菅政権が発足してひと月が過ぎた。ようやく行われた所信表明演説に対する代表質問の様子をニュースで見ながら、この原稿を書いている。
国会論戦のテーマのひとつはやはり日本学術会議の任命除外問題。菅は具体的な除外理由は明らかにしないまま、「総合的、俯瞰的な活動」が求められると、むしろ学術会議の機構改革の方に誘導しようとする。「菅話法」とも言われた官房長官時代の「鉄壁」さ、つまり質問に正面から答えることをせず、ふた言めには「批判は当たらない」「全く問題はない」と表情を変えることなく言い放つことで、あらかじめ議論を遮断し終わりにする。自分がそう言っている以上そうなのだと上から目線で断言する。こうした強権的な姿勢は、首相という立場になっても変わらない。
学術会議の任命除外については、官僚トップの杉田和博官房副長官が、「任命できない人が複数いる」と、菅に口頭で報告していたことが明らかになっている。杉田は二〇一七年から中央官庁の幹部人事を一元的に管理する内閣人事局長を兼任しており、菅とともに時の政権の意志にそぐわない官僚を飛ばし、「政治主導」の名の下に、官僚の屈従と忖度の支配体制を作りだしてきた人物だ。官僚トップであるから当然ではあるが、天皇関連でもよく名前を見る。宮内庁が非公式で検討を求めていた明仁の生前退位について、その要請を握りつぶしたのも彼だし、明仁のメディアを使った生前退位意向表明の後、宮内庁長官の首をすげ替えたのも彼だと言われている。もちろんこの間の「代替わり」儀式の全過程にも、事務方のトップとして関与し続けてきた。
その杉田は、警察庁の警備・公安畑を長く歩み、警備局公安第一課長、警備局長、内閣情報室調査室長、内閣危機管理監などを経て、第二次安倍政権で官房副長官に就任した。「官邸のアイヒマン」と呼ばれた、部下の北村滋国家安全保障局長とともに、警察出身の官邸官僚を代表する。安倍政権で重用された経産省出身者の凋落に伴い、菅政権における発言力はこれまで以上に高まっている。
中曽根元首相の合同葬に合わせて、政府は全国の国立大学などに弔意を表明するよう求めた。この政府の姿勢にもあらわれているように、公務員は国(政権)に従うのが当然、とする国家主義的な官僚統制志向があたりまえのようにまかり通っている。しかし「敵」に対して「思想調査」めいたことをしたり、積極的にデマと印象操作を行ったり、スキャンダルを握り、メディアを統制するやり口も含めて、公安的手法と発想が、政権中枢を貫いているのではないか。そしてそれは「スガーリン」とも揶揄される、菅政権の性格そのものではないのか、との強い危機感を抱く。
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さて、このような状況において、一度延期された「立皇嗣の礼」が、一一月八日に開催されることになった。
「立皇嗣の礼」は、秋篠宮が「皇嗣」となったことを宣言する「立皇嗣宣明(せんめい)の儀」、天皇にお礼を述べる「朝見の儀」、賓客を招いた祝宴「宮中饗宴(きょうえん)の儀」(都合二回)などからなる儀式である。今年の四月一九日に行われる予定になっていたのが、新型コロナウイルスによる「緊急事態宣言」体制の下で延期されていた。もちろん、コロナ状況の「収束」など一向に見通せていない。饗宴の儀を中止し、宣明の儀の参加者も三五〇人から五〇人に減らすなどして儀式を断行しようとしているのだ。
この儀式は一連の「天皇代替わり」の最後の儀式である。天皇・上皇・皇嗣からなる「新しい時代」の天皇制の開始を正式に告げるためのものだ。安倍よりはイデオロギー性は希薄に見える菅政権の「天皇論」はまだ必ずしも鮮明ではないが、立皇嗣の礼に連続するだろう「皇位の安定的継承」をめぐる論議において、次第にその像を結んでいくだろう。
私たちも参加する8・15デモに取り組んだ反天皇制運動の実行委は、この日、「立皇嗣の礼」に反対するデモを準備している。コロナ禍における違憲の「立皇嗣の礼」の強行に強く抗議する! 天皇も跡継ぎもいらない! 身分差別と格差を温存し拡大する天皇制は廃止だ!
(北野誉)