【書評】『「明治日本の産業革命遺産」と強制労働〜日韓市民による世界遺産ガイドブック』

「世界遺産」を冠にする広報やメディアの報道・番組を目にすることが多くなった。
特にテレビ番組では、ほとんどがアイデアも表現も一〇年一日のけたたましいシロモノばかりで、できるだけ遠ざけているのだが、「世界遺産」を紹介するという体のものはそれでも比較的おとなしめなつくりにしていることが多く、ふと流し見していることもある。

国連ユネスコは、その活動に求心力を持たせるために、この「世界遺産」の選定を活用してきた。確かに、ユネスコ憲章にもあるように、「文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは人間の尊厳に欠くことのできないもの」として、「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」を共同で保存していく活動というものは意味があるだろう。とりわけ「近代化」が世界大となる中で、経済活動や文化衝突によって多数のものが「遺産」とさせられてきた。なかでも植民地化や資本主義化を爆発的に進めた国家や集団は、そのしばしば犯罪でしかなかった活動によって喪われた何くれに対して、重大な責任を持っており、その保存や意味づけを行なっていくべきだと思う。文化や「文化財」の「保護」は、それを踏みにじってきた歴史から考えるならば、欺瞞そのものだというしかないが、それでも、その固有の価値を確立するための努力や体制は、政治や経済活動その他による蹂躙を少しでも許さないために、怠ってはならないものだ。

しかし、近年になって、日本政府やその外郭団体、利権集団によって推進されている「世界遺産」採択活動は、対象の選択も恣意的きわまり、そのほとんどがおぞましいものでしかない。ちなみに、民間において「世界遺産」申請に圧力をかける中心的存在は、かの日本財団である。記憶に新しいのは記紀を根拠とする宗像三女神を祀った神社や島嶼を「神宿る島」としたものだが、このパンフレットが批判している「明治日本の産業革命遺産」もまた、その典型的なものだと言えるだろう。この件では、前川前文科事務次官によって、文科省の審議会に安倍政権が介入して、木曽、和泉、加藤などその利権グループを「有識者会議」に押し込んだ経過が明らかにされている。制定の過程では「一般財団法人産業遺産国民会議」なるものも立ち上げられた。

「明治日本の産業革命遺産」では、九州と安倍の地元の山口県の施設を主として登録された。産業革命に関連が深いとは言えない「松下村塾」や萩市城下町などもしっかり盛り込まれている。

しかし、この登録における問題は、それだけではない。「明治日本の産業革命」は、それ自体が正の「価値」づけをされるようなものではなかった。資本形成期の資本主義は、本質的に労働収奪的なものとして展開された。明治期の大日本帝国においては、「資本主義」の展開は、まさに侵略政策のただなかでその実体化として進められた。国内的には産業労働者として農民層を解体し、対外的にはそれに加えて植民地化された朝鮮などからの労働者の動員と強制労働がなされた。こうした経過は「世界遺産」としては後景に伏せられ、産業化の「栄光」とそれを推進した企業や個人の顕彰ばかりがなされている。登録時には、「戦時の朝鮮半島出身者の徴用は強制労働ではない」とまで主張している。強制労働や暴力についての指摘には、産経新聞やネット右翼などまで総動員して、これをもみ消そうとしているのだ。

このパンフレットは、90 ページほどに過ぎない小さなものだが、文章だけではなく図版を多数盛り込んで、さまざまな方面からこの問題を浮き彫りにしている。これまで韓国の側から歴史の発掘と資料の収集・出版に取り組んでいた「民族問題研究所」と、日本の側でこうした活動を展開してきた「強制動員真相究明ネットワーク」の共同で制作されたもので、この問題を今後も究明していくという意思を明らかにしているものだ。読みやすく、しかも内容は細かくて、テキストとしても優れている。
ウェブ上でも公開されているが、ぜひとも購入して活動を支援していきたい。

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強制動員真相究明ネットワーク/民族問題研究所
〒657-0064 神戸市灘区山田町3-1-1

(財)神戸学生青年センター内

http://ksyc.jp/sinsou-net/sekaiisann-g-book.pdf

送料込み五〇〇円
郵便振替〈00930ー9ー297182  真相究明ネット〉

(蝙蝠)

【今月のAlert】天皇「代替わり」・「明治150年」を撃つ反天皇制運動の拡大をめざして

今年に入って、天皇「代替わり」に関する準備が着実に進んでいる。

一月九日の閣議で設置が決まった「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」(委員長= 菅官房長官)は、その日のうちに初会合を開き、三月中旬をめどに基本方針を取りまとめることを決めた。式典準備委員会では、「平成の即位の儀式を基本的に踏襲すべきだ」という意見のもとで、即位儀式のうち、「剣璽(けんじ)等承継の儀」「即位後朝見の儀」「即位礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」「饗宴の儀」の五つを国事行為とし、「大嘗祭」については国事行為とはしないが、公費支出をするという方針が示された。

「剣璽等承継の儀」は「三種の神器」などの引き継ぎ儀式であり、「即位後朝見の儀」は、即位後初めて天皇として「国民代表」に「おことば」を述べる儀式である。
純然たる皇室神道の儀式である大嘗祭も含めて、憲法の「政教分離」「国民主権」原則に対する重大な侵害であることは疑いない。

さらに政府は、皇太子・徳仁が即位する来年五月一日を「この年限りの祝日とする」方向で検討に入ったという。「昭和の日」にはじまる「一〇連休」があけたときには、「新しい御代」という祝賀ムードの演出ではないのか。五月一日のメーデーも天皇の記念日となってしまうのだ。

政府は、退位の儀式を四月三〇日、即位の儀式を五月一日に分けておこなう方針である。天皇が自らの意思で皇位を譲る「譲位」の色彩を帯び、天皇の国政関与を禁じた憲法に触れることがないようにするため、と説明されている。

これ自体が欺瞞的なものだが、伝統主義的右派は、それでは天皇の「空位」が生じると批判している。神社新報社が設立した「時の流れ研究会」は一月二四日に「御譲位の儀と御即位(践祚)の儀は、同日・同じ場所で引き続き行はれ、『剣璽』が承継されることを望む」「皇位継承の儀式は、憲法にも定められる皇位の重みから、国の重儀(天皇の国事行為、国の儀式)として執行されることを望む」などとする要望書を出した。彼らにとって、「三種の神器」は皇位の象徴であるので、その「引き継ぎ」なき「譲位」などありえないのだ。

こうしたくだらない議論がまじめになされること自体に、天皇制という国家の装置の核として、実は明確に「国家神道」が存在し続けていることが示されている。
それは単なる「神道儀式」であるから政教分離に違反するといった話ではないのだ。
これら「代替わり」儀式を通じて、国家の祭祀としての国家神道が現前するのである。それが日本の「文化と伝統」という言いぐさで肯定されることも、神社非宗教論を掲げた国家神道と同じである。

そして、この「代替わり」儀式の準備と並行して、各省庁の連絡調整機関である「明治一五〇年」関連施策各府省庁連絡会議のもとで、「明治一五〇年」の祝賀事業が進められている(昨年末現在で、国主催のものが一五二件、地方公共団体レベルのものが二〇〇八件)。現時点では、開催も含めて確定してはいないが、メインの儀式として、当然、秋には政府主催の記念式典が想定されているはずである。

明治一五〇年の施策に関する政府の文書は、「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ向けて」と称して、「明治期に生きた人びとのよりどころとなった精神を捉えることにより、日本の技術や文化といった強みを再認識し、現代に活かすことで、日本の更なる発展を目指す基礎とする」と述べている。

政府広報で「明治ノベーション〜メイジン」なるキャラクター(?)が登場しているように、それは安倍や財界が求める流行の価値観を日本近代の出発点に投影した、「ニッポンスゴイ」論である。「一五〇年」を、今に続く一連の発展を遂げた近代化の歴史ととらえ、それをもたらした精神文化の称揚とともに、まるごと賛美・肯定しようとするものだ。

しかし、現実の明治= 近代日本の一五〇年とは、すなわち天皇制国家の一五〇年である。前半はアジア侵略・植民地支配と戦争に彩られ、また、後半は象徴天皇制のもとで侵略戦争と植民地支配から目を背けてきた歴史だ。「一五〇年」はそのように無条件に賛美されるような歴史では決してないのだ。

私たちは、この「明治一五〇年」が、明仁天皇「代替わり」の前哨戦として行われるイベントであるととらえ、近代天皇制の歴史総体を批判していくという立場から、今年一年間の反天皇制闘争を開始していきたい。2・11 反「紀元節」行動はその第一歩である。ぜひ多くの参加を。

そしてまた、昨年「終わりにしよう天皇制!11 ・26 集会・デモ」に取り組んだ首都圏の反天皇制運動の枠で、この二月から「元号はいらない署名運動」を呼びかけることになった。次号では、具体的な報告もできると思う。ぜひ、協力して、反天皇制の声を大きくあげていこう。

(北野誉)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 20号(2018年2月 通巻402号)

今月のAlert ◉天皇「代替わり」・「明治150年」を撃つ反天皇制運動の拡大をめざして(北野誉)
反天ジャーナル◉井上森、つるたまさひで、映女
状況批評◉カラッポのタンスと聖徳の魔法(平井玄)
書評◉「明治日本の産業革命遺産」と強制労働〜日韓市民による世界遺産ガイドブック(蝙蝠)
追悼・福富節男さん◉反天皇制運動の中での交流(天野恵一)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈93〉◉ソ連の北方四島占領作戦は、米国の援助の下で実施されたという「発見」(太田昌国)
野次馬日誌
集会の真相◉12 ・23 民主主義と天皇制:代替わりにあたり改めて問う(愛知)/1・14 「昭和」Xデー闘争の「経験」を通して、「平成」代替わりを考える/1・24 警視庁機動隊の沖縄への派遣は違法住民訴訟第五回口頭弁論/1・27 「沖縄報道を問う」シンポジウム
学習会報告◉ケネス・ルオフ『紀元二千六百年:消費と観光のナショナリズム』(木村剛久訳、朝日選書、二〇一〇年)
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

*2018年2月6日発行/B5判16ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【集会案内】明治150年=近代天皇制を問う 2.11反「紀元節」行動

明治150年=近代天皇制を問う 2.11反「紀元節」行動

日時:2018年2月11日(日)13:00開場

会場:全水道会館4F大会議室 ●集会後デモ

講師:太田昌国さん
資料代:500円

主催:「代替わり」と近代天皇制150年を問う! 反「紀元節」2.11行動
呼びかけ団体:アジア連帯講座/研究所テオリア/市民の意見30の会・東京/スペース21/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/ピープルズ・プラン研究所/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

【呼びかけ文】今秋には、「明治 150 年式典」が、政府主催で行なわれようとしている。1966 年に制定された「建 国記念の日」=「紀元節」復活は、1968 年 10 月 23 日に行われた「明治百年記念式典」と連動 したものであった。150 年式典にあたって政府は、「明治以降の近代化の歩みを次世代に残す」 とし、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識し、更なる発展を目指す基礎とする」などと、その「基 本的な考え方」を示している。言うまでもなく、「明治 150 年」とは、そのまま「近代天皇制 150 年」 にほかならない。それは、植民地化と侵略戦争に始まる近代日本の 150 年を一連の「近代化過程」 としてとらえ、「不幸な時代」はありつつも、それを乗り越えて現在の「平和と繁栄」につながっ ているという歴史の肯定と賛美である。「昭和の日」を実現させた民間右派勢力は、現在「文化の日」 である 11 月3日を「明治の日」とする運動を進めている。「紀元節」「昭和の日」「明治 150 年」 と続く一連の「記念日」を通して、今年一年、天皇と天皇制をめぐる向こう側の歴史観の押しつけは、 強化されていくだろう。そしてそれが、来年の天皇「代替わり」に向けた前哨戦となることも確 実だろう。 私たちは、この間各地でさまざまなかたちで取り組まれている「天皇代替わり」状況にたいす る抵抗とつながりあいながら、今年一年の運動を展開していきたいと考えている。2.11 反「紀元節」 行動へぜひ参加下さい。

【集会報告】反天連12・23集会「生前退位!? 」なにやっテンノー

天皇制の戦争・戦後責任を問う、反天連の恒例の討論集会。千駄ヶ谷区民会館にて約九〇名が参加した。天皇「代替わり」に向かうこの間の言論状況において、安倍の「戦争政策」と天皇の「平和主義」を対立させ、後者に期待するという言説が「リベラル」の中から大量に生み出されている。そんな中、天皇の「平和主義」の欺瞞を批判することの重要性を確認しつつも、それだけでは不十分ではないかという問題意識から、集会はつくられた。発題者は、反天連の北野誉さん、桜井大子さん、天野恵一さん、そして批評家の平井玄さんの四人。

まず、北野さんは、オーウェルがディストピアを描いた『一九八四年』の「二重思考」や「新語法」が、実は最近の言論状況にとても当てはまるのではないか。
「二重思考」を強いる装置として天皇制が機能しており、それへの批判は、天皇の「平和主義」の内在的な批判としてなされるべき、と提起した。桜井さんは、「良い治世者」像を求める民衆意識や欲望が、今の天皇に投影されているのではないか。憲法逸脱の度合いは大きくなるばかりでありながら、それを飲み込んでしまう象徴天皇制が持つ曖昧さがつくり出す強さを再認識すべきではないか、と語った。天野さんは、天皇が「退位」しても人間になるわけでなく、特権的地位は変わらない事実から、天皇は戦後もずっと現人神と人間の二つの観念を生きていることの欺瞞と偽善をこそ問題にすべき、と論じた。平井さんは、安倍の経済政策は行きづまり、「国家破たん」が先送りされている中、「曖昧な貧乏」として貧困化が進んでいることの現実を凝視する必要がある。資本主義の変容と収縮過程に天皇制がどう適応していくのか見定めつつも、貧困や非正規問題の中から闘いの豊かな可能性があるのではないか、と提起した。

その後の討論では、象徴天皇制自体が民主主義もリベラリズムも何でも入れることができる「国体論」のような使われ方をしているが、その使う側の問題や、天皇・皇后の方が貧困問題には自覚的で、逆に当事者たちが曖昧な気分のまま無自覚であることの問題などが指摘された。

(川合)

【集会報告】アキヒト退位とナルヒト即位を考える練馬集会

アキヒト退位・ナルヒト即位問題を考える練馬の会」の集会が、一二月二二日、千本秀樹さんを講師として開催された。

千本さんは「象徴天皇制、何が問題か」と題して問題提起。明仁天皇は、一六年夏のビデオメッセージにおいて、「国民」の情動に直接に働きかけることで、自身の退位と時代の天皇の即位に向けた流れを、憲法や皇室典範の枠組みを踏み越えてつくりだした。こうした行為が可能だったのは、「象徴天皇制」として再構築された天皇の権威・権力が、あらためて価値づけされ、行使されてきたことにある。そしてそれは、天皇の「護憲」発言や、死者の「慰霊」「追悼」をかつての戦場や大災害の被災地をめぐって行い、その姿を報道させることによって、より強固なものとされてきた。いまやそれは「最強の象徴天皇制」とも言いうるほどで、虚言と強権の政治を次々に繰り出す安倍政権よりも強い「統合力」を発揮し、政権批判の立場をとる人々の「支持」すらもとりつける。しかし、重視せねばならないのは、天皇制の「統合力」がまさに政権を補完することによってこそ拡大しているということだ。

「代替わり」の国家イベントに「国民」意識が組み込まれていきながら、政治システムも軍隊・警察も、所有も、社会の中での人間の関係、差別構造も、指一本触れられることなく残され、国家権力が恣意的に行使されていく。この国家的なイベントの中で、あらためて自らの人権を確立させ、対抗していくことがほんとうに大切なことであるということが、講演では、さまざまな方向から論じられた。なお、この日の講演の資料として配布されたのは、「現代の理論」http:// gendainoriron.jp/ 第10 号(一六年一一月)と第11 号(一七年二月)所収の千本さんの論文なので、内容については参照を。参加者は三〇数名。

前号の「ネットワーク」欄で池田五律さんが紹介してくれたように、今後、この会は「準備会」としてではなく、正式に発足する。ともに進んでいこう。

(蝙蝠)

【今月のAlert】近代天皇制の歴史の内実を批判し「紀元節」を撃つ闘いを組み立てよう

二〇一五年一二月の日韓政府による「慰安婦問題」「合意」が、とうてい歴史問題の「不可逆・最終的」な決着ではありえないということは、その時点から多くの批判とともに語られてきた。そしてそれにもかかわらず、安倍政権の意をくむ右派勢力は、この「合意」をまさに「錦の御旗」と掲げながら差別排外主義の轟音をかき立ててきた。しかし、それから二年を経てこの検証結果が韓国側から発表され、非公開とされてきた秘密合意が存在しており、それが当事者の尊厳を踏みにじるもので、とうてい歴史問題の「決着」とは言い得ないものであるということが明るみに引き出された。

これにより、大日本帝国から戦後の日本国家を通じて、植民地責任、侵略戦争責任が、いまなお未決のままであることがあらためて直視させられたのだ。嘘につつまれた「合意」をいくら形式的に保持しようとしても、この歴史問題は、国家の心臓に深く刺さったものであり、この問題をめぐる言説や国家間の交渉の実態は、双方の国家とりわけ日本国家の腐敗状況をそのまま示すものとしてあるのだ。天皇がどれほど「慰霊」を重ね、「おことば」をどれほど繰り出しても、それが空疎なものでしかないということが、このような事実が示されるたびに露呈されていく。

この二〇一八年を、政府は「明治一五〇年」として祝うのだという。頻発する政治テロと内戦を経て、天皇の神権を核とする天皇制明治政府が成立した。欧米の帝国主義を制度としてまといながら、近隣の民族への侵略を重ねることで国内の近代化をすすめ、東アジアから世界へと軍事力で影響力を高めていった。侵略戦争の深化とともに天皇の大権が神格化されて臣民の精神を統合する存在となっていき、天皇の勅語や図像が国家における最重要なものとして強要された。内戦の死者を祀ることにはじまった靖国神社は、侵略戦争の死者を祀るまさに「戦争神社」となることで完成した。「明治一五〇年」を祝うということは、これらの事実を現在の国際環境や社会状況の中で、「正」のものとして位置づけることであり、歴史修正主義にさらなる上塗りを重ねることである。

この事態のなかで、憲法改悪の具体化が安倍政権から堂々と打ち出されてきている。さらに悪いのは、これが、北朝鮮の核とミサイル開発や、米国トランプ政権の明らかな揺らぎとともに進んでいることだ。日本国家はミサイル配備や空母保持など野放図な軍拡競争にすでに足を踏み入れており、経済構造もまた全体的な衰退とともに極端に官需に傾いて脆弱の度を強め、危機的な状況が拡大している。広告宣伝がフェイクニュースとつながり、情報による支配が自己目的化しているという悲惨なありようもまた現実だ。

昨年の「退位特例法」の制定後、天皇代替わりに向けたスケジュールが、日に日に具体化していっている。来年早々には「平成在位三〇年」が、そして来春四月末〜五月には明仁退位と徳仁の即位、さらに来秋の大嘗祭という流れは確定している。徳仁の即位とともに元号の改元も予定されているから、この夏には元号も発表されることになるだろう。かつて裕仁の時代の、死のカウントダウンと社会全体の「自粛」漬けのような状況は起きないとしても、「ニッポン」賛美の異様な社会状況は着々と広がっている。天皇の代替わりという国家イベントは、その形態において少しばかりかつてとは違ったものになったとしても、私たちを取りまく社会状況に深い翳りをもたらすことはまちがいない。

しかし、私たちは嘆いているつもりはない。天皇制の問題を自分たちの切り口として選択しながら、これまでいろいろな人びととのつながりを組み立ててきたのだ。私たちは今年もまた、二月一一日に、反天皇制の闘いを準備している。今回は、「『代替わり』と近代天皇制一五〇年を問う! 反『紀元節』二・一一行動」として、歴史問題を正面から問いただしていく闘いに取り組んでいく。この日には各地でもさまざまな取り組みがなされるだろう。ともに進んでいこう。

(蝙蝠)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 19号(2018年1月 通巻401号)

今月のAlert ◉近代天皇制の歴史の内実を批判し「紀元節」を撃つ闘いを組み立てよう(蝙蝠)
反天ジャーナル◉きょうごくのりこ、闘病熊、宗像充
状況批評◉新春大放談! あにまる談議「どうなる!? 次期天皇制」
ネットワーク◉一人でも多く、辺野古に行こう!(中村利也)
書評◉『働く、働かない、働けば』〜〈2018 BROKEN JAPAN 〉を思い知るために (たけもりまき)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈92〉◉願わくば子供は愚鈍に生まれかし。さすれば宰相の誉を得ん(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈19〉◉「皇位の安定継承」が前提!?:〈壊憲天皇明仁〉その17(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉12・2 辺野古に行こう!新基地建設阻止ー名護市長選勝利をめざして/12・16 ナショナルイベントとしての東京五輪/12・22 アキヒト退位とナルヒト即位を考える練馬集会12・23 反天連集会「生前退位!? 」なにやっテンノー /12・24 「実質改憲」をゆるさない!! 天皇の、天皇による、天皇のための代替わり反対!集会(静岡)
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

*2018年1月10日発行/B5判16ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【呼びかけ】「代替わり」と近代天皇制150年を問う 2・11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ

二〇一九年四月三〇日明仁「退位」、五月一日徳仁「即位」、同日「改元」という日程が、政令として公布された。政府は、菅官房長官をトップとする準備組織を二〇一八年一月に発足させる。これによって、二〇一六年七月一三日の突然のNHKの報道に始まり、明仁天皇自身のビデオメッセージ、「有識者会議」と「退位特例法」の制定と進んできた「生前退位」の道筋が確定した。

私たちも繰り返し主張してきたように、一連の経過のなかで実現したことは、「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果す」こと、すなわち、天皇があるべき「国民統合」を積極的に作り出す能動的存在であるという定義を天皇自身が下し、国会が一致してそれを支持し「国民」がそれに「共感」するという、文字通りの天皇翼賛・挙国一致的な事態であった。

マスコミ挙げての天皇賛美や、隠然と、あるいは公然と露出する右翼暴力に支えられて、天皇制に対する疑問を公然と口にすることが憚られる社会状況が作り出されている。

明仁の退位にあたっては、「退位の儀」なるものを「国事行為」として行う方向性が示されている。当然のことだが、近代天皇制の歴史においてそのような儀式がおこなわれたことなどなく、もちろん、憲法上に何の規程もない。また、明仁即位の時と同様、徳仁即位に関する諸儀式が「国事行為」としておこなわれることもすでに前提とされており、「高御座」や装束など、その儀式に使うための経費の一部として、一二月に発表された財務省の予算案には、早々と一六億円が計上されている。「即位の礼」において新天皇が登る「高御座」とは、高天原から地上に下った皇祖神が座ったとされる神座であり、「皇位の象徴」とされているものだ。このような「天皇制神話」に基づく儀式を、政府は国費で執り行おうとしているのである。

われわれは、こうした状況のなかで、2・11反「紀元節」行動の準備を開始している。この「紀元節」こそ、神武天皇の建国神話にもとづく天皇主義の祝日である。そして、今年の秋(一〇月二三日が予想される)には、「明治一五〇年式典」が、政府主催で行なわれようとしている。私たちは、一九六六年に制定された「建国記念の日」=「紀元節」復活が、一九六八年一〇月二三日に行われた「明治百年記念式典」と連動したものであったことを確認しておかなければならない。それは、日本は歴史貫通的に天皇の国であって、近代化もまた再編された天皇制のもとで実現したという歴史観に基づいている。

今回の一五〇年式典にあたって政府は、「明治以降の近代化の歩みを次世代に残す」とし、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識し、更なる発展を目指す基礎とする」などと、その「基本的な考え方」を示している。言うまでもなく、「明治一五〇年」とは、そのまま「近代天皇制一五〇年」にほかならない。それは、植民地化と侵略戦争に始まる近代日本の一五〇年を一連の「近代化過程」としてとらえ、「不幸な時代」はありつつも、それを乗り越えて現在の「平和と繁栄」につながっているのだという、歴史の肯定と賛美とならざるをえない。さらに、かつて「昭和の日」を実現させた民間右派勢力は、現在「文化の日」である一一月三日を「明治の日」とする運動を進めている。「紀元節」「昭和の日」「明治一五〇年」と続く一連の「記念日」を通して、今年一年、天皇と天皇制をめぐる向こう側の歴史観の押しつけは、強化されていくだろう。そしてそれが、来年の天皇「代替わり」に向けた前哨戦となることも確実だろう。

われわれは、この間各地でさまざまなかたちで取り組まれている「天皇代替わり」状況にたいする抵抗とつながりあいながら、今年一年の運動を展開していきたいと考えている。2・11反「紀元節」行動への、多くの参加・賛同、協力を訴えたい。

「代替わり」と近代天皇制150年を問う 2・11反「紀元節」行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制に反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

連絡先●東京都千代田区神田淡路町1─21─7 静和ビル2A 淡路町事務所気付
振替●00110─3─4429[ゴメンだ!共同行動]

【学習会報告】立教女学院短期大学公開講座編『天皇制を考える』(新教出版、一九九〇年)

「昭和天皇Xデー」大騒ぎの状況の中で持たれたキリスト教大学での公開講座の記録である。このテキストは、この読書会の流れでは、平井啓之の『ある戦後』(特に、それに収められた「自己欺瞞の民族」)をふまえて、次へ、ということで選択された。ゆえに、ここに収められていた平井の「近代天皇制と日本人の意識」中心にレポートがなされ、「現人神」という観念(イデオロギー)の持つ日本的特殊性をめぐって討論が展開された。

もっとも問題を統括的に、広く論じているのはトップの島川雅史の「天皇教と象徴天皇制」である。島川の、キリスト教の「一神教」を超えた国家の「現人神」という〈天皇教〉の特別なイデオロギーが多様にうみだしつづけている諸問題の指摘は、整理され便利だという評価から論議はスタートした。

平井と島川の両者が非キリスト者で、森井眞(「精神の自由と天皇制」)と福澤道夫(「天皇制と信仰」)、塚田理(「天皇制とキリスト教)の三人がキリスト教信者としての歴史的体験をふまえた話である。塚田の、戦前、牧師の子どもとして育ち、ひどい差別とイジメの中で生きてきた(戦後の時間も)個人史を軸にした話と、森井の「神権天皇制」として成立した近代天皇制が自己のキリスト教徒として「精神の自由」を、どれだけゆがめてきたかという個人体験をバネにした歴史記述が、私たちに訴えるものがあるという感想が多かった。福澤は、イヌでもブタでも人間でも植物でも神になれるという「汎神論」の水平さに、キリスト教の「唯一人格神」の垂直(タテ支配)の原理を対置し、その上で〈現人神唯一絶対人格神〉の天皇教を論じているので、どういう象徴天皇制批判にいたるのかと期待させたが、まったく批判がつめられず大正デモクラシーの思想家の天皇教との共存する精神が肯定的に紹介されるだけでややガッカリ。

平井は「擬似一神教」という規定から、近代国家支配のための作為の体系的システムとして、教育勅語・軍人勅諭にはじまるもろもろの臣民教育の教材を貫く「万世一系」の国体イデオロギーを具体的に示して、「神でも人間でもどっちもありの」〈自己欺瞞〉の意識(民衆のそれ)をすりこみ続けた国家の作為(= ペテン)を抉り出している。

やはり平井の作業は、「新しい人間宣言」とネーミングされているアキヒト・メッセージのペテン的性格を、キチンとつかまえるためには、絶好の論文と、私には読めた。

次回は来年の一月三〇日、テキストは『紀元二六〇〇年』〈ケネス・ルオフ〉

(天野恵一)