【学習会報告】T・フジタニ『天皇のページェント』(NHKブックス、一九九四年)

前回のテキストは不評だったが、今回はとても面白く読んだという感想で一致した。

本書のテーマは、「近代日本のナショナリズムが誕生するうえで公的な国家儀礼が果たした役割を再確認」することにある。この本では、近代日本の国家の儀礼空間を「ページェント(野外劇、見世物)」として位置づけ、その具体的な展開を追っている。

近代の産物としての「伝統の発明」というのは、すでにおなじみの議論といえるが、近代日本の天皇崇拝も、「あまり知られていなかった天皇を中心とする国家の過去を想起させる」ものとして作り出されていった。そのために役立つような「物質的な意味の担い手」= 「記憶の場」が公的儀礼である。

以下、東京という都市も儀礼の中心地として改造されていったこと、近代日本においては「進歩・文明」を体現する都市= 東京と、奥深い「伝統」の担い手ととしての都市= 京都という「二つの首都」が存在し、それが相互補完関係にあったこと(さらにそれは、近代天皇制の二重性とも相即的であったこと)、フーコーの議論をベースとして分析される、儀式を通じてつくりだされた「天皇と群衆」における、視線(まなざし)のポリティクス……など刺激的な論述が続くが、とくに議論になったのは、最後の第5章「『象徴天皇』と電子メディア時代のページェント」だ。

昭和天皇「Xデー」時期の天皇のページェントについてフジタニは「大喪の礼」がテレビ画面にふさわしいかたちで構成されていたこと、連続して映像が流され、「お茶の間というプライバシーの聖域に侵入」してきたこと、その意味では、「政教分離」に関わって政府が強弁した「公私の儀式」の使い分けが意味を持たないこと、覗き見趣味的なテレビ報道によって「皇威/アウラ」は喪失し、「もはや国民は君主のまなざしの従順な対象ではない。むしろ、国民自身が天皇・皇室に向かってその容赦ない視線を向けてゆく主体」となったという議論など、少なくとも当時、私たちにも一部分はそのように見えていた事実を指摘している。メディア環境も大きく変わっているなかで、再びページェントの季節がめぐっている現在の儀礼とメディアによる演出、それが作り出す天皇意識がどのようなものとして考えられるべきかが、私たちの課題である。

次回は四月二四日。テキストは加納実紀代編『女性と天皇制』(思想の科学社)

(北野誉)

【集会報告】3・24 天皇の沖縄・与那国訪問を問う反天実行委の集会

三月二七日、アキヒト・ミチコは沖縄・与那国を訪問した。それを前にした二四日、天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28–29 連続行動は、駒込地域文化創造館において、「天皇の沖縄・与那国訪問を問う3・24 集会」をもった。

講師は沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの大仲尊さんと、反天連の天野恵一。

まず、与那国出身である大仲さんは、島の暮らしや、語り継がれる沖縄戦の記憶から話を始めた。そして、伝えられる与那国での天皇のスケジュールについて検討し、牧場やヨナグニサンという蛾を見るというが、どこかで自衛隊と非公然でも接触する場があるはずだ、と注意を喚起した。そして、与那国の「軍神」大舛松市の顕彰や自衛隊誘致など、国境の島として軍事戦略的な意味を与えられ続けて来たこの地を、天皇の訪問を通じて改めて包摂することが今回の政治目的だと述べた。

天野は、八七年の、天皇の沖縄訪問反対運動を通して、自分たちの反天皇制運動が「沖縄」と直面した経緯をふりかえり、その過程で「ひめゆりの塔」で皇太子アキヒトに火炎瓶を投げつけた知念功と出会ったこと、その訴訟記録を読み直して感じたこと、などについて話した。

アピールとして、基地・軍隊はいらない4・29 集会、一坪反戦地主会関東ブロックから「辺野古ゲート前連続6日間500人集中行動」へのよびかけ、宮古島ピースアクション実行委員会の清水早子さんからのメッセージも代読された。最後に、実行委によって集会宣言が提起され、4・28–29 連続行動への結集が呼びかけられた。

天皇沖縄訪問を報じるメディアのトーンは、「日々沖縄に思いを寄せ続け『戦争の記憶風化』を懸念する両陛下」というものだ。そして、「本土」と沖縄の間の「歴史的なしこり」を、天皇夫婦の活動が癒していったという話だ。今後の行動を通して、その欺瞞性と政治的意味を、はっきりと批判していかなくてはならない。

(北野誉)

【書評】合本『反天皇制運動』(上・下)

えらいものがあらわれた。 第Ⅰ期・反天連が発行したニュース「反天皇制運動」(全83 号)の完全復刻合本、二分冊。内容もさることながら重量もかなり、重い。それを天野さんから「プレゼント!」といって渡された。プレゼントって? ぼくらには似合わない、あの、「忘れものを、届けにきました」って、あれ?

たしかに病気になる以前から出不精がちで「運動」不足ではあった。ちょうどよい機会かな。初心忘るべからず、というけど、初心そのものが何であったか忘れている記憶喪失の状態ではあるが、スロウ・ストレッチでこの「時代の贈り物」をのぞいてみよう。

正確にいえば、「第Ⅰ期・反天皇制運動連絡会」というのは存在しない。「第Ⅰ期」はあとから付けられた「追号」みたいなもので、当時はそのままの「反天連」。その反天連が毎月出したニュース、つまり今回の合本に収められているのは、一九八四年三月一日の創刊準備号(第0号)から一九九一年二月一日の第83 号までの八四冊、プラス、号外・特別号三冊の合計八七冊ぶん。八四年から九一年の七年間なんだけど、現在からだと二七〜三四年前のことになる。

一昨年に山岡強一さんの虐殺三〇年の集会に参加したぼくとしては、三〇年前のことといってもつい昨日の感覚なのだけど、やっぱり一般的にいって、三〇年前のことなんてずいぶん昔の話にちがいない。その大昔に何が問題となっていたか? 第0号の「反天皇制運動連絡会結成のよびかけ」という文章には、主旨の一番目として「主要に、Xデー及びXデー準備と対決する大衆的反天皇制運動の形成をめざす」と明記されている。

そう、Xデー。裕仁天皇の死ぬ日だ。裕仁は八九年一月七日に死亡するわけだが、もちろん誰も日付までは測定できず、ただ彼は一九〇一年生まれだから「そろそろ」の想定で、死ぬ日をXデー、その前をXデー状況、その後を葬儀(喪)と即位(祝)の入り混じる奇妙な期節と設定して、あれこれの予測を交えながら敵の出かたに具体的に対応していく、という毎日だった、と記憶している。だから、そういう意味で、この合本の一頁一頁はリアルタイムのドキュメントであり、それを綴った合本は、それ自体が運動の流れを体現し、いきいきとそれを伝える〝運動体〞そのものであるといってもよい、と思う。

ぼくも、その第Ⅰ期の事務局に出入りしていて、毎週火曜日の会議はともかく、そのあとの「二次会」にはわりとちゃんと出ていた(という記憶は鮮明にある)が、いっぽうで、ぼくは芝居をやっていて、その当時は「風の旅団」という集団を組んでいた。風の旅団は一九八二年に結成して八三年から九一年まで芝居を続けていたから、第一期の反天連の活動期間と丸ごと重なる。いま合本をめくってみると、八五年一月の第10 号に「風の旅団法大公演弾圧と〈この時代〉」という記事がある。ぼくがこのニュースに書いた最初の(署名)文章で、前年一一月の法政大学・市ケ谷キャンパスでのロックアウトによる公演弾圧の報告だ。そうそう、市ケ谷付近といえば、八五年は中曽根首相の靖国公式参拝があり、九月の第18 号には「8・15 戦士」の筆による「8・15 靖国神社公式参拝阻止境内抗議闘争顛末記」の実況中継ふう戦闘記が載っている。ちなみにぼくはこれをネタに、同年九月の法大=リベンジ公演では、テントの中に巨大な鳥居を立てて、8・15 戦闘の「再現」をささやかにやってみた。が、このシーンは意気込みのわりには「やや受け」で、闘争史にも演劇史にも何の役にもたたなかった、けど。

それはともかく、ぼくらはもう一方で山谷に支援に行っていて、その山谷では八三年一一月三日にヤクザが「大日本皇誠会」の名で登場、八四年一一月二二日に佐藤満夫さんが刺殺され、八六年一月一三日には山岡強一さんが射殺された。ニュースの最初の「号外」は八六年一月一六日付の「山岡強一氏追悼」の号である。

以上は、ぼくの関心領域でちょっと振り返ってみたものだけど、みんなはどうなんだろう? 死ぬだけ、襲名するだけで、万人に迷惑をかけまくる天皇制のことだから、合本の各ページに登場する一つひとつの記事は、みんながそれぞれ相互につながっていく「経験」になっているにちがいない。

と、(ついでに)大切なことを書きそえておけば、なんといっても「手書き」。ワープロではなく手で書いた誌面の数々だ。さっきこの合本はドキュメントであり運動体であるといったけど、読みながら感じる図抜けたライブ感は、書かれた内容もさることながら、書かれかた、つまり「手書き」にあるとぼくには思える。もちろんこれはメソッド嫌いで、つねに現在性に重きをおくテント芝居育ちのぼくだけの好みかもしれない。

とまれ、この文章が載るのは、合本よりも二七年あとの第Ⅹ期・反天連のニュース、通巻404号だ。「残り」はこの合本の約四倍はある。過去は、長い。それだけくみ取れる「時代の贈り物」は豊富だ、ということにしておこう。

残部僅少!上下セットで時価1万円
お申し込みは反天連まで
(mail: hanten@ten-no.net)

(池内文平)

【今月のAlert】政教分離・民主主義・主権在民・平和主義!! 今こそ私たちの反天論議を!!

三月二七日から二九日、天皇は皇后とともに沖縄訪問をした。今回で一一回目、即位して六回目の訪問だ。天皇の強い希望であったというこの退位前の天皇訪沖に関する報道は、一部を除き、一貫して沖縄に思いを寄せる天皇像をつくり出した。「天皇の名のもとで行われた沖縄戦」、沖縄を売り渡した「天皇メッセージ」に触れた記事もあるにはあったが、それも明仁の沖縄に寄せる思いの強さを補強する演出となり果てた。指摘すべきことは多々あるなかで、すでに少なくない人が指摘しているこの訪沖の日付の「意味」について触れておきたい。

三月二七日は、一八七九年のちょうどこの日、いわゆる「琉球処分」と呼ばれる琉球王国が軍隊を引き連れた日本国家に強制的に併合された日である。また、与那国島を訪問した二八日は、与那国への自衛隊配備二周年目にあたる。この自衛隊配備は与那国の人々を分断し、平和裏に生きる人々の権利を奪い取った。これらの日々を選ぶとは、何とも露骨に政治的な話でしかない。瀬畑源は「明仁天皇論」(『平成の天皇制とは何か』岩波書店)で、明仁が皇太子時代から沖縄や北海道を始め被災地や激戦地等への訪問を続けたその行為について、「国民統合の周縁にいる人たちを再統合する役割を担う意志を感じる」と述べている。
そして、「沖縄の人たちを『日本国民』として国家の中に統合する役割を、結果的に果たしてきた」と。

今回の天皇の沖縄訪問で思い出したのはこの瀬畑の指摘であった。八月には北海道の利尻島訪問も検討中であるというが、同様のことがいえる。近代天皇は歴代、さまざまな政治目的で各地を回っているのだ。明仁は「平成天皇」としての最後の務めとして、八月の利尻島を訪問する。その明仁がどのような美辞麗句で形容されようと、そこには君主としての傲慢な役割を果たす天皇像しか見えない。天皇の沖縄訪問については、東京では練馬集会と4・28 -29 実行委の緊急集会が開催された。

そして三月三〇日、政府は式典準備委員会の最終回を開き、皇位継承の儀式に関する方針を発表した。国事行為として、二〇一九年四月三〇日「退位礼正殿の儀」、五月一日「剣璽等継承の儀」、「即位後朝見の儀」、一〇月二二日「即位礼正殿の儀」、「祝賀御列の儀」、一〇月二二日以降「饗宴の儀」、二〇二〇年「立皇嗣の礼」。「大嘗祭」は一一月一四日〜一五日とし、「国事行為としないが公費を支出する」という前回の政府見解を踏襲するとした。

「昭和・平成」の代替わりでは、これら一連の儀式が国民主権や政教分離原則に反するとして各地で訴訟が起こされた。現時点では、マスメディアレベルでもまだこういった記憶を喚起させる記事をつくっている。また、大嘗祭への「公費支出」に対して最高裁が憲法判断を下していないことにも言及し、憲法学者・横田耕一による政教分離違反の指摘も紹介する。憲法との整合性について、いまはまだ言及する余地があり、安倍政権が押し切れない事態、政府内部で憲法との整合性を問題にする声が少なくないということでもある。非公開で「議論しない」ことを前提とする非民主的な準備委員会の問題も大きい。ここは私たちにとっても広く議論を起こしていけるタイミングでもある。

憲法との整合性ということでは、そもそも皇室にまつわる神々を祀り、宮中祭祀を日常的に行う天皇が、一神社の神主ではなく、国家の制度に組みこまれた存在としてあること自体が、政教分離原則から大きく逸脱している。その国家的存在である天皇は、誰に選ばれるでもなく、世襲で代替わりする。それ自体も民主主義、主権在民の原則に反する。それに伴う儀式は宗教的要素にまみれている。だから当然政教分離原則違反。もちろん、特権的な身分にある天皇は平等主義にも反する。国家が関わるなど論外。
とてもわかりやすくて単純な話ではないか。
そして、このような天皇代替わり、天皇制維持の儀式に莫大な税金を投入される。退位・即位・大嘗祭全体にいったいどれだけの費用がかかるのか、計算してみる必要もあろう。そして女人禁制問題……と、考えるべきことは多い。

「代替わり」をともに闘うために集まった首都圏の実行委は、いま「元号いらない運動」を展開している。たくさんの声を集めていきたい。そして今月は、4・28 -29、沖縄デーと反「昭和の日」行動だ。協力・参加を!

(桜井大子)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 22号(2018年4月 通巻404号)

今月のAlert ◉政教分離・民主主義・主権在民・平和主義!!  今こそ私たちの反天論議を!! (桜井大子)
反天ジャーナル◉なかもりけいこ、捨てられし猫、ななこ
状況批評◉明治維新で人々は幸せになったのか(千本秀樹)
書評◉合本『反天皇制運動』(池内文平)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈95〉◉現首相の価値観が出来させた内政・外交の行詰り(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈21〉◉〈3・11 〉国家儀礼と11 回目の天皇沖縄訪問:〈壊憲天皇明仁〉その19(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉3・11皇族出席の追悼式典一斉黙祷反対闘争/3・16天皇の沖縄への「慰霊の旅」と与那国島訪問について考える練馬集会/3・24天皇の沖縄・与那国訪問を問う反天実行委の集会/3・25講座 明治150年式典・キャンペーンと「生前退位」
学習会報告◉T・フジタニ『天皇のページェント』(NHKブックス、一九九四年)
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

*2018年4月10日発行/B5判16ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【集会案内】天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29連続行動

4月28日(土)集会◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
明治150年:日本による沖縄差別を問う
——近代天皇制国家形成から日米安保体制のもとで
[お 話]湖南 通 さん(那覇市出身,日本近代法史研究)
[日 時]428日(土)18:00開場/18:15開始
[会 場]文京区民センター・3A(地下鉄春日駅・後楽園駅からすぐ)
[資料代] 500円

4月29日(日・休)デモ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
4・29反「昭和の日」デモ
[日 時]429日(日)14:00集合/15:00デモ出発
[集合場所]常盤公園(中央区日本橋本石町4丁目4−3)
https://park.publicmap.jp/print/11518
*新日本橋駅(JR総武本線・銀座線・半蔵門線)より徒歩4分
*神田駅(JR山手線・銀座線)より徒歩4分
*東京駅より徒歩7分
*三越前駅(半蔵門線)より徒歩7分
★デモの集合場所・集合時間が変更になりました。ご注意下さい!
また、常盤公園は常盤橋公園とは違います。近くですが、お間違えのないように!

■武力によって大日本帝国(天皇制国家)の版図へ強制的に組み込まれ,皇民化政策のもとで植民地的支配を自ら被りながらも,侵略・植民地支配の先兵として動員され,さらに,本土防衛の「捨て石」とされ,住民の4人に1人が戦争で殺された沖縄。
■敗戦後も米国軍政下に置かれ,日本(ヤマト)の「主権回復」後も裕仁天皇のメッセージによって占領状態が継続され,「復帰」後にも米軍基地(日米安保体制)の過重な負担を押しつけ続けられている沖縄。
■日本国家は,「明治」から「昭和」にかけての戦争・植民地支配政策の推進とその破綻(敗戦)の負担も,戦後の平和憲法のもとで併存したアメリカ核軍事力に依存した日米安保体制の負担も,沖縄に押しつけ続けてきた。
■今年政府は,「明治の精神に学び,日本の強みを再認識する」という「明治150年」キャンペーンを展開している。「明治150年」とは近代天皇制の150年である。日本(ヤマト)によって沖縄との間に作り出されてきた関係は,政府の賛美とは逆に,その醜悪な構造を露わにする。この沖縄と日本(ヤマト)の関係をみすえる集会を持ちます(4月28日:沖縄デー)。また,天皇制の戦争責任・植民地支配責任を問い,歴史の改竄を許さない,反「昭和の日」デモも行います(29日:裕仁の誕生日)。ぜひ多くの方のご参加を!

主催 ●天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29 連続行動実行委員会
【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/ピープルズプラン研究所/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

【集会宣言】天皇の沖縄・与那国訪問を許さない!

天皇と皇后は、来る3月27日から29日まで、沖縄・与那国島を訪問する。明仁天皇は皇太子時代(5回)も含め今回で11回目、来年4月末で皇位を徳仁へ譲ることになっているので、天皇として最後の沖縄訪問となる。

明仁天皇は、「象徴としての務め」として、「先の大戦」の犠牲者に対する「慰霊」と「追悼」の旅を繰り返し、その都度、「お言葉」を述べてきた。沖縄への度重なる訪問は、唯一の地上戦を経験し、住民の4人に1人が戦死したといわれる沖縄ついてはひときわその思いが強いからである、といわれている。

かつて明仁天皇は、「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います」と述べている(2005年誕生日の記者会見)

「先の大戦」中、天皇は、大日本帝国憲法により「神聖不可侵」とされ、軍隊の最高指揮権(統帥権)を保持していた。「国民」の精神(生き方や死に方)を大きく規定していたのは「教育勅語」であり、軍隊では「軍人勅諭」という「天皇の言葉」であった。そして沖縄が地上戦を戦わざるを得なかったのは、「国体護持」を至上命題とした天皇制国家による「捨て石」とされたからである。

「先の大戦」の犠牲者は、地震や台風といった災害の被災者ではない。まぎれもなく、天皇を頂点に戴く国家の作為による犠牲者である。しかし明仁天皇の慰霊・追悼の旅にかかわる「お言葉」には、もちろん、父・裕仁の、そして自ら継承した天皇(制)の責任には一切ふれられることはない。謝罪の言葉が含まれることもない。「過去の歴史」を「正しく理解しようと努める」という姿勢はそこにはまったくみられない。それどころかそれとは逆に、事実を歪め、天皇(制)の責任を糊塗・隠蔽し、そうすることによって、天皇制による国家・国民(再)統合を意図しているものにすぎない。

さらに、今回の沖縄・与那国への天皇の訪問は、これまでにない特異な様相も備えている。

まず、天皇が沖縄を訪ねる3月27日は、139年前(1879年)に内務官僚・松田道之が、軍隊300名と警官160名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した日である。  明仁は、「私にとっては沖縄の歴史をひも解くということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです」(2003年誕生日の記者会見)とのたまっている。そう言いつつ、この日に沖縄を訪問するとは何をかいわんやである。

また、翌28日に明仁は、初めて与那国島を訪問するが、この日は、ちょうど2年前(2016年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(150名程度)が配備された日にあたる。住民虐殺(強制死)を含む皇軍(日本軍)の振る舞いの記憶が残る沖縄(南西諸島を含む)では、当然ながら自衛隊配備に反対する声が多い。与那国でも意見が分かれ住民投票が行われている。中国脅威論を煽り、南西諸島(宮古島、石垣島、奄美黄島)への自衛隊配備・増強を進める安倍政権にとって、地域住民の「融和」と「辺地」へ配備される自衛官の「慰撫」は必要不可欠となる。そうしたなかでの、今回の天皇の「開庁日」にあたる日の訪問は、表だって自衛隊施設を訪れるということではないにしろ、その意図するところは明白である。

日本国憲法を踏みにじり、自らの意志により、生前退位による皇位継承の路線を引いた明仁が、退位を前にして、後継に期待する新たな「象徴としての務め」がそこに見えてこないだろうか。  天皇(制国家)と沖縄との歴史を顧みれば、今回の訪問はおよそ許されるものではない。

明仁天皇の沖縄・与那国訪問を許してはならない!

2018年3月24日

天皇の沖縄・与那国訪問を問う3・24 集会参加者一同

 

 

【集会案内】天皇の沖縄・与那国訪問を問う3.24集会

天皇の沖縄・与那国訪問を問う3.24集会

報告「自衛隊配備と天皇の与那国訪問」
大仲 尊 さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
報告 「アキヒト天皇と沖縄」
天野恵一さん(反天皇制運動連絡会)

[日 時] 3月24日(土)18:00 開始
[会 場] 駒込地域文化創造館 (JR&地下鉄南北線・駒込駅からすぐ)
[資料代]500円

■来る3月27日から29日にかけて、アキヒト天皇が沖縄・与那国を訪問する。
■アキヒトが沖縄入りする3月27日は、139年前(1879年)に内務官僚・松田道之が、軍隊300名と警官160名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した日である。
■また翌28 日にアキヒトは、初めて与那国島を訪問するが、この日は、ちょうど2年前(2016年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(150名程度)が配備された日にあたる。
■与那国だけでなく、宮古島、石垣島、奄美大島にも自衛隊配備が強行されつつある中での、自衛隊開設記念日の天皇の訪問は何を意図するものなのか。
■「象徴としてのありかた」を模索してきたというアキヒト天皇の今回の沖縄・与那国訪問の意味を問う。

主催 ●天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29 連続行動実行委員会
【呼びかけ団体】(2018年3月6日現在)
アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/労働運動活動者評議会

【呼びかけ】天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える 4・28─29 連続行動への参加・賛同の呼びかけ

一八七九年三月二七日に、内務官僚・松田道之は、軍隊三〇〇名余、警官一六〇名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した。いわゆる「琉球処分」の最終局面である。

「明治一五〇年」キャンペーンを政府が展開する今年(二〇一八年)、この三月二七日に、天皇明仁は沖縄へ行く。皇太子時代に五回、天皇になってから五回の訪沖をしている明仁にとって一一回目となる。自ら敷いた路線で来年四月末に退位し、息子・徳仁に皇位をゆずる彼の、天皇として最後の沖縄訪問となるであろう。

その翌日の三月二八日には、天皇として初めて国境の島・与那国を訪れる。この日は、二年前(二〇一六年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(一五〇名程度)が配備された日にあたる。

この三月二七日(琉球処分の日)、二八日(自衛隊開設日)の日程での、天皇の沖縄・与那国訪問は、これまでの天皇による、慰霊や追悼の旅とは違った、別の意味を持つことにだろう。「象徴としてのありかた」を模索してきたという明仁天皇は、自ら「生前退位」の道を開いた。そして次なる天皇の即位を導いた。明仁の最後の沖縄訪問は、徳仁新天皇に課す新たな役割(「象徴的行為」)への布石としての旅かもしれない。

沖縄は、武力によって大日本帝国(天皇制国家)の版図へ強制的に組み込まれ、皇民化政策のもとで植民地的支配を自ら被りながらも、侵略・植民地支配の先兵として動員された。敗戦局面では、本土防衛の捨て石とされ、住民の四人に一人が死を強いられた。そして敗戦後は、間接統治の日本(ヤマト)とは違って、米軍による直接統治下に置かれ、一九五二年にサンフランシスコ講和条約によって「本土」が「主権回復」した後も、裕仁天皇のメッセージによって米軍の占領状態が継続された。同時に結ばれた日米安保条約により、占領(米)軍の日本への駐留が継続されることとなるが、軍政下で銃剣とブルドーザーによる強制的な土地の収用=米軍基地建設が行われた沖縄に、さらに日本からも海兵隊を中心とした米軍基地が移転され、その結果、「国土」の〇・六%を占める土地に七四%の米軍基地が押しつけられることになった。

このように沖縄にとっての「明治一五〇年」とは、大日本帝国による戦争・植民地支配政策(その破綻)と戦後のアメリカ核軍事力に依存した日米安保体制の矛盾が押しつけられてきた一五〇年であるといえる。

軍政下における「島ぐるみ闘争」(一九五六年)から近年の辺野古新基地建設や高江ヘリパッド建設を阻止する運動、オスプレイの配備に反対する運動など、幾たびも沖縄は反基地・反安保の声を上げ続けている。沖縄の声は、しかし、日本(ヤマト)にとって大きくは響いていないようにみなされる。

政府・安倍政権は、中国脅威論を煽りながら、沖縄の米軍基地強化とともに南西諸島(宮古島、石垣島、奄美大島)への自衛隊配備もすすめている。
私たちはヤマトの人間として、安倍政権の「明治の精神に学び、日本の強みを再認識する」として「明治の精神」を礼賛し、戦争と植民地支配の歴史を糊塗し、さらにその破綻の結果として生まれた平和憲法(憲法九条)をもなきものとする動きを許すことはできない。

沖縄を常に利用(構造的差別)し続けた「一五〇年」の歴史=近代天皇制総体の歴史を批判的に検証する集会(4・28:沖縄デー)と、天皇制の戦争責任・植民地支配責任を問い、歴史の改竄を許さない反「昭和の日」デモ(4・29:裕仁誕生日)の連続行動を、今年も作りだしていきたいと思います。ぜひ多くの方の賛同をお願いします。

天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28─29 連続行動実行委員会

【呼びかけ団体】

アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反/安保実行委員会反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

連絡先●東京都千代田区神田淡路町1─21─7 静和ビル2A 淡路町事務所気付
振替●00110─3─4429[ゴメンだ!共同行動]

【集会報告】「代替わり」と近代天皇制150年を問う反「紀元節」2 .11 行動報告

今年の二月一一日の反「紀元節」行動は、「明治150年= 近代天皇制を問う」と題して取り組まれた。

集会会場は水道橋の全水道会館大会議室。集会は、実行委員会に参加している立川自衛隊監視テント村からの緊急アピールから始まった。この日のデモの宣伝カーを出す予定であった立川自衛隊監視テント村であったが、早朝から駐車場を右翼の街宣車が囲み、それを取り巻く公安警察も眺めるだけのなかで、宣伝カーの移動をあきらめた旨が報告された。テント村の宣伝カーは、一昨年の一一月の吉祥寺デモの際と昨年一一月の「終わりにしよう天皇制」デモの直前の二度にわたり、右翼によって(いずれも警察の眼前で)フロントガラス等が破壊されている。アピールでは、右翼とその行為を容認する警察による表現の自由・デモの自由に対する攻撃に対して抗議するとともに、多様な協力関係を築き上げながら断固として行動を継続していくことが強調された(テント村の事務所にも右翼団体が押しかけたという)。

実行委のメンバーからの基調報告に続き、太田昌国さんの講演が行われた。 太田さんは、一五〇年前(さらに数十年遡る時代の中)には、その後に日本国家(天皇制国家)が実際に進んだ侵略・植民地支配への道ではない方向へと進む契機や可能性が多様に存在していたことを改めて認識しなければならないと強調された。

質疑応答を挟んで、様々な課題で活動に取り組むグループからの連帯のアピールが行われた。日韓民衆連帯全国ネットワークの渡辺さんからは「3・1朝鮮独立運動99 周年止めよう!安倍政権が煽る米朝戦争の危機2・24 集会」について、一坪反戦地主会・関東ブロックの青木初子さんからは、名護市長選挙の背景にも触れながら「辺野古新基地建設NO!2・25 首都圏行動」のアピール、「オリンピック災害」おことわり連絡会の仲間からは、「オリンピック・パラリンピック教育」の撤回を求める都知事と東京都教育長宛の署名への協力が呼びかけられた。天皇の代替わり過程を首都圏で闘う仲間からは、「新元号制定に反対する署名」への協力の呼びかけ、「安倍靖国参拝違憲訴訟」を担う浅野史生弁護士(デモの監視弁護もしていただいた)から、四月二七日から始まる高裁での闘いに向けてのアピール、「大軍拡と基地強化にNO!アクション2017」の仲間からは、「大軍拡と基地強化にNO!2・24 防衛省デモ&集会」のアピール、そして政府主催の3・11 東日本大震災追悼式に対する抗議行動についてのアピールがなされた。

集会後は、宣伝カーなしにもめげずに、神保町から御茶ノ水へとデモ行進を行って、「民主主義に天皇制はいらない」「神話に基づく記念日はいらない」の声を響かせた。

定員一六〇名ほどの集会会場に入れない人も相当数出る一九〇名が参加した。

(梶野宏)

*共同行動報告集(2018年3月9日発行)より