【集会報告】終わりにしよう天皇制 11 ・26 大集会・デモ報告

一一月二六日、「終わりにしよう天皇制11 ・26 大集会・デモ」が行なわれた。

集会は千駄ヶ谷区民会館。まずは憲法学者の横田耕一さんのビデオインタビュー。公務が明仁により拡大されてきた事などに触れ、「おことば」は政治介入であり憲法違反であると指摘。天皇制は全ての差別に繋がるとし、個人の尊重を徹底していく事で天皇制は不可能になるとした。

続いて朝鮮現代史の吉澤文寿さんの講演。征韓論などから始まり、この国のアジアでの自国優位の思い込みに端を発する「朝鮮を属国にしなければならない」という考えはイデオロギーとなり、それを天皇制が補強してきたと指摘。天皇制を背景としたこの国と朝鮮との歴史的関わりを解説した。「戦後」の天皇制のあり方については、植民地責任が曖昧にされてきた事を指摘し、それと共にアメリカの覇権主義を追求する事、朝鮮を忘れない事の重要性を示した。

質疑の後、休憩を挟み、徳仁へ抗議行動を行なって以来、公安の執拗な嫌がらせを受け続けてきたUさんの動画の上映。
公安は退勤時や外出時に、これ見よがしにUさんを「尾行」する。電車では二〇人ほどの公安が同じ車両に乗ってきた時もあったとか。その後、対抗運動が展開され「尾行」は無くなっている。

動画の後は新元号をネタにしたコントが披露された。かなり好評だったが、笑いを文章で表現するのは不可能なので割愛。終わりに、家父長制・戸籍制に反対する立場、非正規公務員の立場から、そして、島根、兵庫、大阪、静岡からアピールがあった。盛り沢山の集会だったが、まとまっていたのは、反天皇・反差別・反権力が背骨にしっかりとあったからだろう。

デモは原宿から渋谷へ歩く。三日前に右翼にボコボコにされたフロントガラスも復活。六月の吉祥寺デモを生き残った大横断幕は、インスタ映えするのか多くの人がスマホを向けていた。カウンター右翼も居たが、目立った妨害や襲撃も無く、警察の嫌がらせも比較的軽微な印象。 参加は集会一六〇名、デモ一八〇名。

穏便に代替わりを進めたい権力側の意図が良く分かるデモだった。もっと波風立てる様、言葉もアイディアも練らなきゃならない。

(村上らっぱ)

終わりにしよう天皇制11.26集会集会宣言・抗議声明

首都圏の天皇制問題を考えてきたグループ・個人で構成されるこの11.26集会実行委員会には、反天連も全力でコミットしてきた。というわけで、当日の集会宣言と、その3日前の宣伝カーへの右翼テロに対する実行委の抗議声明だ。これからもこの実行委は続く。ご支援を!

 

●集会アピール

天皇教という言葉もある通り、天皇一家の宗教としての振る舞いは、これから予定されている代替わり儀式において、もっとも濃密にあらわれる場面となる。
メディアに映るのは民衆の素朴な信仰を装っているが、天皇教はあまたの宗教と違い当たり前のように公共予算を食いつぶす。法律(憲法)によって存在を許されながら、その法律を無視し、ゆがめ続けることも天皇の十八番である。2016年7月から始まる「生前退位」騒動は、代替わりを円滑に進めようという天皇と支配層の都合ばかりが通りすぎている。特例という名の茶番は、天皇制自体がかかえ持ってきた混乱でしかないことを思い起こすべきだ。

この宗教の原理主義者というべき人たちは長い間、「日の丸・君が代」をはじめとする選別の道具を用いて、異端をあぶりだしては、官民あわせたむき出しの暴力をちらつかせてきた。

一方、今の天皇は原理主義色を薄めることも意図しながら、被災地を含め少数派と思しき人々への「慰問」に精を出し、より幅広い信仰のすそ野を広げようと「仕事」してきている。今回オリンピック開催を前に譲位しようとする天皇の意図も、穏健さの表れとして好意的に解釈されがちだ。しかしその作業は、身分等の差別を含んで広がる格差をあたかも平らに地ならしするように装いながら、その作業をする天皇自身は、格差の頂点あるいは格差の枠外に座り続けるという理不尽をあらわしているのである。

もちろん日本の中だけでない。アメリカからやってきたトランプのような乱暴な人気取り差別主義者でさえ、天皇一家の儀礼的空間をくぐれば、彼の犯罪性を薄めるかのような政治的効果を生み出したりもする。天皇は、かつて自分の親たちが侵略戦争でアジアの地を血で染めたことを原理主義の行き過ぎとしてしか顧みないのだろうか。近い将来、短絡的で好戦的な支配者たちが朝鮮半島で一線をこえることがあれば、天皇たちは静かなお墨付きを与えるのだろうか。

今、代替わり儀式のみならず、天皇のあり方を問うこと自体に委縮する状況ではある。
これまで述べてきたような「平和天皇」の姿は、天皇制に異を唱える存在に対する右翼の暴力と、それを黙認する警察によってはじめて成り立っている。
このことを放置し看過すれば、表面的な政治変革さえまっとうされないし、格差の下層におかれた人々が孤立した末に天皇教のようなまがいものにしか希望を見いだせないという悪循環が続くことになってしまう。

天皇代替わり儀式は、そもそも血縁が(男子を通してのみ)長い歴史を経て続くという天皇一家の宣伝の場であり、いつわりの権威づけの核心でもある。その思想のために、どれだけの性差別と、優生思想とが生み出され、どれだけの生身の人間が絶望の淵へと追い込まれたことか。結集された怒りこそが天皇制、天皇制的なものを終焉に追い込み、真に素朴な関係性で人が生きる社会へと展望を開くだろう。

天皇制はいらない! 天皇制を終わりにしよう!

2017年11月26日 集会参加者一同

 

●抗議声明「天皇主義右翼による、立川テント村宣伝カー破壊を許さない。暴力に萎縮せず、反天皇制の声を大きく上げよう!」

11月23日、陸上自衛隊立川駐屯地で行われた「防災航空祭」に抗議していた、地域の反戦・反基地団体「立川自衛隊監視テント村」の宣伝カーが、街宣右翼によって1時間にわたる攻撃を受け、フロントガラスやサイドミラー、ランプなどが破壊されるという事態が起こった。

テント村の宣伝カーは、昨年11月20日の吉祥寺で行われた「天皇制いらないデモ」でも襲撃・破壊されている。今回も襲撃者が「去年今年とよく壊れる車だなあ」「26日はこんなもんじゃねえぞ」と口にしていたことからも明らかなように、右翼の目的は、反基地運動に対する襲撃であると同時に、明日、11月26日に私たちが行なおうとしている「終わりにしよう天皇制 大集会・デモ」への攻撃であったことは明らかだ。同宣伝カーが、この間の反天皇制デモの先導を務めていることを知った(知らされた?)右翼が、この宣伝カーを狙い撃ちにしたのである。今回、とりわけ防災航空祭抗議行動の終了後、撤収中の宣伝カーを街宣車で取り囲んで執拗に襲撃したことは、それがたんに偶発的な事態ではなく、 きわめて計画的な犯行だったことを物語る。
さらに、私服公安警察や立川署警備課の警察官も、目の前で起こっている破壊行為を黙認していた。天皇主義右翼と警察とが馴れ合って、白昼堂々、好き放題の蛮行がなされたという事実を、私たちは決して許さない。

こうした天皇主義者による暴力、それは「平和天皇」「護憲天皇」と賛美され、いわゆる「リベラル」層からも評価の高い明仁天皇制もまた、現実には暴力によって支えられていることを明らかにする。

世襲の君主という特権身分が「日本国および日本国民統合の象徴」として据えられている。この天皇制という差別的な制度の存在自体が、「絶対敬語」や「人格賛美」を通じて、特別な存在に対するタブー意識を日々作り出し、天皇制の前には私たちの人権や権利は制約されてもやむを得ない、とする感性を生み出す。
右翼の暴力は、間違いなくそのような意識の上に乗って存在し続けているのだ。

右翼暴力の目的は運動を萎縮させることにあり、警察もまた右翼暴力を利用して運動に介入しようと絶えず目論んでいる。だからこそ私たちは、いま、敢えて天皇制反対という声を明確に上げていかなければならない。

「終わりにしよう天皇制 大集会・デモ」(11/26 13:00 千駄ヶ谷区民会館)に結集し、各地域・現場で反天皇制の声を上げていこう。

2017年11月25日
終わりにしよう天皇制11・26集会実行委員会

★テント村へカンパを!★

立川自衛隊監視テント村  立川市富士見町2-12-10-504  tento72@yahoo.co.jp   カンパ振込先⇒郵便振替00190-2-560928 (口座名「立川自衛隊監視テント村」)

【追悼文】追悼・上原成信さん

沖縄・一坪反戦地主会・関東ブロック」の代表的存在で運動の〝顔〞といった存在であり続けた上原成信さんが、一九四四年(一月)以来住み続けた「ヤマト」の生活を切りあげ沖縄へ帰ったのは、おそらく二〇一四年のことだったと思う。

成信さん亡くなる、の悲報が届いた時(一〇月二六日、亡くなったのは二五日)、私がすぐ思い出したのは、東中野の沖縄料理店での送別会でのやりとりだった。この時、闘病中でフラフラする足取りで、やっとそこに参加できた私を迎え、成信さんは、本当に嬉しそうに「そんな状態で、良く来てくれた」とひどく率直に喜んでくれたのである。

この時、成信さんは、九〇歳に近づいている自分は、でも沖縄での座り込み行動に参加し続けるという決意表明をして、すこぶる元気だった(事実、帰ってからそのように闘い続けていることは伝えられていた)。「沖縄の反基地行動でまた会いましょう」。この約束は、けっきょく、果たせなかった。沖縄まで行って激しい行動に参加できる状態には、私の病いの体は回復しないままであったからだ。そのことの残念さが、まず胸をついた。

ここで「ひどく率直に」と書いたのには理由がある。私と上原さんとの交流が始まったのは一九八七年に、私と同世代で当時三九歳の知花昌一さんが沖縄読谷村の国体会場(ソフトボール大会)に掲げられた「日の丸」を焼いて抗議した行動への刑事弾圧。この裁判の長い救援活動を通してであった。ヤマトで生活し続けてきたとはいえ、いやそれだからこそなのかもしれないが、成信さんの〈ウチナンチュー・アイデンティティー〉は強烈なものであった。その強烈さがしょうしょう苦手であった私。それが原因であろうと思うが成信さんは、いつも私に、皮肉な言葉を投げ続けてきた。例えば、こんな具合に。

よくあったことだが、私たちの集会でのアピールをお願いすると、彼は「君の頼みは二回に一度はチャンと引き受けないわけにはいかないからな」という言葉が、なんどもかえってきた。実際のところは、お願いさえすればほぼ毎度来てキチンとアッピールしてくれていたにもかかわらずである。他の活動がいそがしすぎて、沖縄現地の裁判所に足をはこぶことの少なかった私に、毎回キチンと傍聴に出かけていた上原さんの方はイライラしていたのかもしれない。だから、「日の丸」裁判の後に私が基地問題をめぐる闘いに合流すべく、自分でも信じられないぐらいの頻度で沖縄にかよい続けた時などは、貧乏人の私の交通費などを心配し、私の古書店に本を大量にカンパとして、プレゼントしてくれた時もあったのだ(そういう、やさしい人でもあった)。

私は「知花裁判」のニュースの発送なども、ともにするために、よくうかがっていた成信さんの中野のマンションの一部屋から本をはこび出し、大きな台車に大量につみあげて、早稲田通りをエッチラオッチラ運んだ時のことをよく憶えている。渡された本の中に『暮らしの手帖』が何年分もキチンと揃っていたこと(それをなんとなく成信さんらしい本だなと思ったこと)も、鮮明に記憶している。

もう一点だけ書いておきたい。私は上原さんに、天皇(制)についてどう思うかと正面から質問したことが一度だけある。成信さんは、「関心持たなかったネー、私たち沖縄の人間にとっては『強制』された嫌なものだったけどネェー」というような答えだった。それは、あなた方ヤマトの人にとっては当然にも重大な問題なんだろうが、ウチナンチューにとっては外から強制された「飾りもの」だよ、という調子で。

この回答にも沖縄人のプライドがにじんでいた。その時は、そのプライドにはねつけられてしまったままだったが、次は、もう少しその心情の内側に入りこんだ討論をと思った。しかし、その機会は永遠に失われてしまった……。

私は闘病を持続し、成信さんの故郷の反基地闘争に合流するための沖縄行きをあきらめまい。今、そう決意する。成信さんは亡くなっても沖縄の地に、まちがいなく生き続けているのだから。

(天野恵一)

【今月のALERT】「退位・即位・改元」がつくり出す天皇フィーバーをはね返そう!

一二月一日、天皇「退位」、新天皇「即位」、「改元」のそれぞれの日程が明らかになった。同日開催された「皇室会議」で、出席者の意見をもとに議長の安倍が二〇一九年四月三〇日「退位」、同年五月一日「即位・改元」案を示し、決定した。報道どおりであれば同月八日閣議決定する。

皇室会議出席者は「皇室典範」で定められた、首相、衆参両正副議長、最高裁判所長官および裁判官一人、宮内庁長官、皇族二名の一〇名と、菅官房長官。皇室典範規定からはずれる官房長官の出席は、「退位を実現する特例法の担当閣僚」としてという理由づけがなされていたが、この規定外行為はあきらかに官邸側の圧力を見える形にしたものであり、政府・宮内庁間の確執の一つの表れだと見た方がいいだろう。

日程については、「国民の便宜優先」の政府案(年末・年始)と「天皇の私的行事優先」の宮内庁案(年度末・年度初め)が拮抗する様相にあったが、結果は思いもよらない、体制的な「区切り」さえも感じさせない第三の案となった。この日が選ばれた理由を、「国民」がこぞって天皇の退位と新天皇の即位をことほぐにふさわしい日とするためと説明している。

「国民の便宜」などという体のいいことを言っていたが、ここにきて、天皇の代替わりを「国民」こぞってことほぐ日にするというのだ。「改元」を何かの区切りとすること自体を拒否し、「元号」そのものに反対する私たちの立場からすれば、どのような理由でもいらないとだけ言えばよいところだろうが、この公式の理由は大いに問題としていきたい。
天皇制に対する多様で自由な意見を寄せつけないこのような政府の説明こそが、思想・心情の自由や表現の自由を社会的に縛っていくものであることを強調しておきたい。こういった社会風潮、根強いタブー意識に支えられて右翼の暴力と警察の弾圧が介在することも。

そして、マスメディアの天皇報道についてはこれまでも繰り返し問題としてきたが、この「代替わり」を巡っても、天皇を心配し、あるいは退位を惜しみ、新天皇即位に新しい時代を喜ぶと言った声ばかりを拾い集めては、大量に流し始めている。そのメディアに誘導される形で人々は皇居へ向かったり、マイクを向けられると同様の言葉を口にする。それは反復し再生産され、人々を天皇フィーバーに煽り続けている。

こういった状況下で、そうではない感じ方・考え方があり、それもありなのだということ。しかしそれが「ありではない」社会となっていること。そしてそれがいかに歪で不自由で不平等、かつ危険な社会であるのかを伝えていくこと。反天皇制運動はこの地点から一歩も前進していない。でも、諦めているわけではないし、諦めるわけにもいかないのだ。

実際、昨年の天皇の「意向表明」以来、首都圏だけでもこの課題でたくさんの集会やデモが持たれているし、全国的にも私たちが知る限り関心は拡がり、集会なども開催されている。だが、反天皇制を掲げるだけで右翼が動き、警察が大量動員されるという事態は変わらない。

昨年一一月二〇日の吉祥寺デモの惨状はすでに本紙でも伝えた。一年後の一一月二三日、反天連も実行委として参加している「終わりにしよう天皇制11 ・26 大集会とデモ」で使う予定の宣伝カーが、このデモで使用することを理由に再度の襲撃にあった。フロントガラスやサイドミラーが割られ、車は満身創痍状態となった。この日、陸上自衛隊立川駐屯地で行われた「防災航空祭」に対し、立川の仲間が抗議行動を行ったが、その終了後、車の移動中を襲うという卑劣なやり方と度を超した暴力を警察は黙殺した(抗議声明参照)。しかし車は復活し、三日後の集会・デモでは大活躍した。すごい!(拍手) この集会は、首都圏で天皇制問題を考えてきたグループ・個人が集まってできた実行委主催で、久しぶりの大きな枠の実行委である。

この緩やかで力強い実行委や例年の反天皇制実行委、そして全国の天皇制に異議申し立てする人々とともに、「退位・即位・改元」「即位礼・大嘗祭」と続く、天皇代替わりが造り出す天皇賛美状況、天皇の更なるタブー化、まつろわぬ者たちへの暴力と弾圧、差別・排外的言動に抗していきたい。

最後に、恒例の反天連主催12 ・23 集会への参加を呼びかけたい(チラシ・インフォ参照)。ぜひお集まりください!

(桜井大子)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 18号(2017年12月 通巻400号)

今月のAlert ◉「退位・即位・改元」がつくり出す天皇フィーバーをはね返そう!(桜井大子)
反天ジャーナル◉なかもりけいこ、捨てられし猫、桃色鰐
状況批評◉改元は、元号をやめるいい機会(チャンス)だ!(中川信明)
追悼・上原成信さん(天野恵一)
ネットワーク◉アキヒト退位・ナルヒト即位問題を考える練馬の会準備会(池田五律)
書評◉『誰が〈表現の自由〉を殺すのか〜ニコンサロン「慰安婦」写真展中止事件裁判の記録』(永田浩三)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈91〉◉代議制に絶望しておろおろ歩き……(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈18〉◉天皇一族の存在とマスコミ賛美報道と右翼の暴力との関係:〈壊憲天皇明仁〉その16(天野恵一)
終わりにしよう天皇制11 ・26 集会◉集会宣言・抗議声明
野次馬日誌
集会の真相◉11・16 生前退位、何が問題か「バンザイ訴訟に学ぶ」/11・18 「平成」代替わりの政治を問う・連続講座第2回「生前退位」報道を総括する/11・23 「原発マネー」で現地は本当に潤っているのか!? /11・26 終わりにしよう天皇制集会/11 ・29 天皇代替わりに異議あり!終わりにしよう天皇制(大阪)
学習会報告◉立教女学院短期大学公開講座編『天皇制を考える』(新教出版、一九九〇年)
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

*2017年12月5日発行/B5判20ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【集会案内】12.23に天皇制の戦争・戦後責任を考える討論集会 「生前退位」!? なにやっテンノー!!??

12.23に天皇制の戦争・戦後責任を考える討論集会
「生前退位」!? なにやっテンノー!!??

▼日時
2017年12月23日(土・休) 午後13時30分開場
千駄ヶ谷区民会館2F
JR原宿駅/地下鉄北参道駅下車

▼問題提起
平井玄・天野恵一・桜井大子・北野誉

◆12月23日がなぜ「国民の祝日」なのだ?
──天皇の誕生日だから……。
天皇制の問題を考える際の基本的な問いでもある。私たちはこの日こそは、天皇の戦争・戦後責任、そ して現在的な問題について議論すべきと考え、討論集会を持ちつづけてきた。 今年はやはり、天皇が言い出しっぺでことが進められたこの「生前退位」と「天皇代替わり」状況を巡っ て、みなさんと議論したい。
◆なぜ私たちは天皇制に反対するのか、なぜ多くの人々は天皇制を受け入れるのか、私たちが考える 天皇制の問題はどのようにすれば伝えられるのか、この「天皇代替わり」の騒ぎの中で議論する意味は 大きい。反天皇制運動を作り出すための基礎的な筋トレです! 多くのご参加をお待ちしています!!!!

反天皇制運動連絡会

【声明】立川テント村宣伝カーへの右翼の襲撃を許さない= 抗議声明とカンパのお願い

●右翼による襲撃で破壊されたテント村の宣伝カー

 11月23日、陸上自衛隊立川駐屯地で開催された「防災航空祭」に抗議する例年の情宣活動を行ないました。ここ数年、わたしたちを攻撃するために複数の右翼団体が登場していましたが、今年の攻撃は特別に激しいものでした。何台もの街宣車でテント村の宣伝カーを取り囲んで進路をふさぎ、大音響で「国賊!」と叫び続けて反戦の呼びかけを妨害したり、サイドミラーを割ったりという暴力行為を続けました。

 さらに行動終了後、駐車場へ撤収中の宣伝カーを路上で街宣車が取り囲み、7~8名の右翼が1時間にわたって宣伝カーを叩く、蹴る、ものを使ってガラスを割るなどの乱暴をはたらきました。また車内の運転手に対し、民族差別やセクハラを含む激しい罵声を浴びせ続けました。

 右翼対策員と思われる10名ほどの私服公安警官は暴力行為の当初から周囲にたむろしていましたが、一向に暴力を止めることなく、宣伝カーの破壊を放置しました。途中から到着した10名ほどの立川署警備課の制服警官も、なにやら公安と打合せをしたり、他の車の通行を確保するための交通整理をするばかりで、目の前で繰り広げられる破壊行為に対して手出しをしようとしませんでした。

 暴力行為がはじまって1時間後、ようやく警官が街宣車に移動を促し、宣伝カーは移動することができました。

●「終わりにしよう天皇制11・26大集会」への大結集を!カンパを!

 被害は、フロントガラス、サイドミラー、前後のランプ、フロントグリル、鍵穴・ワイパーの破損など全体に及んでいます。ボディは数十回蹴りつけられて変形し、走ることはできますが内部の損傷なども心配です。車を破壊した右翼はもとより、暴力を放置した警察に対する怒りも禁じえません。

 この攻撃は、立川駐屯地祭への抗議行動を潰すために行われたものであると同時に、直後の11月26日に予定されている「終わりにしよう天皇制 大集会・デモ」への事前攻撃であることは明白です。襲撃にきた右翼からは、「26日はこんなもんじゃねえぞ」とか、「去年今年とよく壊れる車だなあ」などの発言もありました。昨年11月20日に吉祥寺で行われた「天皇制いらないデモ」でもテント村の宣伝カーが襲撃・破壊されましたが、一連の「平成代替わり反対闘争」でこの宣伝カーが果たしている役割を念頭においての襲撃です。

 暴力を使って基地反対や天皇制反対の声を封じ込めようとする右翼団体、襲撃を黙認することで運動つぶしをはかる警察を許すことはできません。「終わりにしよう天皇制 大集会・デモ」への大結集を訴えるとともに、修理費や買い替えも視野にいれたテント村へのカンパをよろしくお願いします!

2017年11月24日

立川自衛隊監視テント村
立川市富士見町2-12-10-504 042-525-9036 tento72@yahoo.co.jp

カンパ振込先⇒郵便振替00190-2-560928(口座名「立川自衛隊監視テント村」) 続きを読む 【声明】立川テント村宣伝カーへの右翼の襲撃を許さない= 抗議声明とカンパのお願い

【学習会報告】ケネス・ルオフ『国民の天皇:制度と個人のはざまで』(岩波現代文庫、二〇〇九年)

著者は北海道大学で教鞭をとり日本滞在の経験もある米国人、ケネス・ルオフ。 膨大な資料に目を通した実証主義の本としてとても面白かった。〈注〉が七七ページもあり、参考文献も読書意欲をかき立てると参加者の声。

「大衆天皇制」が中心テーマで、戦後日本の象徴天皇制がどのような過程を経て「国民」の間に定着していったかが記されている。この著作が最初に出されたころにピューリッツァー賞を取った、ハーバート・ビックス『昭和天皇』は天皇制の政治的役割を追跡したものであるが、本書は制度としての戦後天皇制の改編を分析したものだとルオフは語っている。

戦前と戦後の連続性にスポットをあて、外国の君主制とくに英国の立憲君主制との比較を通して分析がなされている。 そして特に面白かったのが、右派、民族派の運動に注目している点である。右派の団体がしばしば合法的なルートを使って、政治的影響力を発揮した経緯を軽視ないし無視してきた歴史記述を修正する作業は、九州の片田舎で農業や左官業、理髪店を営む青年らを紹介し、全国に広がる草の根運動が元号法という天皇制に絡む法律の制定に至ったことを明らかにする。

この学習会でも頻繁に名前があがるような天皇(制)論を語った学者たちの整理も簡潔で、私のような不勉強な者にはガイドブックとしても便利だ。昨今流行の学者が、象徴天皇制は明治以前の伝統だなどと発言しているのを目にするが、政治的右派はそうした解釈により戦後の民主体制を受け入れてきた。まさにその過程が記されている。そして近代以前の伝統への回帰ととらえるのは問題があるというのだ。報告の後はタイトルについて「国民」じゃなく「人民」がよかったのではないかとか、「文庫版のためのエピローグ」に憤慨する者や、否その理解とは違うなどとワイワイと盛り上がった。監修高橋紘。季刊『運動〈経験〉』10 号の吉田裕論文とあわせてお読みいただきたい。

次回は「天皇制を考える」(新教出版社)

(桃色鰐)

【書評】安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京事務局『安倍靖国参拝違憲訴訟・東京第一審記録集』

この「安倍靖国参拝違憲訴訟」については、すでに昨年一〇月と今年二月には大阪訴訟の一審・二審判決が出され、さらに、今年の四月に東京訴訟においてもひどい一審判決が出されたことは「Alert 」11 号や、その他でも報告されている通りです。

現在、東京訴訟では二審の手続きに入り、大阪訴訟でも最高裁に向けた取り組みが開始されていますが、全体の情勢は「安倍忖度」も深まり、とうてい、希望を抱かせるものではありません。

しかし、こうした現実に対する違憲訴訟を提起することは、ただ法廷での「結果」だけの意味にとどまるものではないことはご存じのとおりです。私たちが取り組んだ、この東京での違憲訴訟においては、海外を含む多数の原告や、法律・歴史学の専門家証人によって、重要な問題提起がなされており、それ自体が意味を持つものだということを、改めて強調したいと考えます。この「一審記録集」は、B5判並製・三一六ページ・四段組みにわたり、二〇一四年から今年までの闘いの記録がまとめられています。

裁判所は、このような多数の原告が立った裁判では、極力、書面提出のみにさせ、要旨の朗読のみを制限された時間内で処理しようとします。しかし、弁護団と事務局は、ぎりぎりまで、できるだけ多数の証言を実現させようと努力を重ねました。専門家証人の吉田裕(歴史学)、青井未帆(憲法学)、木戸衛一(歴史学)、南相九(歴史学)、張剣波(歴史学)の各氏の証言は意見書提出とさせられましたが、この記録集には、この専門家意見書に加え、実現された原告八名の意見陳述、原告二十二名の本人尋問の発言内容が全文掲載されています。

憲法訴訟の記録集、なおかつ大部の資料だということで、原告や法曹関係者以外は手に取りにくいものと思われるでしょう。訴因の法的根拠などを述べる弁護側の書面や、判決文などにおいては、そのことだけを取り上げるならば確かに否定しづらい面はあります。しかし、今回のこの訴訟においては、口頭弁論が重視され、多数の原告が意見書を提出し、法廷において自ら意見陳述に立っていったのでした。

この原告たちの証言は、いずれも、とても熱のこもったものでした。そして、何よりも強調したいのは、これらの証言が、自らの具体的な個人史に裏打ちされたものであり、歴史的な事実を述べるときにも、政治に対する危機意識や憤りを語るときにも、きわめて同時代的に、ひと一人の尊厳を懸けた発言内容であったということです。

大日本帝国による戦争が、侵略と植民地支配によりひとを殺害し、またはその手先とさせられて「戦死」させられたという事実は、靖国により「戦没」者がその名を奪われ「× × 命(ミコト)」と改変されて「祀られ」、観光客に向けて遊就館に「陳列」されているシロモノが示す意味とは、まったく次元を異にするものです。死者が誰であったのか、その死をどのように受け容れさせられようとしたのか、そしてその死者を誰がどのように利用して、虚偽そのものでしかない「歴史」や政策、妄動や暴力の煽動へと変えていったのか、それこそが靖国でありこれを明らかにして否定することこそが、この裁判の意味でもありました。

証言に立った原告たちの多くは高年齢層であり、枯れた柔らかな印象の方たちです。しかし、その胸の裡に持ち続けている悲しみや怒りが証言の言葉として迸るのを、傍聴席で聞いていて、思わず息詰まり涙ぐむことをしばしば抑えられなくなりました。こうした訴訟がなぜ必要なのか、裁判という場をかりて、ひとの歴史をつないでいくことの意味を、深く考えさせられました。

政教分離原則や、信教、思想信条の自由、平和的生存権や人格権など、原告の権利や法益のあらゆる点が、一審判決では無視され足蹴にされましたが、この裁判は、最初に触れたようにまだ継続中です。そして、あらためて強調したいのは、この裁判のみならず、あらゆる方面から、私たち自身の生と歴史の意味をつき出していくことの重要性です。もし憲法訴訟に敷居の高さを感じる方がいるとすれば、それは誤解です。歴史をつなぐこと、憲法を生かすということが、一人の人間においてどのようなことであるか、ほんの一端でも、この記録集の原告証言や弁論からくみとっていってほしいと、心から願います。

二〇一七年八月一五日発行、二〇〇〇円申込先:〒202-0022 東京都西東京市柳沢2-11-13
郵便振替口座:00170-2-291619
http://seikyobunri.ten-no.net
mailto://noyasukuni2013@gmail.com

(のむらともゆき)

【今月のAlert】「平成流象徴天皇制」の「努力」に対抗する運動を!

衆院選は自民党が単独で過半数を獲得し、自公で三分の二の議席を維持する圧勝だった。前回と同じく今回も自民党が最終演説を行ったのは秋葉原。多数の「日の丸」の旗に出迎えられ、北朝鮮の脅威をあおる安倍の演説に高揚する人々の姿に心のざらつきを覚えたのは私だけではなかったはずだ。安倍の言う「国難突破解散」は、学校法人「森友」「加計」問題による支持率低下を瞬時のものとしてしまった。「外敵を見出して国難を叫び、他国との緊張関係を高めて自国内で自らの権力強化を狙う指導者は枚挙にいとまがない」と政治学者がコメントしているが、まさにそのような選挙結果であった。戦後二番目の投票率の低さだったというが、年齢が低下するほど安倍の支持率が上がるということに、これまたざわざわと心穏やかではいられない。

今回自民党や希望の党の対抗軸として立憲民主党が躍進した。改憲に「NO」を唱える人々の票もそこに流れたことは間違いないであろう。しかし、枝野が民主党時代九条改憲を提示していたことはやはり記憶しておくべきだろう。九条改憲を巡る政治状況が今迄とは明らかに違う時代に入ったということは認識する必要があると思う。今のところ世論調査では九条に自衛隊を明記することに五二%が反対しているということだが、「安倍政権下では反対」だという声に注視していきたい。

そんな選挙戦の投票日の前々日である一〇月二〇日、朝日新聞は天皇退位の日程を一九年三月末と一面トップで報じた。その翌日には(東京)(毎日)(読売)各新聞もこぞって掲載した。この時点で菅義偉官房長官は選挙前でもあり否定をしたようだが第四次安倍内閣も発足し、すでに皇室会議の日程調整に入っていると思われる。

一一月以降に皇室会議を経て(共同、読売では一二月との報道)、退位と改元の期日が決定され、一八年中に新元号公表。一九年三月三一日に天皇退位、四月一日に皇太子ナルヒトが新天皇に即位し、新元号が施行されるという流れが予想されている。

一時浮上していた一八年の退位は、年末年始の宮中行事が立て込んでいる時期で物理的に難しいとか、アキヒトが一九年一月七日予定の『昭和天皇三十年式年祭』を自身でやることを強く望んでいるので、それまでは天皇でいたいからだとか、漏れ伝わる情報で真意のほどは定かではないが除外されたとみていいだろう。

今号の学習会報告で紹介したケネス・ルオフ著『国民の天皇』は、象徴天皇制が如何にして人々の間に浸透していったかを記するなかで、皇室も「国民」に受け入れられるように努力してきたという(学習会報告参照)

いわゆるアキヒト「生前退位」メッセージから、その日程が具体化してきた今日に至るまで、こと天皇に関しては完全に翼賛体制化している実態を随所で見せられる私たちであるが、それもアキヒト・ミチコの「平成流象徴天皇制」の「努力」がなし得た成果の一つであることに間違いない。

では一体その「努力」とはどのようなものなのか。ルオフは天皇夫婦の行動目標は、社会の片隅に追いやられた人々を引き出すことと、戦後を終わらせることの二つであるという。実際、被災地巡行を熱心に行い、かつての激戦地を尋ねる旅を続けた。そして、それが象徴の務めであると天皇自ら象徴規定をするほどに使命とし励んできたのだろう。

そのような天皇制を私たちはいらないと否定している。それはなぜなのか!その理由を自由に語らせてほしい。しかしそれを許さないのも天皇制だ。

天皇制はあらゆる側面に渡って修正が施され、近代化されてきたという。時代とともに変化してきた。そして反天皇制の運動も、その変化に対抗しその都度模索し思考してきた。これは否定することが出来ない抵抗運動の歴史だ。積み重ねられてきた議論は決して無駄ではなく、新しい仲間を繋ぐ力であると思っている。現在反天皇制の声をあげるのは少数者となってしまった。けれどもここ数年、新しい参加者が毎回増えていることも事実なのだ。

強制的に植え付けられた価値観を取り払い、私は天皇制から解放されたい。新しい天皇はいらない。終わりにしよう天皇制、仲間とともに!

「終わりにしよう天皇制」11 ・26 集会デモと、恒例の12 ・23 集会に来てね!待ってます!

(鰐沢桃子)