反天皇制運動連絡会 のすべての投稿

【集会宣言】「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ 8・15反「靖国」行動 集会宣言

参院選の結果、改憲勢力が衆参両院で改憲発議が可能な全議席の三分の二を超え、また日本会議の副会長でもある小池百合子が東京都知事に当選し、そして第三次安倍改造内閣に、4・28と8・15に靖国神社を、閣僚であった時期も含めて欠かさず参拝してきた稲田朋美が防衛相となる──。このような時代状況のなかで、われわれは今年も、8・15反「靖国」行動を迎えた。

安倍政権下、具体的に「戦争をする」国家体制は日々現実のものとなっている。中国や朝鮮の脅威を煽り、沖縄を日米の前線基地にするために、先島への自衛隊配備や、大量の機動隊を辺野古や高江に投入して、暴力的に新基地建設を推し進めようとしている。「日米同盟」のためのパフォーマンスは、「伊勢志摩サミット」にともなうオバマの広島訪問においてもみられた。そこでは、原爆殺戮の当事者であるアメリカ政府の代表者であるオバマも、植民地支配と侵略戦争の結果として、原爆被害を招いた日本政府の代表者である安倍も、その戦争犯罪について謝罪することなく、原爆の死者を日米同盟の強化、「和解と未来志向」の場へと利用したのだ。

8・15もまた、戦争の死者を利用し尽くす場である。本日、天皇出席のもと九段で行なわれている「全国戦没者追悼式」は、戦争の死者を戦後日本の「平和と繁栄」のための「尊い犠牲」として称えることで、人びとを死に追いやった日本国家の責任を解除する欺瞞的な儀式である。8・15はけっして戦争終結の日ではなく、「終戦の詔勅」の「玉音」が放送された日に過ぎない。にもかかわらず、この日が「終戦の日」とされていることは、「戦後日本の平和」が天皇の「ご聖断」によってもたらされたとする神話を再生産していく。

そしていま、いわゆる明仁天皇の「生前退位」の意向表明によって、新たな形態での天皇の「代替わり」が開始された。

八月八日の天皇の「玉音放送」が示したことは、憲法解釈学においても論点となっている、「天皇の仕事」とは何であるのかということを天皇自身が決め、そしてそれを天皇が円滑に遂行するためのシステムをつくるように促したという事実である。その行為も、それを当然のように受け入れる心性も、民主主義とはほど遠い態度である。憲法の天皇条項は、こうした現実政治への関与を防ぐために、かつての天皇制国家への反省として定められた。天皇の行為は明らかに違憲の行為だ。

天皇の憲法違反は許されない。そもそも、天皇の「公務」自体はいらない。天皇制そのものが廃止されなければならない。本日のデモは、今後数年間にわたる、天皇主導の新たな天皇制づくりに反対する最初の街頭デモともなる。最後までともに闘おう!

【学習会報告】『昭和の終焉 1988.9—1989.2 天皇と日本人』 (朝日ジャーナル編、朝日新聞社、一九八九年)

前回Xデー期間中の朝日ジャーナル掲載の文章を集めた本である。弓削達はローマ皇帝に対する死者裁判と言う制度を通してヒロヒトの戦争責任を問い、加納実紀代は大塚英志の「少女たちの「かわいい」天皇」に反論し、河原宏は皇太子アキヒトのイメージ戦略が実は皇太子ヒロヒトに対するイメージ戦略の焼き直しだったことを指摘しつつアキヒトが「福祉的・恩赦的」天皇となる可能性を論じ、色川大吉はアキヒトと天皇制の今後に対する楽観的な見通しを語る。他にも、荒俣宏のオカルト天皇論やライシャワーの天皇礼賛、さらに野村秋介の談話、亀井静香・山花貞夫・上田耕一郎の座談会までと実にバラエティーに富んでいるが、植民地から見た天皇像や代替わり儀式の違憲性を指摘する文章もきちんと入っている。編集部の文章はXデー状況のジャーナリスティックな報告と分析で、当時を振り返るには便利だが詰めは甘い。

が、白眉は中ほどにある、現人神ヒロヒトを記憶している人々による、Xデー直後に発表された文章群だろう。大岡昇平、井上ひさし、野坂昭如、鶴見俊輔、神島二郎、日向康による文章がそれだ。そこにあるのはヒロヒトへの愛憎半ばする思いを抱えた知識人の姿である。愛のほうが勝っているとまでは言わなくとも、まだまだ充分愛は強いと見える人もいて、今更何を言ってるんだと笑われてしまうかもしれないが、僕は言葉を失った。ヒロヒトへの愛憎入り混じった複雑な感情は、兵士や庶民(嫌な言葉だ)ならともかく、知識人は克服しているものと思い込んでいたのだ。この驚きは学生時代『きけ、わだつみのこえ』を読んで、当時の超エリート、知識人予備軍たる大学生たちが内面でどう考えようとも兵士として死んでいった事実への納得出来なさに通じる。いや、もう、なんてことだ。

しかし、人はアキヒトに対してヒロヒトのような愛憎は抱かない。護憲天皇として、それこそ知識人から庶民まで濃淡の差はあれ愛を持っているのではないだろうか。アキヒト自身は、天皇は憲法を超越した存在と考えていることが判明した現在(でなきゃ生前退位なんて本人が大っぴらに言えない)でもこの勘違いは消えない。人々が恨みも憎しみも感じない王を廃するにはどうすればいいのだろうか。天皇自身がXデー開始を宣言しちまったんだが。

*次回は八月三〇日。横田耕一ほか『象徴天皇制の構造』(日本評論社)。

(加藤匡通)

【集会報告】8・15実前段集会 「聖断」のウソ─天皇制の戦争責任を撃つ

「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8・15反「靖国」行動は、今年も、七月三〇日の前段討論集会と八月一五日の当日行動の組み合わせとして進められている。

始まったばかりの、天皇自身によって領導される「天皇制の代替わり」過程のなかにあって、そして同時に、安倍政権の推し進める「改憲」過程のなかにあって、日本国家の植民地支配、戦争・戦後責任を、歴史として問い直しながら、現在の私たちを含む社会全体にとっての課題として打ち出していくことは、より重要な意味を持っている。

今回は、講師として、いつも私たちの行動に参加し伴走してくれている千本秀樹さん(日本近現代史研究)に、「『聖断』のウソ─天皇制の戦争責任を問う」と題した問題提起をしていただいた。

昭和天皇裕仁の終焉が近づいた時期になって、「昭和天皇は平和主義者であった」という捏造がメディアに広く流通し始めた。それまで主体的・能動的に政治と戦争を指導してきた裕仁は、悲惨なアジア太平洋戦争における日本の敗戦が蔽いようもなく明らかな最終期になって、その側近たちとともに、天皇制を戦後に生きのびさせるための大掛かりな工作を開始した。それは、連合国なかでもアメリカの戦後構想に、天皇制国家日本をビルトインさせるものだった。その中で、戦争責任はBC級戦犯、A級戦犯に案分され、天皇の「聖断」により戦争が終結し「一億総懺悔」するという虚構が成立させられた。国家の犯罪を明らかにする多くの事実や資料は隠滅された。戦争責任を一つひとつ具体的に問うことが、戦後における民主主義の出発点になるはずだが、それらの多くは現在に至るまで未決のままだ。

千本さんは、講演の中で、天皇と軍をめぐる歴史事実を細かく俎上にしながら、それがどのように神話化され、書物や映画などにおいて流通しているかを話されていった。こうした事実を踏まえて考えることは、いままさに明仁らが進めている天皇制国家の改造を、思想的、政治的につきつめて捉えていくことにおいて、最重要のことだ。「平和」を僭称しながら進められる戦争体制と、今後もよりいっそう闘っていかねばならない。

集会は文京区民センターで開催、参加者は四十数名だった。

(蝙蝠=反天連)

【集会報告】天皇行事の『海づくり大会』はいらない!海づくりは、海こわし 7・18討論集会

天皇制翼賛体制を全国各地に作りだす三大天皇行事の一つ『第36回全国豊かな海づくり大会─やまがた』が「森と川から 海へとつなぐ 生命のリレー」を大会テーマとして今年九月一〇日、一一日に山形県で開催される。現地で反対闘争が準備されていることから、七月一八日築地社会教育会館で、「8・15反『靖国』行動」主催で五〇人弱が参加して標記集会を開催した。

集会は、天皇アキヒトの「生前退位」の意向報道─新たな天皇Xデー攻撃への最初の反撃の集会として開始された。

鈴木雄一さん(反戦反天皇制労働者ネットワーク・山形)は、「東北(支配)と水産業」と題して「東北」、放流行事会場である「鼠ヶ関」(ねずがせき)という地名は、外敵の住む北のはずれを意味する蔑視感があふれている。さらに東北は戊辰戦争で朝廷にさからって以降、仙台におかれた第二師団を中心に経済と行政がつくられてきたなど東北の歴史を語った。今回山形「海づくり大会」の式典会場である酒田市も製鉄業など軍需産業のまちとして形成された。東北は「明治」に二回の天皇行幸が行われたが、その目的は自由民権運動弾圧と軍隊の慰労が主であり、軍隊を通して天皇制が入って来るというのが東北の歴史であった。そして山形「海づくり大会」は福島原発事故による海洋汚染を隠蔽し、被害者切り捨ての天皇による鎮撫工作である。復興を演出のための、天皇のための行事であると弾劾し、現地闘争への参加を呼びかけた。

天野恵一さん(8・15反「靖国」行動)は、「天皇行事の政治的意図」と題して、今後の天皇儀礼は、全部Xデープロセスで演出される。棄民化政策、被災者の切り捨てを行いながら『震災の復興』を演出する。その総仕上げは、『復興』茶番の東京オリンピックだ。護憲派の総崩れの中で、「違憲の行為はやめろ」という土俵で共闘する運動をどのように作っていくかが問われていると訴えた。

新たなXデー攻撃の中で「8・15反『靖国』行動」や天皇行事反対闘争の重要性を実感させる集会であった。

(野村)

【集会報告】第29回政教分離訴訟全国集会

七月一五日・一六日の両日、東京で「第29回政教分離訴訟全国集会」が開かれた。毎年、各地持ち回りでおこなわれている交流集会で、今回は「大阪判決を打ち破ろう!」をテーマに、安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京と、ノー!ハプサ訴訟が受け入れ団体となり、初日は全水道会館で六〇人、二日目は御茶ノ水のクリスチャンセンターに三〇人が集まった。

初日はまず、一橋大学の吉田裕さんの記念講演。吉田さんは、安倍の靖国参拝がアメリカからすぐに批判を浴びたように、日本の歴史認識そのものが国際的に問われた。戦争体験世代の激減とともに、靖国神社を支える財政状況は厳しくなっている。ただし、若い世代の中で、今世紀に入ってから、かつての戦争を「やむを得ない戦争だった」と、消極的に肯定する人が増えていることは見逃すことはできないと指摘。

続いて、大阪と東京の弁護団によるシンポジウムがもたれた。報告者は大阪安倍靖国参拝違憲訴訟弁護団の加島宏さん、同東京訴訟弁護団の碇由利絵さん、ノー!ハプサ第二次訴訟弁護団の浅野史生さん。

不当判決に対して控訴した大阪、人証調べの段階に移り、一四名の原告本人尋問が予定される東京訴訟、靖国神社と原告らの父の死との直接的な関係性を具体的に問うている、ノー!ハプサ第二次訴訟の現段階と問題意識が話された。
二日目は各地からの報告。北海道、大阪、東京(靖国訴訟とノー!ハプサ訴訟)、山口の取り組みと、それぞれの課題について報告された。会場からは松山と沖縄からの参加者の発言もなされた。

二日間の論点は多岐にわたったが、私としては、訴訟をはじめ、粘り強く取り組まれてきた政教分離違反に対する反対運動が、一面では靖国公式参拝路線を挫折させたこと(法廷では「私的」参拝と言わざるを得ない。もちろんそれ自体が欺瞞)、「政教分離」の意味するところは宗教的少数者や非宗教者の信条を抑圧する「おそれ」からの自由の保障であることをあらためて確認できた。天皇制自体の宗教性(非宗教的な儀礼も含めて)を、この問題と重ねて考えることが必要であると痛感している。

(北野誉)

【今月のAlert】天皇主導のXデーがやってきた! ─8.15反「靖国」行動へ!

七月に行われた参院選は、改憲勢力が非改選を含め改憲発議に必要な三分の二を超える議席を獲得する結果で終わった。八月三日には内閣改造と自民党役員人事が行われ、主要な閣僚は大半が留任し、防衛相には稲田朋美を起用した。新聞は「首相が考える安保政策をそのまま自衛隊の活動に反映させていく体制をつくった形」と評し、防衛相経験者による「防衛相の振る舞いを周辺国はよく見ている。有事がエスカレートすることもある」という危惧するコメントを紹介している。

連合国が戦犯らを裁いた東京裁判を不当だと訴え、「伝統と創造の会」を設立し、以来毎年、サンフランシスコ講和条約が発効した四月二八日と八月一五日に靖国神社を参拝しているウルトラタカ派である。

女性の防衛相は小池百合子に続く二人目だが、「日本会議」の副会長を務める小池は都知事選で大差で勝利している。その都知事選で、「在特会」の前会長である桜井誠が「選挙の自由」を盾にヘイトそのものの選挙演説を行い、一一万票余の票を獲得した。その結果に正直驚愕したが、安倍や稲田、小池の本音がむき出しの形で表れているのが、桜井と言えるわけで、少なくない数の人々が、彼らを支持するこの状況だからこそ、私たちは歴史に向き合い、検証していく作業を粘り強く継続する努力がなお一層求められていると改めて強く思う。落胆している暇などないのだ。

参院選の直後に、沖縄高江のヘリパット建設が本土から五〇〇人という機動隊を動員して暴力を伴い強行・再開された。福島の原発事故などなかったかのように、川内原発に続き八月に伊方原発の再稼働も行われようとしてる。老朽化が進む原発も次々に再稼働へのGOサインを規制委員会は出した。

歴史修正主義者たちが権力の座を占めている。これは本当に恐ろしいことだ。彼らには歴史から学ぼうとする姿勢が全くない。日本の侵略戦争・植民地支配における天皇制の責任も、すべて自分たちに都合のいいように解釈し、まったく同じ過ちを繰り返そうとしている。個人の尊厳など邪魔なだけで駒に過ぎないという「国体護持」の思想が、現在の沖縄の問題や原発の問題に如実に表れている。

今年も8・15に向けて、私たち反天連も参加する実行委は、「『聖断神話』と『原爆神話』を撃つ8・15反『靖国行動』」を準備し、七月三〇日には日本近現代史研究の千本秀樹さんをお招きし、前段討論集会を行った。

その集会の前の七月一三日、反天連も予期していなかった天皇の「生前退位」の意向が突然NHKから報道された。
私たちはこれを、天皇制が主導する「Xデー状況」と位置づけ、声明をだしたのでご覧いただきたい。【反天連からのよびかけ】01としたのは、今後のあちら側の動きに対して、そのつど声明を出していこうと考えているからだ。

ちょうど一年前の八月一五日の「全国戦没者追悼式」や、その二ヶ月後の「全国豊かな海づくり大会」でアキヒトは手順を間違った。反天連声明に記したように、年齢のせいで「公務」が十分果たせなくなったという思いが今回の「生前退位」の意向表明の背景にある、とマスメディアは一致した報じ方をしている。国民のことを一身に思い、高齢にもかかわらず激務をこなしおかわいそう――という論調である。

「四年後の東京五輪を、新天皇のもとで迎えるべきだともお考えになられ、数年以内の実現を望まれている」と宮内庁関係者の話として週刊誌で紹介されている。オリンピックがヒロノミヤのデビューを飾る場として用意され、「天皇を頂点とする日本国」が世界中にお披露目されるというわけだ。新天皇即位に向けた時間はすでに流れだしているだろう。

発言の違憲性については声明を読んでいただくとして、アキヒトが考える「象徴天皇制」の完成体が天皇主導で行われようとしていることは確かである。八月八日には、天皇自らの「お気持ち」が表明されるという。「天皇条項」「皇室典範」という文字が踊り出している。「民主主義」や「立憲主義」が議論される時、すっぽり抜け落ちていた憲法条文。「大日本帝国憲法」と「日本国憲法」の連続/断絶の関係性を問うということがなされなければならない。反撃の時は始まった!

まずは8・15反「靖国」行動にぜひ参加を!

(鰐沢桃子)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 2号(2016年8月 通巻384号)

今月のAlert ◉天皇主導のXデーがやってきた!─8・15反「靖国」行動へ(鰐沢桃子)
反天ジャーナル ◉ はじき豆、まおう鳥、映女
状況批評 ◉ オバマ広島訪問と伊勢・志摩サミット(関千枝子)
書評◉ピープルズ・プラン研究所パンフレット特別号『非暴力直接行動への宿題 反戦交友録』(有馬保彦)
ネットワーク ◉ 9・4各エリアにおける監視・抗議行動、報告集会へ(藤田五郎)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈75〉  ◉ 「beautiful Japan!!!!!」に何の因果関係を見るのか(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈02〉 ◉ 天皇代替り〈Xデー〉の政治が始まった!—完成された〈違憲天皇制〉のヘゲモニーの下に(天野恵一)
【反天連からのよびかけ】01 天皇制が主導する「Xデー状況」への反撃を開始しよう!──天皇も皇族もやめろ、そして天皇制は廃止せよ!
野次馬日誌
集会の真相 ◉7・15-16 第29回全国政教分離訴訟全国集会7・18 天皇行事の「海づくり大会」はいらない!海づくりは、海こわし7・30 「聖断」のウソ─天皇制の戦争責任を問う
学習会報告 ◉ 『昭和の終焉 1988.9—1989.2 天皇と日本人』
(朝日ジャーナル編、朝日新聞社、一九八九年)
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

*2016年8月9日発行/B5判18ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【反天連からのよびかけ】01 天皇制が主導する「Xデー状況」への 反撃を開始しよう! ──天皇も皇族もやめろ、そして天皇制は廃止せよ!

●これは「自粛なきXデー」の始まりである

7月13日、明仁天皇の「Xデー」状況がはじまった。しかもこれまで全く予想されなかったかたちで。

天皇という地位についている人間の生物学的な死としての「Xデー」へのカウントダウンが始まったわけではない。しかし、天皇の「代替わり」にともなう、新たな天皇制像の演出としての「Xデー状況」は、すでに開始されたと見るべきだ。

反天連は昭和天皇「Xデー」との大衆的な闘いに向けて1984年に結成された。昭和天皇の「Xデー」においては、病状報道から天皇の死にいたる時期の「自粛」と「弔意強制」が、列島全体を巻き込んだ社会現象となった。それは経済状況にも影響し、何よりもその「息苦しさ」への反発が、天皇制に対する批判的な感覚を広げた。このことはおそらく、天皇制を演出する側にとっても総括すべき点であったはずである。今回の、いわば「自粛なきXデー」状況の開始は、われわれにとっても、前回とは異なる反天皇制運動の展開を要求している。そのことを見すえながら、私たちは多くの人びととの共同の作業として、開始された「Xデー状況」に反撃する闘いを、さまざまなかたちで準備し開始することを呼びかける。

●天皇が事態を主導している

われわれは、今回のそれがまず、天皇自身による「生前退位」の意向表明として始まったことに注目しなくてはならない。これはたんに年老いた明仁天皇が、現役を退きたいと希望しているといった話ではない。NHKによってそれが報じられてすぐに、宮内庁幹部や政府は「報じられた事実はない」「承知していない」と打ち消して見せたが、各メディアは事実としてそれを後追いで報じ、宮内庁もまたNHKへの抗議などはしていない。さらに、首相官邸では、限られた人間しか知らず、何を検討しているかについてさえ極秘のチームが、皇室典範改正に関する検討をすでに進めていたとされる。それをも飛び越えて、天皇の「意向」が唐突に明らかになったのは、明仁天皇自身そして徳仁や文仁らの強い意向がそこに働いていたからであると判断される。

今回の件は、明仁天皇自身が、「次代」の新しい天皇制を演出する、その主導的な担い手の一人として立つという明確な意思を表明したということを意味する。摂政をおくのではなく、皇室典範の改正が必要な「生前退位」を、明確に希望したこと、それは象徴天皇制を、明仁天皇みずからが主人公となって、積極的に変革し再構築するという宣言なのである。

●「国民の天皇」の政治的行為

「生前退位意向表明」は、昭和の天皇制とは段階を画した「国民の天皇」としての、明仁天皇制をしめくくるものである。

その即位以来、マスコミ等を通じて演出されてきた明仁天皇制の姿とは、アジアへの外交や沖縄訪問による戦争責任の和解に力を尽くし、国内外の戦跡で死者への祈りを捧げ、さまざまな自然災害の被災者を慰問するなどの「公務」を精力的に行なう、「常に国民とともに」ある明仁と美智子といったイメージであった。しかし、これら一見すると「非政治的」で平和的な、問題ともならないように見える天皇の行為は、現実にはすぐれて政治的な役割を果し続けている。

たとえば、アジア訪問などにおける天皇の発言は、実質的に天皇制国家の責任も日本軍の責任もなにひとつとらず、ただ口先でだけ「謝罪」のことばを発して終わったことにしようとする日本国家と基本的に同じものである。それがたんなる「口先」ととらえられないのは、「国民統合の象徴」とされる地位に立つ者のことばであり、マスメディアが絶対敬語で無条件に賛美することばであり、ある人たちにとっては侵略戦争の責任者であった昭和天皇の息子のことばであるからだ。国家の儀礼を受け持つのが天皇の役割だが、それは天皇であるからこそ、他の国家機関ではなしえない何ものかを有するものとして演出される。しかし、繰り返すが天皇は国家の機関である。だから天皇のことばを賛美することは、国家のことばを無条件で賛美することと同義である。天皇はそのようなかたちで政治的な役割を果しているのだ。

●天皇の「公務」の拡大は違憲だ

年齢のせいで「公務」が十分果せなくなったという思いが、今回の「生前退位」の意向表明の背景にある、とマスメディアは報じている。明仁と美智子によってさまざまにおこなわれてきた天皇の「公務」を「誠実」に果していくこと。「生前退位」の意味することは、自らが体現してきたそういう象徴天皇制のあり方を、その権威も利用しつつ、明仁天皇から徳仁天皇へと意識的につないでいくことに違いない。それは、息子の妻の病いも含め「不安」の中にある次代の天皇制を、ソフトランディングさせていくという意図に貫かれている。

だが、憲法で規定された「国事行為」以外の「公務」なるものは、そもそも違憲の行為である。かつて「統治権の総覧者」であった主権者天皇を、「国民主権」のもとでの象徴天皇に衣替えするにあたって、天皇の役割を法的に限定したのが憲法の天皇条項である。認められた「国事行為」以外に「公的行為」なる区分を立て、天皇の「公務」としてひとくくりにすることは、いわば天皇条項の「解釈改憲」にほかならない。そうやって勝手に「仕事」を増やしておいて、それを十分に行なえないから「退位」して代替わりが必要だなどと、「政治に関与しない」はずの天皇が言い出すことは、二重に違憲の、ふざけた言い草なのだ。個人的な事情で国家の制度の変更を迫る。ここにあるのは、身体を有する特定家系の個人を国家の「象徴」とする制度自体の矛盾である。

今後、天皇の意思を「忖度」して皇室典範改正作業が本格化されていくであろう。すでに、退位後は「上皇」になるのか、今回限りの特例法で、などといった議論も始まっている。皇室制度を安泰にするための「女性宮家」の検討も再浮上するだろう。右派の抵抗も予想されるが、皇室典範の不合理な部分を、合理化しなければならないといった議論が、「陛下の意思」を背景に、「国民的」になされる場がつくりだされようとしている。

問題なのは、そうした議論の中で、拡大されてきた天皇の「公務」自体の違憲性を、正面から問う言説がほとんど見られないことである。逆にそれを前提とし、それらをより積極的に行なうことが天皇の役割であると言うのである。

私たち反天連の立場からすれば、体制としての戦後民主主義のなかに埋め込まれた象徴天皇制は、民衆の自己決定としての民主主義とは矛盾するシステムである。生まれによって、特別な身分が保障されるような制度はおかしい。私たちは天皇によって「象徴」され統合された「国民」であることを拒否する。膨大な経費と人員を使って、各地に移動するたびに、人権侵害をひきおこし、批判的な少数言論を抑圧する制度は迷惑である。そうであるからこそ、新たな天皇制の再編強化を意味する「生前退位意向表明」に私たちは注目せざるを得ないし、その違憲性を批判し、そこで具体的に生み出される天皇制の政治と言説に批判的に介入していく。

天皇も皇族であることもやめよ。徳仁も即位するな。皇族という存在はいらない。そして天皇制自体は廃止されなければならない。

2016年7月28日
反天皇制運動連絡会

【集会案内】「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ 8.15 反「靖国」行動

■「聖断神話」と「原爆神話」……この二つの大嘘によって戦後が始まった。

■この大嘘(神話)は、日本の侵略戦争・植民地支配における天皇制の責任と、無差別大量殺戮という米国の戦争犯罪を隠蔽するためであった。そして、戦後の米国による核・軍事力を背景とした世界支配戦略を可能にし、日本では、天皇制の象徴天皇制というかたちでの延命(戦争責任を取らない体制)を可能にした(それによって「靖国信仰」も延命させた)。

■米大統領がヒロシマ訪問で謝罪しない、日本政府も謝罪を求めない……この歪んだありようも二つの大嘘に起因する。こんな戦後は一刻もはやく終わらせなければならない!
71 年前に時間を巻き戻し、天皇制の戦争責任を追及し、あるべき戦後の姿を作り直そう!

■二つの大嘘(神話)を撃つ、8.15 反「靖国」行動に是非参加を!

[前段討論集会]
「聖断」のウソ  天皇制の戦争責任を問う

講 師 千本秀樹 さん(日本近現代史研究)
[日 時] 7 月30 日(土) 17:45 開場/ 18:00 開始
[会 場] 文京区民センター 2A 会議室(地下鉄春日・後楽園駅)
[資料代] 500 円

8.15 反「靖国」デモ
[日 時] 8 月15 日(月) 14:30 集合/ 16:00 デモ出発
[集合場所] 在日本韓国YMCA 3 階
(JR 水道橋駅より徒歩9分、地下鉄神保町駅より徒歩7分)

主催 ●「 聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8.15 反「靖国」行動
連絡先 090ー3438ー0263
【呼びかけ団体】
アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/ 「 日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動評議会

【学習会報告】反天連学習会 菅孝行編著「Xデーがやってくる! 危機の中の天皇制攻撃」(柘植書房、一九八四年)

六月の反天連学習会で読んだのは、結成前後の反天連をもその内に含む、一九八〇年代前半の運動状況を色濃く反映したテキスト。

反天連ではこの間、ヒロヒト「Xデー」に関連した本を読んでいるのだが、そもそも当時、「Xデー」はどのようなものとして想定されていたかということを確認したいと考えたのが、この本を選んだ理由であった。

その課題は、巻頭の菅孝行の論文と、巻末の山川暁夫の論文を読むことで果される。菅は言う。一九八三年以来、天皇・皇族のシンボルの下での国民統合を強化しようとする権力の動きが急速に露骨になってきた、そしてそれに呼応するように、山谷や日大に代表されるような、天皇主義右翼=民間武装反革命の本格的活動が始まっている。天皇制攻撃の本格化は、日本帝国主義の危機の深化による。それは「第三世界」諸国人民の反帝国主義闘争の前進によって規定された西側世界=統合帝国主義の危機である。アメリカの対ソ限定核戦争戦略、中曽根政権の登場もそうした危機への対応である。「利害の思想としての国益主義から倫理としての殉国の思想へ」、それは天皇以外の統合軸を見いだし得ない。

山川は、「Xデー」を通して「『戦後』意識が国民から消え、新時代意識が扶殖される」と分析した。巨大な「世替り」意識によって、現憲法は「昭和憲法」として相対化され、「『昭和史の終わる日』こそが、改憲実現への決定的跳躍台にならないと限らない」、と。

いまやアキヒト天皇が戦後秩序の「擁護者」とさえみなされていることを考えれば、これと異なった展開をしたことは明らかである。天皇の戦争責任の解消は、「代替わり」によって「自動的」になされたのではなく、新天皇の、それを自覚的に果たす「努力」の持続の姿の繰り返し(という演出)によってなされ、平和主義・護憲天皇というイメージを強化していったはずだ。

学習会でも、まずはこのように予期された「Xデー」が、現実に展開したそれとはかなりずれていることの確認から始まった。もちろん、そのことの指摘はたやすい。冷戦構造の変容・帝国主義と第三世界の位置の変化という時代の流れに、現実の「Xデー」がぶつかったことは大きかったと思うが、想定されていた危機の条件が変わっていたのだ。そしてそもそも、ある種「危機論」的な分析視角や、天皇制強化=「復古反動」論とは一線を画していたとはいえ、戦前的天皇制に連続したイメージで捉えられていたところの天皇観に、バイアスがかけられていたこともあっただろう。この本ではほとんど論じられていない「大衆天皇制」状況も含めて、現代資本主義における天皇制のリアルな認識作業が必要だった。けれども、「Xデー」に向けての「切迫」した気分というものは確実に存在した。天皇制が天皇制であるかぎり、本質的には変わらない天皇制攻撃の質というものが確かにあり、それぞれの運動現場における「天皇体験」は、ソフトな顔の下に露出するハードなものであったということだ。

このような現代天皇制の二重の構造は、何よりも現実の反「Xデー」闘争の過程で、天皇制の実像に迫る中であらためて見出されていったことであっただろう。

この本では、菅、山川の論文以外のすべてが、現場と課題からの運動報告である(愛知・管理教育、立川・動員、戦争責任、警備、山谷・右翼テロ、精神障害者差別など)。この本の初版のあとがきで、反天皇制の「先駆的な闘い」とされてきたそれらの実践は、このときすでに、それぞれの現場における反撃が、同時に反天皇制運動とならざるをえないことの発見の過程を示している。現実に登場した天皇制の姿は多少は違ったものであれ、それへの反撃は、形を変えて持続しているのだ。 次回は七月二六日。テキストは朝日ジャーナル編『昭和の終焉:天皇と日本人』

(北野誉)