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【集会報告】なぜ元号はいらないのか?

七月二一日、文京区民センターにおいて、「なぜ元号はいらないのか? 7・21集会」が九七人の参加を得てもたれた。主催は、このかん、天皇「代替わり」に反対する行動を共同でつくっている首都圏枠のグループによって作られた「元号はいらない署名運動」。もちろん反天連も呼びかけ団体のひとつだ。

天皇の「二重権威」などというくだらない議論もからんだ「新元号」への移行をめぐるドタバタは、元号というものの不便・不合理さをあぶりだしている。同時に、にも関わらず、それをやめようという声を表面化させることのない、天皇制社会のありようをも。そうしたなかで取り組まれた署名は、すでに目標数の五〇〇〇筆を超えている。その報告も含めて、元号いらないという声をはっきりと上げていこうという趣旨の集会だった。

主催者あいさつに続いて、中国近代思想史を専門とする坂元ひろ子さん(一橋大学名誉教授)から、「中国の革命経験から考えるアジアの共和国」と題して講演を受けた。坂元さんは、「心身に絡みつくように私たちを縛っている」(安丸良夫)天皇制を問題にすべきであると話を始めた。「元号制度」は、それが中国古典に典拠を持つ言葉で作られることに明らかなように、古代以来の対中国コンプレックスが骨がらみになった制度である。中国においては「天」の観念と易姓革命の思想があったのに対して、日本においてはそのコンプレックスを解消するために、「万世一系」が強調されたことを指摘した。そして、清末民初の改良・革命思想における「共和」論議について詳しく紹介された。

続いて、靖国・天皇制問題情報センターの中川信明さんから、これまでの反元号の取り組みについての報告、前立川市議の大沢豊さんから、二三区二六市の文書における元号および西暦使用の現状、新元号のためのシステム改修の費用などについての調査報告がなされた。

茨城・戦時下の現在を考える講座、「オリンピック災害」おことわり連絡会アジア女性資料センター、あいち代替わり・植樹祭を考える会(仮)のアピール、今後の行動提起で集会は閉じられた。

この集会については、後日朝日新聞でも記事になった。反対する声の存在が取り上げられたのはよいとしても、署名運動について言及されず、なんのための集会なのか不明。しかも「平成流」によって、右も左も苦労し、反対運動も退潮しているという論調。そうではない。集会で中川さんも強調したように、「代替わり」=改元を目前にして、「元号反対運動の三つ目のピーク」に向けた、具体的な取り組みが始まっているのだ。秋にかけてさらに署名を集め、反元号の声をさらに広げていこう。

(北野誉)

【学習会報告】鶴見良行『日本の写真 天皇論/写真論1957-72』 (鶴見良行著作集第一巻『出発』〈みすず書房〉所収)

鶴見良行の、この貴重な「天皇論」の存在を知ったのは、私がかなり若い時であった。しかし、その批判の切り口の鋭さに気づいたのは、かなり後の時間である。レポーターであった私は、松下圭一の高名な「大衆天皇制」(スター天皇制)論より早く、メディア支配が全面化した政治社会の中の象徴天皇制の戦前から連続する家族主義イデオロギーをベースにした独自な政治的枠割に、キチンと批判の光をあてたこの諸論文の今こそ見過ごすべきではないある点にしぼって報告した。

「国民すべてを戦争においこんだひとつひとつの事態が究極的には天皇というたった一語の権威によって正当化されたのであったにかかわらず、天皇は何一つ戦争の責任を負いはしなかったという事実と、戦後の天皇は『人間』として国民多数の親愛の対象となっているという事実のつながりの問題」。このつながってはいけない問題が安易につながってしまったのは何故か?」

鶴見は、こう問いを自ら立てて、それに以下のごとく回答している。

「『人間天皇』という言葉およびその視覚的再現の写真があらわれた一九四六年正月頃」の状況。「人間宣言」とマスコミにネーミングされた「元旦の詔書」と、メディアにあふれかえる天皇家の家族写真。そして憲法の「象徴」規定。このプロセスでつながってはいけない問題がつなげられることが起きた。「……天皇が人間であるためには当然に戦争に対する公人としての償いが要求されるにもかかわらず、天皇の利用者にのみ追及が向けられ、天皇と国民の結びつきの面における国民の実感の変革をわれわれ国民自らが試みようとしなかったために、『天皇は人間である』という事実命題は容易に『人間的な天皇』という価値命題へとすりかえられていったのである」(強調引用者)。

天皇は人間であるという自明の「事実命題」を素晴らしい「人柄」の天皇という「価値命題」へのスリカエ(操作)があったというのだ。考えてみれば、このスリカエ(操作)は戦後マスコミの天皇報道の日常的作業であり、現在の「生前退位」は人間として当然とのキャンペーンは、その集大成ではないか。

次回のテキストは『アマテラスと天皇─政治シンボルの近代史』(千葉慶・吉川弘文館)

(天野恵一)

【集会報告】3・ 24 集会報告 天皇の沖縄・与那国訪問を問う

三月二四日午後六時から見出しの集会が、東京・駒込地域文化創造館で約五〇名の結集で開催した。集会は冒頭、司会者が次のように挨拶した。

《天皇アキヒトが沖縄訪問する三月二七日は、『明治』天皇制太政官政府の命を受けた松田道之処分官が、警官一六〇名、熊本鎮台分遣隊約四〇〇名を従えて首里城に押し入り廃藩置県を布達、首里城明け渡しを命じた日である。与那国に行く三月二八日は二年前、陸上自衛隊・沿岸監視部隊の駐屯地が与那国に開設された日である。アキヒトの沖縄・与那国訪問は、日米両政府による辺野古新基地建設をはじめ琉球弧の軍事植民地化のための宣撫工作である。》

お話は、大仲尊さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)が、「自衛隊配備と天皇の与那国訪問」と題して報告した。

《私は一九四九年、与那国生まれで一五歳の時に那覇に行き、その後ヤマトに住んでいる。沖縄戦では与那国は空襲がなく、日本軍の食糧調達のためマラリア地帯であった西表や石垣に住民を強制疎開させた結果、マラリア被害で多くの人が亡くなった。被害の問題はまだ決着がついていない。

報道によれば天皇は、与那国で最初に東牧場の「与那国馬」を見る。その後複合型施設で「ヨナグニサン」(沖縄県天然記念物・世界最大級の蛾)を見る。そこは、自衛隊駐屯地から徒歩で行ける距離にある。駐屯地に行くかはわからないが自衛隊幹部と会うだろう。そして久部良小学校で郷土芸能・棒踊りを見て、漁業協同組合に行く。漁協は、保守の地盤である。その後、日本最西端の碑を訪れるらしい。

戦中有名な与那国出身の二人がいる。一人は伊波南哲、一九四三年作の与那国の詩で与那国島を「南海の防波堤與那國島」「沈まざる二十五万噸の航空母艦」と称して今も祖納にある「讃・与那國島の碑」がある。あと一人は戦死し、「軍神」とあがめられた大枡松市、大枡に続けといわれていた。その弟が元沖縄県警刑事部長であった。自衛隊配備でこのことが過去の話ではないと思える。

自衛隊が入ってきて二年。誘致派は自衛隊と家族三五〇人によって経済が活性化すると言っていたが、現実はそうなっていない。自衛隊員が迷彩服のまま空港や居酒屋に来るようになった。「菊の御紋」があることによって、天皇の権威が生まれ、村八分があるように、自衛隊がきたことによる島の分断が天皇訪問後一層深まるだろうと心配している。》

続いて天野恵一さん(反天皇制運動連絡会)が、「アキヒト天皇と沖縄」と題して報告した。

《自分達が、天皇と沖縄の問題を意識するようになったのは、天皇ヒロヒトが沖縄・海邦国体(一九八七年)出席のため沖縄を訪問しようとしたことに対して反対運動を準備する過程であった。ヒロヒトは、なぜ沖縄に行かなければならないと思っていたのか。それは「国体護持」のための沖縄戦で「集団自決」を強要し、安保条約の下で売り渡した沖縄を日本国家に統合するのは自分の務めだと思ったのだ。しかし沖縄訪問は果たせなかった。

私は知花昌一さんの救援会(日の丸焼き捨て裁判)にかかわり、その過程で「ひめゆりの塔」火炎瓶闘争の知念功さんの『ひめゆりの怨念火(いにんび)』(インパクト出版会)の出版を手伝ったりした。その中でなぜ裕仁が沖縄に行けなかったのかわかった気がした。

当時、屋良県政はアキヒト皇太子の来沖を受け入れたが、組合レベルでは、「戦犯天皇の上陸を許すな」の闘争があった。火炎瓶闘争だけがとりざたされているが、それは大衆的な抗議行動の象徴的なものであったことを学んだ。ヒロヒトからアキヒトにかわっても変わることなく天皇制の問題として捉え、糾弾する視点があった。アキヒトは今回で一一回目の沖縄訪問であるが、国家・天皇制が強いた犠牲を「慰霊・追悼」することをもってその責任をあいまいにする政治である。》

フロアーから北村小夜さんが、当初から知花さんの支援を行っていたが、「日の丸」の問題だけでなく、「障害児」のことでも議論したことを話された。ピリカ全国実の仲間から「アイヌ民族抹殺の司令官だった天皇の『北海道150年』式典(八月五日)出席に反対しよう」と訴えがあった。

次に、清水早子さん(止めよう!「自衛隊配備」宮古郡民の会)からの連帯メッセージが読み上げられた。│沖縄の元海兵隊員による│性暴力殺害から2年 基地軍隊はいらない4・29集会実行委、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックから連帯アピールを受け、最後に「天皇の沖縄・与那国訪問を許さない!集会宣言」を採択し、4・28「明治150:日本による沖縄差別を問う 近代天皇制国家形成から日米安保体制のもとで」、29日デモへの結集を訴え集会を終えた。

(野村洋子)

*共同行動報告集(2018年6月14日発行)より

 

【集会報告】3.24-4.28-4.29連続行動

私たち「天皇『代替わり』と安保・沖縄を考える4・28-29行動」は、実行委の名称にあるとおり、今年も4・28(「沖縄デー」)と4・29(「昭和の日」)を、連続して行動する日として位置づけ、28日の講演集会と29日のデモに取り組んだ。

今年は、三月二七日から二九日にかけておこなわれた明仁・美智子の沖縄・与那国訪問に反対する集会を準備することから、実行委の活動をスタートさせた。天皇が沖縄を訪れたのは、いわゆる「琉球処分」によって近代天皇制国家が沖縄を日本の版図に編入した、まさにその同じ日である。同時に二年前の三月二八日は、与那国に陸上自衛隊沿岸監視部隊が設置され、この地が、文字通り「離島防衛」の最前線に置かれた日なのである。今年、天皇が沖縄に入ったまさにその日に、陸上自衛隊の「陸上総隊」が発足し、直轄部隊として「離島防衛」の専門部隊としての「水陸機動団」(日本版海兵隊)も置かれた。そういう時期に、そういう場所を天皇が訪れる。「平和天皇」イメージとは裏腹に、天皇制と軍隊の露骨な結びつきが、そこにあったのだ。

私たちは、天皇の沖縄・与那国訪問を前にした三月二四日に、駒込地域文化創造館において、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの大仲尊さんと、実行委の天野恵一を発題者として「天皇の沖縄・与那国訪問を問う」討論集会を持った。

そして四月二八日には、那覇市出身の近代法制史研究者である湖南通さんの講演集会を持った。

今年の2・11反「紀元節」行動においても課題として打ち出した「明治一五〇年」を批判的に問い直すという課題を、近代天皇制国家による沖縄支配の現実をとらえ返す中で考えたいという問題意識があった。文京区民センターで行われた集会には約一〇〇名が参加。講演の後には、一坪反戦関東ブロック、基地・軍隊はいらない4・29集会、安倍靖国参拝違憲訴訟、警視庁機動隊の沖縄派遣に対する住民訴訟、優生保護法や元号など、さまざまな課題と取り組む団体からアピールを受けた。

翌二九日には、神田駅近くの常盤公園に集合し、反「昭和の日」銀座デモをおこなった。デモ出発前には、実行委から二八日の集会報告、元号はいらない署名運動、辺野古への基地建設を許さない実行委員会からのアピールが行われ、またデモの解散地点では、多摩地域メーデー、明治公園オリンピック追い出し国賠訴訟、労働運動活動者評議会のアピールを受けた。

一〇〇人ほどのデモは、随所で街宣右翼の宣伝カーの妨害に遭い、数寄屋橋周辺には在特会系の「カウンター」などもあり、また解散後には右翼の待ち伏せなどもあったが、直接物理的に接触するような場面はほとんどなかった。それに比べ、右翼を理由にした警察・機動隊の介入は相変わらずひどく、実行委としては、警察に対する「苦情申し立て」など、原則的な抗議を重ねるべく準備しているところだ。

すでに、8・15に向けた活動も準備しており、また、首都圏の反天皇制運動の枠で取り組んでいる「元号はいらない署名運動」でも、七月二一日に集会を準備している。8・15以後も、秋から来年にかけて、本格化する天皇「代替わり」攻撃に抗するさまざまな取り組みを、連続的に打っていくことになるはずだ。引き続き、多くの方々の注目と参加をお願いします。

(北野誉)

*共同行動報告集(2018年6月14日発行)より

【学習会報告】 君塚直隆『立憲君主制の現在─日本人は『象徴天皇』を維持できるか』 (新潮選書、二〇一八年)

著者は関東学院大学でイギリスの政治外交史を講じており、イギリス王室が専門で「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」では昨年三月の第十回でヒアリング。イギリスや欧州各国の君主制の事例をもとに、天皇退位後の地位や活動、呼称などについて陳述している。ちなみに、明仁には退位後も「国際親善」の役割を担ってほしい、というのが君塚の「提言」だった。

この本は冒頭で「第一次大戦後にドイツ皇帝の体制を崩壊させたからヒトラーがのさばる心理的門戸をひらいた」とした当時のベヴィン英外相の発言をひく。歴史を読み解けば、戦後の「民主化」にもさまざまな可能性がありえた。それにもかかわらず、天皇制の戦争責任も侵略責任もあらかじめなし崩しに、天皇制の存置を、「連合国」首脳の言に基づき所与の前提とするのが著者の立場だ。

すくなくとも、「君主制」とされる国家体制を政治史から論じるなら、各国憲法の内実、王の権限の制約、民主制と君主制の相互の影響や侵犯の具体的な形相をこそ語るべきで、そのためには、憲法をめぐる学説や比較史にも相応の論点の提示があっていいはずだ。この本も、イギリスの「立憲君主制」についてはそこそこに叙述の分量を割いてはいるのだが、それについても通史的な解説のみであり、端的に言えば「現在ある君主制」をそのまま擁護するために、歴史からエピソードを拾い集めてきたにすぎないと言いたくなる。

この本の中では、英国以外では、北欧三国の王室の「君主制」、ベネルクス三国の王室の「君主制」については、それぞれを比較可能な「体裁」で扱ってはおり、この部分はそれなりに便利だ。しかし、その基調として流れるのは、欧州の「先進国」だって「君主制」だからそれでいいのだ、という傲慢なメッセージであり、民主制のありかたには踏み込もうともしない。第一次大戦、第二次大戦を経て、いくつもの国家は君主制を否定し民主制を選択した。その多くは専制君主制の独裁に対する批判により、悲惨な歴史を生みだして崩壊するべくして崩壊した。著者は、そうした選択や歴史をこの本の中でいっさい捨象している。大日本帝国=明治の天皇制についても同様だ。

「日本人は『象徴天皇』を維持できるか」、もちろん結論はあらかじめ「維持せよ」と設定されている。裕仁の「昭和」と明仁の「平成流」は「国民生活に安定」をもたらした、皇位継承問題は残るが、より「開かれた皇室」をめざそう。天皇の高い「道徳的規範」と、臣民の「寛容さと賢慮」で「国民の理解を得られることを切に願っています」というのが、この本の結びである。

ところで、ぶっちゃけ、いまこの日本国家は民主制なのか? 腐敗・頽廃した国家について政治体制の教科書的形態を論じるのは虚しい。実質的な面でいうなら、縁故主義やハラスメント支配が官僚体制にまで蔓延したフツーの独裁国家だろ?……と胸に問いながら、次回は、天皇論を「ご真影」などメディアに現われた姿から論じている、鶴見良行の「日本の写真」(鶴見良行著作集1所収)です。入手困難な方はご相談を。

(蝙蝠)

【集会報告】女性と天皇制研究会・学習会「眞子〝結婚〟延期と憲法24条─なぜスキャンダルになるのか」 

天皇代替わりのさまざまな動きが本格化していくなか、秋篠宮の長女眞子の結婚が事実上ストップした。このことは単なる週刊誌スキャンダルではすまない何かが潜んでいるの? 私たちの生活や社会との関わりと関係ないの? そういったことをきっかけに女天研目線でのXデー状況を読み解く勉強会をしようということになり、まずは五月一七日に学習会を開いた。

はじめに斎藤塩子が「家父長制が観念から義務規定に? 24条改悪」とした問題提起で口火を切った。自民党による改憲論議のなかで、制定当時の社会状況では一定の効果があったと認めたうえで、現在の結婚制度への考え方、ジェンダーへの考え方の変化や多様性に、現行の憲法二四条〈家族生活における個人の尊厳と両性の平等〉では限界があるのではないかと指摘した。

そして、「眞子婚約問題からみる天皇制」として桜井大子が、天皇家での結婚や出産といった私的に思えることも実は公的な問題である。そして彼らの生活はその〝品格〟というものをお金によって保っているので、それらがことさら報道されるのである。私たちにとって結婚・出産はその行為は私的なものだが、制度は社会的公的問題だ、スキャンダルはイデオロギーなのだ、と語った。

その後、参加者も混じって討論会。婚姻、家制度、戸籍制度などの問題は天皇制の問題と密接に関連がある。二四条からの批判ができればいいが、それにはまだ二四条改憲反対の側においても議論不足を感じる。私たちは、関係「ない」ではすまない制度のなかで生きている。現実の社会のさまざまな差別問題とともに考えていきたい、と締めくくった。

斎藤のレジュメの最後に「必要なのは〝家〟への〝参画〟よりも〝家〟からの〝撤退〟」という佐藤文明さんの言葉が引かれていた。この言葉をずっと反芻している。「家」「家族」という枠にとらわれない、個人としての生き方が尊重される世の中になってほしい。次回は七月一二日。

(中村ななこ)

【学習会報告】 加納実紀代編『女性と天皇制』(思想の科学社、一九七九年)

本書は、一九七七年一月から翌年六月までかけて雑誌『思想の科学』に連載された一八本の論文を、連載の編者でもあった加納実紀代が単行本としてまとめたものだ。もちろん、加納さん論文もある。

各論文には執筆者の生年月日が付されていて、一番の年配者は一九〇七年生まれで、次が一九一一年生まれ。ほか二〇年代八人、三〇年代五人、四〇年代二人、五三年一人。地域、世代、経験と、それぞれに異なる女性たちだ。敗戦を大人になって、あるいはそれに近い年齢で迎えた人が半分を占め、子ども時代の人を含めると大半が戦中を知る世代だ。戦中を「アカ」として過ごした人もいる。彼女たちは七七年当時、年配のお二人を除く全員が、今の私の年齢よりも若い。七七年当時、私は二〇歳で、執筆者たちと同時代を生きていたわけで、なんだか微妙な古さと近さを覚えるのだった。

敗戦から三二年後の天皇制批判は、まだ生々しい戦中の記憶から紡ぎ出されたものが多い。三二年といえば反天連の年齢よりも若く、その生々しさも理解できる。彼女たちが語り批判し否定する天皇制の内実は、家父長制であり、排除の論理であり、無責任とエゴイズムであり、貧困であり、飢えであり、教育による全体主義であり、国家であり、etc.である。そしてそれらは、自らの経験から絞り出すようにして言葉にされたものが大半だ。

学習会で初めて本書を読んだという参加者も数人。私もその一人だ。加納さん編集の本書を読んでいなかったことを少し恥じながらレポートした。その形式は、論者の言葉(文章ではない)を抜粋しながら紹介する形をとった。なぜなら、まとめることは困難であったし、むしろ、ナマの言葉を確認していくことの方が本書を理解しやすいように思えたからでもある。多くの言葉が印象に残る本なのだ。学習会でもそのような感想が多かったように思う。

ではここで問題。

「アーレタッサンカヲ イクセンリ」とは? これがわかれば年齢もバレルよ。

次回は五月二九日。テキストは君塚直隆『立憲君主制の現在─日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(新潮選書)。ぜひご参加を!

(大子)

【集会報告】天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28─29連続行動

今年も4・28─29連続行動として、天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える連続行動実行委を起ち上げ(もちろん反天連も参加)、4・28集会、4・29デモを無事終了させることができた。この実行委では、三月の天皇の沖縄・与那国訪問を問う集会を開催し、大きな連続行動ともなった。協力・参加されたみなさま、お疲れさまでした!

今年の反天皇制運動の実行委員会は、明治一五〇年キャンペーンに抗していくことを一つの大きな課題として立てている。2・11行動に引きつづき、4・28集会もこの課題視点で準備を進めた。

文京区民センターで行われた講演集会の講師は湖南通さん(日本近代法史)。湖南さんは沖縄・辺野古の座り込み闘争から戻って来られたばかりで、お話はそのホットな報告から始まった。湖南さんを始め多くの座り込む人たちがごぼう抜きにされ、背中は米軍基地のフェンス、目の前に機動隊の壁が立ちはだかる空間に押し込まれ、そこはいかにも象徴的な空間で、米軍と日本警察によって作られた牢獄に入れられたようだったと、語られた。「明治一五〇年」と沖縄の歴史、現在のヤマトと沖縄の関係を象徴するシーンでもある。

講演では、琉球国が天皇制国家に併合されていく過程とその差別的な政策、その目的が沖縄を「国防の人柱」として利用することであったことなど、文献を紹介しながら詳細に語られた。そして、日本の敗戦、天皇メッセージ、沖縄の米軍統治時代、沖縄返還から現在へと続く。現在の沖縄と日本の関係、沖縄の基地問題を理解するために必要な歴史を、ポイントを絞って話していただいたのだと思う。とてもわかりやすく、批判とユーモアに富んだお話だった。
講演後、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、基地・軍隊はいらない!4・29集会、安倍靖国参拝違憲訴訟、機動隊沖縄派遣住民訴訟、優生保護法の問題、元号いらない署名等、短いが内容の濃いスピーチをもらって終了。集会参加者一〇六名。

翌日二九日の反「昭和の日」のデモは、一貫して「天皇いらない」を主張するデモとして準備。大きな「天皇はいらない」の横断幕(実際は縦断幕)もつくった。デモ出発前には常磐公園で、実行委から前日の集会の報告を簡単にし、元号いらない署名、辺野古への基地建設を許さない実行委員会から、デモ終了後も、多摩地域メーデー、労働運動活動者評議会、明治公園オリンピック追い出し国賠訴訟からアピールをもらった。

デモ中は、警察が右翼街宣車がデモに接触しないように周辺で止めていたようで、もっぱら歩道で騒ぐ右翼とそれを取り囲む警察があちこちで団子になっていた。右翼の弊害が少ない時は決まって警察の規制のひどさが目立つ。「私たちは軍隊ではない、そのような口調の命令をしないでくれ」と、何度声を荒げたことか。背中を押す、参加者の肩や背中を平気で触って「前へ、前へ!」「詰めて!詰めて!」とくり返す警察に、参加者も腕を振り払ったり、抗議をくり返していた。それでもデモは気持ちがいい。デモ参加者一〇〇名くらい。実行委員会の行動はまだ続く。数は力なり。継続は力なり。これからもご参加お願いします!

(大)

【学習会報告】T・フジタニ『天皇のページェント』(NHKブックス、一九九四年)

前回のテキストは不評だったが、今回はとても面白く読んだという感想で一致した。

本書のテーマは、「近代日本のナショナリズムが誕生するうえで公的な国家儀礼が果たした役割を再確認」することにある。この本では、近代日本の国家の儀礼空間を「ページェント(野外劇、見世物)」として位置づけ、その具体的な展開を追っている。

近代の産物としての「伝統の発明」というのは、すでにおなじみの議論といえるが、近代日本の天皇崇拝も、「あまり知られていなかった天皇を中心とする国家の過去を想起させる」ものとして作り出されていった。そのために役立つような「物質的な意味の担い手」= 「記憶の場」が公的儀礼である。

以下、東京という都市も儀礼の中心地として改造されていったこと、近代日本においては「進歩・文明」を体現する都市= 東京と、奥深い「伝統」の担い手ととしての都市= 京都という「二つの首都」が存在し、それが相互補完関係にあったこと(さらにそれは、近代天皇制の二重性とも相即的であったこと)、フーコーの議論をベースとして分析される、儀式を通じてつくりだされた「天皇と群衆」における、視線(まなざし)のポリティクス……など刺激的な論述が続くが、とくに議論になったのは、最後の第5章「『象徴天皇』と電子メディア時代のページェント」だ。

昭和天皇「Xデー」時期の天皇のページェントについてフジタニは「大喪の礼」がテレビ画面にふさわしいかたちで構成されていたこと、連続して映像が流され、「お茶の間というプライバシーの聖域に侵入」してきたこと、その意味では、「政教分離」に関わって政府が強弁した「公私の儀式」の使い分けが意味を持たないこと、覗き見趣味的なテレビ報道によって「皇威/アウラ」は喪失し、「もはや国民は君主のまなざしの従順な対象ではない。むしろ、国民自身が天皇・皇室に向かってその容赦ない視線を向けてゆく主体」となったという議論など、少なくとも当時、私たちにも一部分はそのように見えていた事実を指摘している。メディア環境も大きく変わっているなかで、再びページェントの季節がめぐっている現在の儀礼とメディアによる演出、それが作り出す天皇意識がどのようなものとして考えられるべきかが、私たちの課題である。

次回は四月二四日。テキストは加納実紀代編『女性と天皇制』(思想の科学社)

(北野誉)

【集会報告】3・24 天皇の沖縄・与那国訪問を問う反天実行委の集会

三月二七日、アキヒト・ミチコは沖縄・与那国を訪問した。それを前にした二四日、天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28–29 連続行動は、駒込地域文化創造館において、「天皇の沖縄・与那国訪問を問う3・24 集会」をもった。

講師は沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの大仲尊さんと、反天連の天野恵一。

まず、与那国出身である大仲さんは、島の暮らしや、語り継がれる沖縄戦の記憶から話を始めた。そして、伝えられる与那国での天皇のスケジュールについて検討し、牧場やヨナグニサンという蛾を見るというが、どこかで自衛隊と非公然でも接触する場があるはずだ、と注意を喚起した。そして、与那国の「軍神」大舛松市の顕彰や自衛隊誘致など、国境の島として軍事戦略的な意味を与えられ続けて来たこの地を、天皇の訪問を通じて改めて包摂することが今回の政治目的だと述べた。

天野は、八七年の、天皇の沖縄訪問反対運動を通して、自分たちの反天皇制運動が「沖縄」と直面した経緯をふりかえり、その過程で「ひめゆりの塔」で皇太子アキヒトに火炎瓶を投げつけた知念功と出会ったこと、その訴訟記録を読み直して感じたこと、などについて話した。

アピールとして、基地・軍隊はいらない4・29 集会、一坪反戦地主会関東ブロックから「辺野古ゲート前連続6日間500人集中行動」へのよびかけ、宮古島ピースアクション実行委員会の清水早子さんからのメッセージも代読された。最後に、実行委によって集会宣言が提起され、4・28–29 連続行動への結集が呼びかけられた。

天皇沖縄訪問を報じるメディアのトーンは、「日々沖縄に思いを寄せ続け『戦争の記憶風化』を懸念する両陛下」というものだ。そして、「本土」と沖縄の間の「歴史的なしこり」を、天皇夫婦の活動が癒していったという話だ。今後の行動を通して、その欺瞞性と政治的意味を、はっきりと批判していかなくてはならない。

(北野誉)