学で教鞭をとる弟。あるいは総連の活動家の叔父さんや、帰国したもう一人の叔父さんのこと……。

家族の紹介部分だけで、聞き手・読者はまず、趙さんの家族一人ひとりの人生が、在日朝鮮人の歴史の具体的な一つであること知る。趙さんの個人史を語る穏やかな口調は、その趙さんの家族と「日本人」の家族のありようの違いが、日本の植民地主義、侵略戦争の歴史に起因していることを知らせ、そしてそれすらを忘れ去ろうとしているこの日本社会の住人たちを、その記憶へと引き戻す。なるほど、一人の朝鮮初級学校校長の個人史は福岡の朝鮮学校の歴史として、あるいは日本の戦争責任の問題として読み解いていくこととなるのだ。

もちろん、「朝鮮学校のあゆみ」として、福岡に限らない、敗戦後全国で展開された朝鮮学校の設立と閉鎖、そしてまた設立と閉鎖、といった歴史についても語られる。そして、なぜそうやって朝鮮学校を守っていくのかを。

趙さんは語る。敗戦直後の4・26教育闘争について、朝鮮学校創立への闘いや日本の差別政策と学校法人認可取得運動について、朝鮮学校の教育内容について。そして、財政問題。とりわけ保護者、卒業生や同胞、団体からの寄付、行事や施設貸出等による収入を主な財源とする運営は、最終的に保護者負担を大きくしていることを訴えられる。福岡県からのわずかな補助金(一校あたり三十数万?)もこの先どうなることかわからないという。すべてが、日本政府が朝鮮学校を各種学校という位置づけ以上にしない差別政策の結果である。この差別政策は補助金廃止だけの問題ではすまない。朝鮮学校を卒業しても、小中学校を卒業したとは認められないという現実がある。趙さんは「朝鮮学校をきちんと認めてください」と訴える。教育内容を詳細に語られるのも、この「認められていない」現実を超えるための正攻法の一つなのだと思いながら読んだ。すごくまっとうな授業がなされていることを、多くの日本人は知らなさすぎるのだ。私もその一人だった。

また、「今も朝鮮学校が受けている差別」として、法的地位の低さや朝鮮渡航の困難さを例に出し、「一言で言えば朝鮮学校に戦後はまだ訪れていないといえます。戦中戦前のような扱いなのかもしれません」と結ばれる。過去に眼を閉じるというより、過去の価値観(偏見)そのままとしか言いようのない日本社会であることは、言われなくともわかっているつもりだった。だけど、具体的な趙さんの言葉は胸に突き刺さる。

趙さんは、「在日一世はもう本当に残りわずかです。彼らにいい思いをさせてあげたい、このまま日本の地で亡くなるというのは本当に悔しいし辛い」と、語られる。「朝鮮学校が日本に存在してはいけないという風潮を、私は大変つらく悲しく思っております。朝鮮学校が存在すると言うことは、日本にとって日本を豊かにする事だと思っております」とも。趙さんはこの学習会タイトル「私たちの街の朝鮮学校のこと知っていますか?」の「私たちの街の」が、ちゃんとつけられているところを「気に入った」と言われる。そういうことなのだ。この国がつくり出し押しつけた他者の歴史と、この社会が葬り去ろうとする歴史への無関心から、まずは抜け出さなくてはならない。ぜひ一読を!

●一部三〇〇円以上のカンパ
連絡先092-651-4816(福岡地区合同労組気付)

(桜井大子)

【映画を観た!!】東京オリンピック (総監修・市川崑、一九六五年) /民族の祭典・美の祭典 (レニ・リーフェンシュタール、一九三八年)

二〇二〇東京オリンピックが、このままでは再来年に開催されるということになる。各方面で衰退の速度があがり、閉塞の状態を深めているこの「日本」社会において、「国家の威信」を表現する数少ない「チャンス」と目されているのが、天皇の代替わりから東京オリンピックへと続くイベントだ。単なる二週間のスポーツイベントに、どれほどの国家の体重がかけられようとするのか。

しかしそれでもなお、開催させられさえすれば、無償労働や「教育」現場からの動員をかけ、外形的な「華やかさ」を煽るショー政治は展開されるだろう。だから、かつて「大成功」を収めたとされている、ナチスの一九三六年ベルリンオリンピックと、一九六四年の東京オリンピックの映画を見て、開催撤回運動の準備をしてみようとおもった。

レニ・リーフェンシュタールは、戦後、「美のため」「ありのままを撮影しただけ」と一貫してナチスへの積極的な加担を否認し続けた。もちろんこれは虚偽だ。それまでになかった彼女の映像表現や演出効果をのみ取り出し、「芸術」ゆえにその責任を弁護し捨象しようとする評価は「芸術」「批評」に携わる階層にはずっとあり、彼女はこれを狡猾に利用したのだ。

しかし、その映像がかつてないほど「優れた」ものとなった背景には、どれほどの特権と、投入され続けた大量の資源があったかは、少し映像を見ていくだけでも唖然とするほどだ。映画が最大の大衆的メディアとしてあった時代、映画産業は最高の投資効果をもたらすものだった。そしてリーフェンシュタールの映画は、多数の人間はもちろん、カメラやフィルム、移動撮影セットや自動車、大規模な照明、ひいては航空機まで、あらゆる資源を惜しみなくその映像表現に投入している。ナチスの第六回全国大会を素材とした『意志の勝利』を含めて、これほどまでに膨大な国家の特権を投入して制作された「作品」を、その「芸術性」だけで評価したいとはかけらも思えない。撮影されたもの、表現された映像以外に、どれほどの「事実」があったかについて、映画をめでる以外にほんの少しの想像力を働かせるだけでよい。

『民族の祭典』では、冒頭に、端正なギリシャ彫刻が全裸の男性と化し、円盤投げ、やり投げを演じ、さらに裸体の女性の舞踊が演じられ、これが炎に包まれて「聖火」と変わるというみごとに象徴的なシーンがある。そして「聖火」は、その数年後にはドイツの侵略を受ける国々を走り抜けてベルリンをめざすのだ。市川崑『東京オリンピック』でも、明らかにこれをリスペクトした聖火リレーが展開されていく。「聖火リレー」自体がベルリン五輪から開始されたのだが、より、オリンピック大会そのものの「原点」が、この映画にあるということを思い知らされる。オリンピックは、ナチスのベルリン大会、そしてこれを作品とした映画『オリンピア』二部作によって、その後のいっさいを決定づけた。

『美の祭典』の有名な冒頭もみごとだ。朝日に包まれた湖、朝露を含む蜘蛛の巣、虫、鳥たちが、朝もやの中をトレーニングする選手に重ねられてゆき、いつしか鍛え抜かれた選手の震える筋肉をありありと見せる体操競技になっていく。『民族の祭典』はメインスタジアムで機嫌よく観戦するヒトラーを数多く写し、ほぼすべて陸上競技でまとめられているが、『美の祭典』ではこれ以外の競技で構成される。その締めくくりには、高飛び込み競技をえんえんと写すのだが、あらゆる角度から空を背景にスローモーション撮影される。宙を舞うさまざまな姿態の裸の肉体が神秘的に演出され、そこに翻る各国旗がオーバーラップされて「聖火」が消えていくとともに、天空から太陽の幾筋もの光が差し込むのだ。なんともはや。ドキュメンタリーというよりも、むしろアニメ的な演出効果である。

『東京オリンピック』は、作為性でこれに及ばないぶん、より「人間ドラマ」を演出しようとしたのだろう。孤独なランナーを追ったり、選手が倒れる姿や足のマメをクローズアップするシーンもある。さまざまな場面で、選手たちの表情をリアルにとらえる技術はさすがと唸らせるものはある。

しかし、映画もスポーツも、すでにこの私たちの暮らす現実の中では「崇高さ」を喪失している。とりわけ現代スポーツは、国家や利権組織・関連企業と結びつくほどにその姿を変えた。「ルール」や選手資格は大規模な大会ごとに変形していく。指導やコーチはハラスメントと同義にまで近づき、いまやスポーツは暴力を緩和する装置ではなく、暴力そのものだ。そのことをあらためて捉え返すためにも、リーフェンシュタールの『意志の勝利』と『オリンピア』二部作、市川崑『東京オリンピック』は、考えさせる素材に満ちているとおもう。

(蝙蝠)

【今月のAlert】「元号」・「代替わり」 準備の本格化 さまざまな抵抗の回路を!

新天皇「即位」まで一年を切り、「代替わり」に向けた準備が着々と進んでいる。五月一七日、「新元号への円滑な移行に向けた関係省庁連絡会議」(議長=古谷一之・内閣官房副長官補)は初会合を開き、各省庁の幹部らに対して「新元号の公表時期を改元の一カ月前と想定し、準備を進める」との政府方針が示された。政府は改元日までに準備を終えるのが基本とするが、元号を用いた行政システムの一部では改修が間に合わない見通しであり、将来の改元も見据え、政府はシステム間のやり取りを西暦で統一するよう、関係省庁に中長期的な改修も指示した、と報道されている。

カレンダー業界などは、去年の六月から、最低一年前に発表してくれないと対応できないからと、早期の新元号発表を求めていたし、IT業界などからも「一か月前の公表は危険」「果たして一か月で間に合うものなのか」などと懸念の声も上がっているという。退位特例法の成立にあたって、「改元に伴って国民生活に支障が生ずることがないように」との、言い訳的な付帯決議がなされていたが、このありさまだ。

あまりに早い新元号の公表は、いまの天皇に「失礼」だとか、「二重権威」が生ずるとか、意味不明の言い草で、当初は今年の夏とも言われていた公表時期をずるずると伸ばし、挙句、元号制度の不便・不合理さを浮き立たせてしまったことは、嗤うべき自滅であったというべきだが、だから元号制度をやめてしまおうという声が、マスメディアの主流に掲げられることはない。元号そのものは自明の前提としながら、その「合理的運用」を提言するだけだ。

「皇位継承儀式」に関しても事情は似ている。四月三日、政府は「剣璽等承継の儀」や「即位の礼正殿の儀」など即位関連の五儀式と、新設される「退位礼正殿の儀」を「国事行為」としておこない、「大嘗祭」については宗教的性格を考慮して「国事行為」とはしないものの、公費(宮廷費)を支出するなどの方針を閣議了解した。儀式に使うためだけの「大嘗宮」の建設など、儀式のためには膨大な費用がかかるための措置だろう。

四月三〇日付東京新聞は社説で、前回の即位・大嘗祭において、政教分離訴訟がおこされたことなどを紹介しながら、「戦前の宗教性は排して」「象徴天皇の代替わりは国民の理解を得つつ、憲法との調和が必要である。政府にはそんな再検討と準備が求められている」と主張している。「代替わり」の「民主化」を求めるものであっても、「代替わり」や天皇制自体に関する批判的な視点はかけらもない。これは、「憲法にもとづく国民主権と政教分離の原則にかなった新しい(「代替わり」儀式の)やり方をつくりだすべき」であると政府・議会に申し入れた日本共産党の姿勢にも示されている、この国における「リベラル」の天皇問題に関する態度の主流をなすものだ。

(ここで注意しておかなければならないと思われるのは、「戦前回帰の宗教ナショナリズムを抱く人たちに、皇室祭祀が利用される恐れがある」という危機意識に立ちつつ、天皇制をめぐっては、「神聖か象徴か」という問いがある、「『慰霊の旅』などを続ける今上天皇のあり方が、神聖国家回帰に対する防波堤の役割を果たしてきた」と評価する島薗進らの議論である(四月一二日東京新聞・ こちら特報部)。これだけならよくある「リベラル」の明仁天皇評価の範囲だが、島薗はさらに一歩進んで、「民主主義の次元には、宗教的な次元が欠かせない」という論理で、明仁天皇制の論理を正当化するのだ。詳述する紙幅はないが、天皇儀礼や「国家神道」、「政教分離」というものを考える上で、きわめて危険な議論であると思う)。

こうした言論状況の中で、私たちに求められているのは、身分差別と人権侵害の象徴であり、人びとの意識を、日常的に国家的共同性へと包摂・統合する国家の装置としてある君主制度=象徴天皇制を拒否するという立場から、状況にどのように介入していく言説を運動的に作り出していくかということであり続けている。

しかしすでに、この間、反天連も呼びかけ団体の一つに加わって展開されている「元号はいらない署名運動」、首都圏や各地で始まっているさまざまな天皇制反対の動きとその連携、また、即位・大嘗祭を違憲訴訟で問うていこうという動き、そしてまだ私たちの知らない具体的な回路はいくつも出てきているはずだ。元号はいらない署名運動では、七月二一日に集会も準備している(一三時一五分開場、文京区民センター)。行動し、つながりあい、議論していこう。

(北野誉)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 24号(2018年6月 通巻406号)

今月のAlert ◉ 「元号」・「代替わり」 準備の本格化 さまざまな抵抗の回路を!(北野誉)
反天ジャーナル ◉ はじき豆、竹森真紀、先天性ヤジ馬
状況批評 ◉ 天皇制と道徳の教科化(北村小夜)
映画を観た!! ◉『東京オリンピック』『民族の祭典・美の祭典』(蝙蝠)
紹介 ◉ 『私たちの街の朝鮮学校のこと知っていますか?』 (桜井大子)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈97〉 ◉米朝首脳会談を陰で支える文在寅韓国大統領(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈23〉 ◉ 新元号・上皇・「二重化」されつつある権威の抗争?─〈壊憲天皇明仁〉その21 (天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相 ◉ 生前退位、何が問題か 改憲〜天皇「元首化」を考える!(神奈川)/女性と天皇制研究会・学習会「眞子〝結婚〟延期と憲法24条─なぜスキャンダルになるのか」/許すな!朝鮮総連への銃撃! 跳ね返そう!ヘイトクライム/〈新たな「人間宣言」〉ってなんだ?─ソモソモ天皇って、人間なの、神なの/原発労働者は団結して要求する!5・26春闘集会
学習会報告 ◉ 君塚直隆『立憲君主制の現在─日本人は『象徴天皇』を維持できるか』(新潮選書、二〇一八年)
反天日誌
集会情報

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*2018年6月5日発行/B5判16ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【学習会報告】 加納実紀代編『女性と天皇制』(思想の科学社、一九七九年)

本書は、一九七七年一月から翌年六月までかけて雑誌『思想の科学』に連載された一八本の論文を、連載の編者でもあった加納実紀代が単行本としてまとめたものだ。もちろん、加納さん論文もある。

各論文には執筆者の生年月日が付されていて、一番の年配者は一九〇七年生まれで、次が一九一一年生まれ。ほか二〇年代八人、三〇年代五人、四〇年代二人、五三年一人。地域、世代、経験と、それぞれに異なる女性たちだ。敗戦を大人になって、あるいはそれに近い年齢で迎えた人が半分を占め、子ども時代の人を含めると大半が戦中を知る世代だ。戦中を「アカ」として過ごした人もいる。彼女たちは七七年当時、年配のお二人を除く全員が、今の私の年齢よりも若い。七七年当時、私は二〇歳で、執筆者たちと同時代を生きていたわけで、なんだか微妙な古さと近さを覚えるのだった。

敗戦から三二年後の天皇制批判は、まだ生々しい戦中の記憶から紡ぎ出されたものが多い。三二年といえば反天連の年齢よりも若く、その生々しさも理解できる。彼女たちが語り批判し否定する天皇制の内実は、家父長制であり、排除の論理であり、無責任とエゴイズムであり、貧困であり、飢えであり、教育による全体主義であり、国家であり、etc.である。そしてそれらは、自らの経験から絞り出すようにして言葉にされたものが大半だ。

学習会で初めて本書を読んだという参加者も数人。私もその一人だ。加納さん編集の本書を読んでいなかったことを少し恥じながらレポートした。その形式は、論者の言葉(文章ではない)を抜粋しながら紹介する形をとった。なぜなら、まとめることは困難であったし、むしろ、ナマの言葉を確認していくことの方が本書を理解しやすいように思えたからでもある。多くの言葉が印象に残る本なのだ。学習会でもそのような感想が多かったように思う。

ではここで問題。

「アーレタッサンカヲ イクセンリ」とは? これがわかれば年齢もバレルよ。

次回は五月二九日。テキストは君塚直隆『立憲君主制の現在─日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(新潮選書)。ぜひご参加を!

(大子)

【集会報告】天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28─29連続行動

今年も4・28─29連続行動として、天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える連続行動実行委を起ち上げ(もちろん反天連も参加)、4・28集会、4・29デモを無事終了させることができた。この実行委では、三月の天皇の沖縄・与那国訪問を問う集会を開催し、大きな連続行動ともなった。協力・参加されたみなさま、お疲れさまでした!

今年の反天皇制運動の実行委員会は、明治一五〇年キャンペーンに抗していくことを一つの大きな課題として立てている。2・11行動に引きつづき、4・28集会もこの課題視点で準備を進めた。

文京区民センターで行われた講演集会の講師は湖南通さん(日本近代法史)。湖南さんは沖縄・辺野古の座り込み闘争から戻って来られたばかりで、お話はそのホットな報告から始まった。湖南さんを始め多くの座り込む人たちがごぼう抜きにされ、背中は米軍基地のフェンス、目の前に機動隊の壁が立ちはだかる空間に押し込まれ、そこはいかにも象徴的な空間で、米軍と日本警察によって作られた牢獄に入れられたようだったと、語られた。「明治一五〇年」と沖縄の歴史、現在のヤマトと沖縄の関係を象徴するシーンでもある。

講演では、琉球国が天皇制国家に併合されていく過程とその差別的な政策、その目的が沖縄を「国防の人柱」として利用することであったことなど、文献を紹介しながら詳細に語られた。そして、日本の敗戦、天皇メッセージ、沖縄の米軍統治時代、沖縄返還から現在へと続く。現在の沖縄と日本の関係、沖縄の基地問題を理解するために必要な歴史を、ポイントを絞って話していただいたのだと思う。とてもわかりやすく、批判とユーモアに富んだお話だった。
講演後、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、基地・軍隊はいらない!4・29集会、安倍靖国参拝違憲訴訟、機動隊沖縄派遣住民訴訟、優生保護法の問題、元号いらない署名等、短いが内容の濃いスピーチをもらって終了。集会参加者一〇六名。

翌日二九日の反「昭和の日」のデモは、一貫して「天皇いらない」を主張するデモとして準備。大きな「天皇はいらない」の横断幕(実際は縦断幕)もつくった。デモ出発前には常磐公園で、実行委から前日の集会の報告を簡単にし、元号いらない署名、辺野古への基地建設を許さない実行委員会から、デモ終了後も、多摩地域メーデー、労働運動活動者評議会、明治公園オリンピック追い出し国賠訴訟からアピールをもらった。

デモ中は、警察が右翼街宣車がデモに接触しないように周辺で止めていたようで、もっぱら歩道で騒ぐ右翼とそれを取り囲む警察があちこちで団子になっていた。右翼の弊害が少ない時は決まって警察の規制のひどさが目立つ。「私たちは軍隊ではない、そのような口調の命令をしないでくれ」と、何度声を荒げたことか。背中を押す、参加者の肩や背中を平気で触って「前へ、前へ!」「詰めて!詰めて!」とくり返す警察に、参加者も腕を振り払ったり、抗議をくり返していた。それでもデモは気持ちがいい。デモ参加者一〇〇名くらい。実行委員会の行動はまだ続く。数は力なり。継続は力なり。これからもご参加お願いします!

(大)

【今月のAlert】Jアラートが停止した今こそ 私たちの主張(アラート)と問題意識を突きだそう!

これまでも意識的に情報を得ようとしていたのだが、四月二七日の南北首脳会談は、しかし閉ざされた列島に住まう者にとっては、やはり驚かされるものだった。メディアに流された映像、その演出の一つひとつの周到さはもちろん、断片的に伝えられてきた事実に、みるみるうちに繋がりを与える構想力は圧倒的なものだった。「板門店宣言」はまだ弱い内容にあるし、両国が戦争状態にあることが利益になる勢力は、内外になお数多く困難は大きい。とはいえ、引き続く米朝首脳会談や、南北米中の交渉による平和協定の枠組みの設定などがあり、そうした要因を織り込みながら今後の日程が組み立てられていることも、期待されうるものを示すと感じる。

「最大限の圧力」「断交」をがなり立て、直前には「新たな核実験の兆候」などとデマを流して否定され、関連諸国間で長足に進捗する外交の状況すらも何一つ把握していないトンマな姿をさらけ出した安倍政権担当者と官僚たち、またバラエティ番組の「有識者」などは、砂の上でひっくり返った虫のように、いまなお手足をバタバタさせ醜態をさらしているのだろう。しかし、私たちはこれを「蚊帳の外」と嘲笑っているわけにはいかない。いまこそ歴史的な責任を明らかにさせて、私たちのなすべきことをしていかなければならないのだ。

私たちはかつて、二〇〇二年一〇月十一日付けで「『日朝会談』以後の状況への『緊急声明』」を発表した(反天皇制運動PUNCH24号)。訪朝した小泉首相に対し、金正日委員長(いずれも当時)が「日本人拉致」の事実を認め、同時に「日朝ピョンヤン宣言」が発表されたときのことである。「日朝ピョンヤン宣言」における、「国交正常化交渉の再開」、「国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないこと」の確認、「北東アジア地域の平和と安定」に向けた協力、等々の積極的な意味を評価しながらも、それが前年の「九・一一」後のブッシュらによる報復戦争状況下において無効化されることを危惧し、「拉致問題」をきっかけにした在日朝鮮・韓国人たちへの脅迫・暴行や差別の拡大を批判する立場を明らかにした。同時に、「ピョンヤン宣言」において日本国家が「過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」ことを前提にするなら、なすべきことは、国家賠償「経済協力」はもとより、被害者のそれぞれに対する謝罪と個人補償であり、それこそが求められていることを主張した。

私たちは、日本国家と天皇制の植民地責任・戦争責任が、歴史的になし崩しにされて明らかにされず果されていないということを、反天皇制運動の活動の中で、一貫して主張してきた。その立場から、「ピョンヤン宣言」前々年になされた日本軍性奴隷制についての「女性国際戦犯法廷」への協力を行ない、右翼暴力団による妨害にも力及ばずながら身を張って抗してきた。こうした活動を、この東アジアの歴史の大きな転換点でも、微力ではあるが断固として追求していきたい。金正恩とトランプによる米朝首脳会談の後に「日朝首脳会談」が実施されるとするならば、そこでは、「日朝ピョンヤン宣言」の内容が俎上にのぼり、日本の戦争責任があらためて問題とされる。実績の貧しい政治家は、それを蔽うためにより派手かつ愚かなふるまいをしがちだ。当選時の公約どころか政権内もガタガタのまま中間選挙が近づき、ロシアンゲートに苦しむトランプや、核開発とミサイルの軍事に極端に傾斜した国家経済の安定と浮揚をめざす金正恩、相次ぐスキャンダルと腐敗にまみれながら、最悪の差別排外主義と歴史修正主義にその勢力を託している安倍らが、どのような動きをするかは予断を許さないものがある。

私たちは今年の四月にも、二八・二九日と連続で「明治一五〇年 日本(ヤマト)による沖縄差別を問う」連続行動を行なった。さきに触れたような現在の国際政治の展開の中では、場合によっては、在韓米軍、さらには在日米軍や自衛隊などの位置づけも大きく変わりうる可能性も、まったくありえないわけではない。だからこそ、私たちは、天皇代替わり過程の中で、こうした問題意識をつねに研ぎ澄ましながら、自分たちと世界との関わりを問い直していかなければならないと考えている。

(蝙蝠)

【表紙コラム】

5月3日、原宿で行われた「明治公園オリンピック追い出しを許さない 明治公園国賠まるわかり集会」に参加した。主催は、同国賠訴訟原告団。2020東京オリンピックのメインスタジアムとされる新国立競技場の建て替えに伴って、都立明治公園が廃止され、そこに長く暮らしてきた野宿者が、2年前の4月に強制執行がかけられて追い出された。これに対して、当事者である元住人や支援団体が原告となって、JSC(日本スポーツ振興センター)、東京都、国を相手どってこの3月に提訴。いわば、その訴訟団のキックオフ集会である。

JSCが明治公園の住人を「債務者」として、「占有地からの退去」を求めた仮処分を裁判所に申請し、いつ強制執行が行われるかわからないという時期に、そのJSCの門前で(!)住人と支援者がおこなった記者会見について、私も本欄に書いたことがある。ひどいことばかりだ。これまでの当事者との話し合いを一方的に破棄し、さまざまな脱法行為やでっち上げ逮捕までして、住人の生存権を踏みにじった行政とJSC、そして都民の公共の財産である都立公園を、オリンピックを奇貨として、大手ゼネコンや政財界の利権のために売り飛ばす東京都や国(詳しくは『反天皇制運動カーニバル』36号の渥美昌純論文など)、そして、そうした問題を隠蔽し、「異論」を封じ込めるナショナル・イベントとしてのオリンピック。こういったことをあらためて今回の集会で聞き、当事者の発言や強制排除の映像を見聞きしながら、頭の中ではずっと「野蛮な資本主義」という言葉が響いていた。

集会で最も印象的だったのは、映像で写しだされた、かつての明治公園の、今は失われてしまった緑豊かな「四季の庭」の姿を見て、そこに暮らしていた元住人が「なつかしい」とつぶやいたこと。奪われた風景、奪われた暮らし。資本のための「開発」が、人にとってかけがえのないものを壊していく。その、国と資本があげる勝利の凱歌こそがオリンピックなのだと。

(北)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 23号(2018年5月 通巻405号)

今月のAlert ◉ Jアラートが停止した今こそ、私たちの主張と問題意識を突きだそう!(蝙蝠)
反天ジャーナル ◉ 大橋にゃおこ、映女、狸の皮
状況批評 ◉ 朝鮮学校差別から見える植民地主義(佐野通夫)
ネットワーク ◉ 「天皇代替わりに異議あり! 関西連絡会」を発足 (寺田道男)/ ◉ 風通しの良い社会の対極にあるのが天皇制(稲葉みどり)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈96〉 ◉板門店宣言を読み、改めて思うこと(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈22〉◉ 〈天皇(制)は「構造的沖縄差別」の象徴である:〈壊憲天皇明仁〉その20(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉ 天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28-29連続行動
学習会報告◉ 加納実紀代編『女性と天皇制』(思想の科学社、一九七九年)
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

 

*2018年5月8日発行/B5判16ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【集会宣言】4.28-29連続行動集会宣言

3月27日から29日にかけて、明仁・美智子は、「最後の」沖縄訪問をおこなった。3日間でのべ約2万人が歓迎のために集まったとされ、那覇の国際通りでは、自衛隊の陸・空特別編成音楽隊を先頭に、「日の丸」と提灯を掲げた奉迎パレードが行われ、4500人が参加した。今回の沖縄訪問は、天皇として6回目、皇太子時代を含めると11回目となり、今回初めて「国境の島」与那国も訪問した。

明仁の沖縄訪問について、各メディアはその「慰霊」「平和」の思いや「癒し」なるものを最大限持ち上げて報じた。〈1975年、皇太子時代に初めて沖縄を訪問したとき、ひめゆりの塔の前で火焔瓶を投げつけられたが、明仁はそれ以後も一貫して沖縄に心を寄せ続け、沖縄訪問のたびに摩文仁の戦没者墓苑で献花し遺族らと向き合い、その感情に寄り添って平和を祈り続けてきた……〉といった物語である。

今回天皇が沖縄訪問をした3月27日は、いわゆる「琉球処分」=処分官・松田道之が、武装した兵士や警官などを従えて首里城に押しかけ、廃藩置県を布達した日であった。そして、1945年に米軍が慶良間諸島に上陸し、沖縄戦が始まったのは、前日の3月26日にあたる。また今年、天皇が沖縄に着いたまさにその日に、陸上自衛隊は全国の5方面隊を一元的に指揮する司令部として、朝霞駐屯地に「陸上総隊」を発足させ、直轄部隊として「離島防衛」の専門部隊としての「水陸機動団」(日本版海兵隊)をおき、与那国に陸上自衛隊沿岸監視部隊が設置されたのも2年前の3月28日なのである。こうした一連の象徴的な日付のなかで、今回の天皇訪沖があったこと。その政治的意味合いを、私たちは批判し抜いていかなければならない。

天皇を迎えた与那国の外間町長は、「私たちは本土とは隔絶された状況にあり、文化の違いもある。そこから生まれる本土との温度差が、両陛下の与那国訪問でほとんど消えうせたように感じる」と述べた。天皇の役割とは、まず第一に、このような日本と沖縄の歴史が生み出し続けている矛盾や「違和」を消去させ、日本の沖縄支配を正当化し、住民を政治的・文化的に「再統合」していく役割である。明仁は、8月には「北海道命名150年」記念式典に参加するために北海道を訪問するが、ここでも北の離島である利尻島を訪れるという。天皇が重視しているとされる「離島の旅」とは、天皇がそこに足跡を印すことによって、この国の「版図」を再確認するためのものだ。

そして天皇の役割の第二は、遺族に「寄り添い」、「慰撫」するとされるふるまいを通して、天皇制国家の戦争・戦後責任を、観念的に清算し消去していく役割を果たすことだ。

そもそも、1945年2月に「敗戦は最早必至」として終戦工作を勧めた首相・近衛の上奏に対し、「国体護持」のために「もう一度、戦果を挙げてからでないと難しい」といって拒否し、その後の沖縄戦を招いたのが、明仁の父である裕仁だった。天皇制は明らかに沖縄戦の責任を負っている。その裕仁を「常に平和を祈っていた」存在として弁護し続けてきたのが明仁である。これらは同時に、「生前退位」を通じて、象徴天皇制の意味を積極的に再確定していくことをもくろむ、明仁の「公的行為」の総仕上げとしての意味も持つ。

そしてなによりも、与那国への陸自配備、宮古島や石垣島、沖縄本島への配備計画など、軍事的な対中国シフトを強化している現政権の志向と、天皇の沖縄訪問とが、今回はとりわけ露骨にリンクしていたと言わなければならない。

「防衛白書」などに盛り込まれた「島嶼防衛」は、離島奪還を前提とするもので、いわゆる「領土・領海」を防衛することが目的であって、そこに暮らす住民の生活や安全などもとより考えられていない。その発想は、沖縄の住民を天皇制国家の延命のための「犠牲」とした沖縄戦とまったく同質のものである。今回与那国では、町内のあちこちに、自衛隊協力会によって、「奉迎」「ご来島ありがとうございます」と書かれた横断幕が掲げられた。また天皇が乗った車は、自衛隊与那国駐屯地の隊員によって、と列で迎えられた。天皇が直接自衛隊員を鼓舞する場面が演出されたわけではないにせよ、それは天皇と軍隊との関係を、疑いなく強化した。

天皇の沖縄訪問の期間には中止されていた辺野古の基地建設工事は再開され、海を埋め立てる護岸工事が始まって1年たったいま、列をなす工事車両を阻止しようと座り込む人びとの闘いが続いている。安保を「国体」とする日本国家によって、沖縄に押しつけられていく米軍・自衛隊基地に反対する沖縄の人びとの闘いに、「本土」の私たちはどのように運動的に応えるべきか。そのことを自ら問い、基地と安保をなくすために可能なさまざまな行動に取り組んでいこう。

私たちは、3月24日に「天皇の沖縄・与那国訪問を問う」集会をもち、本日ここに「明治150年:日本(ヤマト)による沖縄差別を問う」集会をもった。そして明日4月29日には、沖縄戦をもたらし、戦後は「天皇メッセージ」を発して安保体制の成立にむけて沖縄を差し出した裕仁の責任をも問うべく、裕仁とその時代を賛美する「昭和の日」に反対するデモに取り組む。

一連の行動を通して私たちは、現在に続く日本と沖縄の関係を再度とらえ直し、それを含む近代日本150年のありよう、とりわけ、サンフランシスコ条約と日米安保体制によって規定された戦後象徴天皇制国家・日本の「平和と民主主義」の内実を批判しつつ、来年にかけての天皇「代替わり」に反対していく運動を持続していく。

2018年4月28日

天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29行動