「ニュース」カテゴリーアーカイブ

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 29号(2018年11月 通巻411号)

今月のAlert ◉ 歴史認識をめぐる社会のゆらぎの中で いまこそ「終わりにしよう!天皇制」(蝙蝠)
反天ジャーナル ◉ ─核女、ななこ、日報でも探してろ!
状況批評 ◉ 明仁と天皇制を考える(清水雅彦)
書評 ◉ 小田原紀雄『磔刑の彼方へ──社会活動全記録(上・下)』(中西昭雄)
ネットワーク ◉ 三〇年ぶりの天皇「代替わり」──攻防線を引きなおせ(井上森)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈102〉 ◉ 東アジアにおける変革の動きと、停滞を続ける歴史認識(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈28〉◉ 「放射能は安全!?」「天皇制は全ての差別の根源」ではなくなった、だって?─〈壊憲天皇明仁〉その26(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉ スポーツ(活動)の主役は誰か/緊急会議連続シンポジウム「福島とチェルノブイリ」/朝鮮半島の大転換と日本の進路/差別・排外主義を許すな!生きる権利に国境はない!/「明治150年」記念式典反対銀座デモ
学習会報告◉ 菱木政晴『市民的自由の危機と宗教―改憲・靖国神社・政教分離』(二〇〇七年、白澤社)
反天日誌
集会情報

前号の目次はこちら

*2018年11月5日発行/B5判16ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【学習会報告】安丸良夫『近代天皇制像の形成』 (一九九二年、岩波書店)

今回(九月二五日)は標記の本を取り上げた。

この本は、近代天皇の絶大な権威がどのように作られたかと問い、それは天皇自体からよりも、天皇の権威を必要とする人びとが作ったのだと答える。本書の論理は次のようだ。幕末・維新期に、支配権力樹立に向かう国家指導集団及び自らの指導する村落に秩序を取り戻したい村落指導勢力は、この時期、内外から迫る体制の危機に面して、おりから社会全体に拡がる民衆の民俗信仰世界が持つ反秩序のエネルギーを鎮圧し、秩序の諸原理に沿って編成替えする必要があった。このとき先頭に立たされるのが、秩序の根源と想定される天皇、国体の権威である。彼らはこれを作られるべき国家の文明化の方向に結びつけ、これをもって「愚民」の反抗のエネルギーを国家にとってのエネルギーとして吸収するのだ。

こうして近代天皇制は国民的に受容される社会的基盤を得、超越的な権威として働く。しかしそれは内に包みこんだ民衆の本来反抗性をもつエネルギーとの矛盾を潜在させることになり、現代にまでわたって反天皇制の契機がここに求められることになる。

著者のこの見方に対して、近代全体を通じて観察されるべき近代天皇制形成過程を明治維新期だけで考えることの無理、幕末期民衆意識の受動性だけでなく、その後それが能動化していく先で国体観念が待ち受けていたのではないか。民衆の生活世界に本来反天皇制の契機が潜在しているという見方の甘さなどが指摘され、一方で宗教界を国家につなぎとめるため、社会文明化の片棒をかつがせ、また憲法秩序に「信教の自由」、裏返せば国家神道が盛り込まれるという考えに興味が示された。また一九七〇年代ころ本書の著者に対し若い知識層の一定部分が関心をもった理由なども語りあわれた。

次回(一〇月三〇日)は、菱木政晴『市民的自由の危機と宗教―改憲・靖国神社・政教分離』(白澤社)

(伊藤晃)

【集会報告】PP研連続講座 東京オリンピックと『生前退位』

九月一五日、ピープルズ・プラン研究所(PP研)主催の〈「平成」代替わりの政治を問う〉連続講座第七回が開催された。この回のタイトルは「東京オリンピックと『生前退位』──ナショナリズム大イベントがねらうもの」。問題提起者は、宮崎俊郎、小倉利丸、天野恵一と、本紙ではお馴染みの顔ぶれだった。

宮崎さんからはオリンピック反対運動の視点に立った問題提起。オリンピックが「平和の祭典」と観念されることによって、監視社会、ナショナリズムなどがオリンピック招致・開催によって醸成・強化されている現実を批判させない社会が作り上げられていることを、具体例をあげながら指摘した。いま話題となっているボランティアについては、ナショナリズム批判の視点から「ボランティアとして国家行事に動員していくことに意味がある」ことへの批判の重要性を語った。この間の反オリンピック運動についてのまとまった報告も。

小倉さんは、「明治一五〇年」の断絶と継続という問題提起から始まり、この国のありよう──ナショナリズム、戦争、「日本人」、天皇制等々について言及。そして、国や「国民」の虚構性と、そこによって立つ「日本人」というアイデンティティ、その虚構をベースにしたナショナリズムへと話は進む。オリンピックの問題は国別という枠組自体にあること、敵・味方意識の再生産をとおして「国民」「国家」に収斂していくイデオロギー装置があり、国際スポーツは「平和」を装いながら戦争の感情を正当化すると批判。

最後に反天連の天野から。先のお二人の話の共通点としてあった、オリンピックと天皇制のもつタブー性(批判を許さない)という共通性の指摘を受けて、一九九七年の長野冬季五輪反対運動の経験から問題提起。オリンピック批判の記事に入れた、天皇を揶揄する形で描かれた挿し絵(貝原浩の漫画)が掲載不可となり争った経験など紹介した。

その後の議論も大いに盛り上がった。

(反天連/大子)

【紹介】反天連パンフ『Alert!!! 「代替わり」状況へ』

今年の七月末に行われた、PP研の連続講座「平成代替わり」で、私も報告者の一人だった。私が担当したのは「昭和Xデー」に対する反対運動の体験・経験について。最後の方で、これらと比べても、現在進行形の「平成代替わり」に対するたたかいは、様々な点で困難である(周知のことではある)ことを述べた。とてもあの時のような人々の結集はできないだろうということなのだが、では、どうするのか、どう考えるのか、ということになる。私が最後に述べたのは、「(極)少数派たらざるを得ないのは以前から分かっていたこと、反天の闘いは、どんなに小規模になろうが必要なデモをやり続けること、何が問題なのか、たえず、また、ポイントごとに、声明やアピールを発し続けること、それが長い目でみても意義・意味を持つであろうこと……」というようなことで、結局、「現在の反天連がやっていることがまったく正しい」と結論づけた。まあ、「内輪ぼめ」かも……。

今年八月一五日に発行された本パンフは、反天連の久しぶりのパンフ=最新のパンフで、機関紙”ALert”の二〇一六年七月号から一八年四月号まで掲載された「主張や見解」、天野恵一の連載「マスコミじかけの天皇制」が収められたものである。初めの数か月は、「アキヒト退位表明」から始まった「代替わり過程」への衝撃が、色濃く反映されている。にもかかわらず、このことの意味するもの=問題点を的確に指摘しているのは、「さすが」である。

アキヒト(+ミチコ)の目指した「再定義されるべき象徴天皇制」と安倍右翼政権の思惑の違いがリアルにわかる。退位=禅譲・譲位の自由権を確保しようとする(皇室典範改正?)アキヒトらと、憲法上の「建前」等をもって「一代限りの特例法」で対処しようとする政府。そのいわば「せめぎあい」の中で、実際の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が制定(挙国一致!?)されていく。一つの肝は、特例法でありながらアキヒト以降の「退位・禅譲」も可能としている点であろう。「象徴天皇制は私たち(皇室)のもの」という「意向」に、安倍らが「妥協」せざるを得なかった、と推測される。背景にあるのは「退位意向」に対する「多数の国民の同情・共感」がある、としていることだ。このことはある意味、アキヒトの目指したもので、まるでどこかの商店か同族会社の高齢の社長が引退して「ご隠居」となり、息子にその地位を譲る、という話であるかのようにして、庶民的な「共感」を得ていくことに成功した、といえる。政治的権能は有していないとしても象徴天皇は現憲法に規定された「国家機関」である。従って、退位・禅譲は表明したアキヒトの政治意志である。そのことにより新たな法律が創られるということは明確な「政治権限の行使」で、「憲法違反」。その問題をクリアする手段として使われているのが「国民多数の共感(総意ではないぞ)」で、これは象徴天皇制を永続させようとする、最強の武器、である。本パンフでは、ここらの違憲性や問題点を暴き出しているが、ほとんど「黙殺」される極少数派。さらに「国民の共感」は、安倍政治を批判する人々に、それに対抗しているアキヒト・ミチコへの期待・賛美という倒錯を、広範に生み出している。

本パンフ全体を通しての、もう一つの大きなテーマは、反天皇制運動が直面している「民主と人権諸運動」における「代替わり問題」の無視・軽視、反天課題「持ち込み」への警戒感、アキヒト賛美傾向等々をめぐってである。昭和Xデー闘争のような広がりをもちえない(だろう)という、予測の根拠でもあるが、ここは要するに「原点に立ち返って」構想と展望を考えていく、ということしか、ないと思う。まあ「少数派根性」といわれてしまえばそれまでだが、反天皇制運動は、戦後日本社会において大きな大衆運動として展開されてきたわけではない。あの昭和天皇に対してさえ、それなりの大衆運動らしくなったのは、「Xデー」が近づいた八〇年代で、反天連の活動を基盤としたものであった。象徴天皇制というこの扱いにくい「政治制度」に切り込んでいった反天連、天野の努力は、今日も生き続けている。

私たちは「民主主義に天皇制はいらない」という主張を獲得し、その根拠の一つに「貴族あれば、賎民あり」という古くからの反差別思想があることをアピールしてきた。これが心ある人々に受け入れられる機会は、きっと広がる。このパンフで示し続けてきたような、主張・アピールを、今後も続けていくこと。以前にもまして役に立っていない(生産性のない!)私ですが、できる限りのことはやり続けます。 *九月三〇日、沖縄で玉城デニーが勝ってくれた。奮闘を続ける沖縄民衆に敬意を表します。

(高橋寿臣)

【今月のAlert】本当に終わりにしたい天皇制

ひたすらに嫌な話が続く中での、沖縄県知事選、辺野古新基地反対の玉城デニー圧勝。沖縄の人々による粘り強い運動が、安倍を追い詰めている。しかしヤマトはどうしてこうなのか、忙しく動きながらも、やはりじっくり考えていくべきだ。

今月も取り上げるべき課題は多いのだが、古くなりつつある杉田水脈衆議院議員の「LGBT生産性なし」発言をめぐり少し触れておきたい。『新潮45』二〇一八年八月号で、杉田議員は「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」等々を書き連ねた。杉田発言への批判は噴出・炎上し、その後援護射撃的拍車をかけた特集を組んだ『新潮45』は更に炎上。九月二一日、新潮社社長は「謝罪ではない」のコメント付きで「認識不足」等の声明を出した。そして、二五日、「このような事態を招いたことについてお詫び致します」という、誰への謝罪かまったくわからない声明とともに、『新潮45』の事実上の廃刊を発表した。

発言内容もこの幕引きも問題だが、そもそもこの手の発言がこれまで何度もくり返されていること自体が問題である。

石原慎太郎元都知事の「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」、いわゆる「ババア」発言(二〇〇一年)。森喜朗元首相の「子供を1人もつくらない女性の面倒を、税金でみなさいというのはおかしい」(二〇〇三年)、柳沢伯夫元厚労相の「女性は生む機械」発言(二〇〇七年)。麻生太郎元首相の「(自分には)子どもが二人いるので、最低限の義務は果たした」(二〇〇九年)、山東昭子元参院副議長の「子供を四人以上産んだ女性を厚生労働省で表彰することを検討してはどうか」(二〇一七年)。これらは、国や都の上層部にいる者たちの発言である。そのたびに、大きな批判の声が上がり、辞任を迫られたり裁判を起こされたりしているが、発言の主は誠意のない撤回と謝罪、あるいは間違った解釈・報道であると非難し、今回は掲載紙を廃刊させて居直り続けている。提訴された石原を裁判所は、発言は「不用意」と指摘するのみで原告敗訴。司法も同じ穴の住人だ。

どうして、女はこうも「子どもを産むこと」でその価値を計られるのか。

日本国憲法第二条には「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とある。その「皇室典範」第一条には「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とある。世襲制と男系男子。そうやって継承される天皇を、この国と「国民統合」の象徴と憲法は定めているのだ。女が産むことで維持される国の制度。石原、杉田らの発言はむしろ天皇制に依拠しているとさえいえる。

しかし、杉田らが暴言・妄言を発する時、天皇制を意識していたかといえばそうでもないかもしれない。天皇制であろうとなかろうと、支配層は私たちを「民力」「国力」「人口」としてカウントし、人権なんて無視だ。「産めよ増やせよ」政策なのだ。天皇制の日本だけでなく、国家とはそういうものだろう。日本は「産む」ことに至上価値を与える天皇制という、うまい装置を持っているという話である。天皇制とは、そういう国家の思惑にそったイデオロギー装置であることを、多くの人がそろそろ気づいてもよさそうなものだと思う。しかし、杉田発言を批判し、天皇一家を愛する人々がそこに矛盾を感じていないのも事実だろう。少なくない人々は政治家・役人たちに反発するが、天皇制はいいらしい。そこに矛盾を感じないことの問題がこの社会の大きな課題なのだ。

来年五月から皇后となる雅子は、子どもを産まないことで苦汁をなめてきた。同情し応援するのは勝手だが、それでも応援して天皇制を残したければ、石原や杉田たちと同じ穴の住人とならざるを得まい。

安倍は再選し、就任早々の柴山昌彦文科相が「(教育勅語は)今の道徳などに使える」を発言。また繰り返しが始まった……。今月二三日、政府は「明治一五〇年」記念式典を開催。政府はどうあっても我が道を行くだけだ。だけど、私たちもやる。二二日は政府式典反対デモだ。二五日には安倍靖国参拝違憲訴訟控訴審判決もある。「即位・大嘗祭違憲訴訟」も準備が進んでいる。反戦・反基地・反差別の行動も呼びかけられている。一一月は「終わりにしよう天皇制」の集会。チラシ等お見逃しなく! そしてみんなで出かけよう。本当に終わりにしたい。

(桜井大子)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 28号(2018年10月 通巻410号)

今月のAlert ◉ 本当に終わりにしたい天皇制(桜井大子)
反天ジャーナル ◉ ─捨てられし猫、宮下守、橙
状況批評 ◉ あらためて裕仁の戦争責任を考える ─オウム真理教元幹部らの死刑執行で(中嶋啓明)
書評 ◉ 『ブラックボランティア』──八月の太陽のもとで(暗黒聖闘士)
紹介 ◉ 反天連パンフ『Alert!!! 「代替わり」状況へ』(高橋寿臣)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈101〉 ◉ 日米首脳会談共同声明から見抜くべきこと(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈27〉◉ 天皇が「神格」をえる〈カミとなる〉儀式をめぐって─〈壊憲天皇明仁〉その25(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉ おことわリンク・映像講座/大軍拡と基地強化にNO!アクション2018集会/PP研連続講座 東京オリンピックと『生前退位』/生前退位、何が問題か 第4回 学習会 「道徳」教育に潜むもの!/天皇代替わりと民主主義の危機─関西連絡会が集会/集会・デモくらい自由にやらせろ!
学習会報告◉ 安丸良夫『近代天皇制像の形成』
反天日誌
集会情報

前号の目次はこちら

*2018年10月16日発行/B5判16ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【学習会報告】村上重良『天皇制国家と宗教』 (日本評論社、一九八六年、講談社学術文庫)

本書は国家神道をめぐる手堅い通史だ。この本を「日本型政教分離」とそれを支える「皇室祭祀」について絞って報告した。

「日本型政教分離」というのは、村上ではなく、別の論者の言い方なのだが、明治維新直後の神祇官復活に見られる神道国教化政策から、キリスト教容認への転換を経て、島地黙雷らの「信教の自由」論を繰り込んで成立したもの。それは、「全国民への神社崇敬の強制と信教の自由の矛盾」という状況を、「神社神道は宗教ではなく、一般の宗教とは次元を異にする超宗教の国家祭祀である」という論理で越えようとするものだった。その結果、「神道界は……宗教化の路線を完封し、祭祀と宗教の分離による国家神道への確立へと大きく歩み」出すことになった。

皇室祭祀の方は、近代以前の天皇家自身が神仏習合であったから、「宮中の神仏分離」が必要とされるとともに、前例のない天皇の伊勢神宮参拝や、宮中三殿の整備、さまざまな皇室祭祀が集中的に新定・整備され、全国の神社の祭りも皇室祭祀を基準にして再編成され、学校行事を通じた祭日の儀礼などによって、「国民生活」をも律していったことなどについて確認した。

この二点に報告を絞ったのは、それが今なお持続している問題だと思うからだ。本書は、戦後に関する論述は少ないが、神道指令と日本国憲法の公布によって、「宗教は、基本的に国民ひとりひとりの内面にかかわる私事として位置付けられ」たと整理する。しかし、国家神道と神社神道を切り離して後者を宗教法人にスライドしてしまったことと、皇室祭祀が天皇の「私事」として生き延びてしまったことはパラレルの関係にあるのではないか。それが、制度としての「政教分離」を侵食してしまう余地を残したとは言えないか。「日本型政教分離」は曖昧に延命しているのではないか。天皇主義右派勢力としての神社本庁の政治性、習俗論、象徴的行為としての皇室祭祀などは、今の私たちにとっても重要な問題であり続けている。

初めての学習会参加者も含めて、議論は活発に行われた。村上の宗教学における宗教進化論的傾き。政教分離違反という切り口で天皇制の儀礼を撃つことは有効か。日本型政教分離という以前の問題として、日本型「宗教」の特異性についても議論が必要ではないか。明治維新のイデオロギーとしての国体論の位置をどう考えるか、などなど。

次回(九月二五日)は、安丸良夫『近代天皇像の形成』(岩波書店)を読む。

(北野誉)

【集会報告】「憲法と天皇制」練馬の会学習会

八月二四日、「アキヒト退位・ナルヒト即位問題を考える練馬の会」の学習会が開催された。六月二五日の第一回(既報)に続いて二回目である。今回は、憲法学の清水雅彦さん(日本体育大学教員)に「憲法と天皇制」と題して話していただいた。

清水さんの話は、まず最初に憲法の成立史から憲法論の基本概念について説明。統治が主権を持つ天皇に総攬され、実質的に権力の分立がなされていない外見的立憲主義に対し、国民主権から人権を保障し、国家権力を縛ることを目的とする近代立憲主義の理念を強調した。さらに、現代の立憲主義は、ナチズムへの反省からポピュリズム的な「多数派の暴走」を制約し、積極的に違憲審査制度を運用するべきと述べられた。

これらを前提に、議論は「憲法と天皇制」という中心テーマに。清水さんは「将来的には第一章を廃止」「天皇制は廃止するべき」という立場を鮮明にしながら、天皇条項さらに日本国憲法の制定過程と、上諭、前文の構造を説明し、現憲法が民主主義的観点からは不完全で封建的遺物を残すものと断じた。学校の体育教員をめざす学生たちに向けて批判的に講義されている「君が代」「日の丸」や「元号」「祝日」などの検証・歴史教育の一端が、ユーモアを交えた明快な口調と表現で語られていった。

話はさらに展開し、天皇明仁によるビデオメッセージの問題点について。この内容が「天皇制を永続させる」ための強い意思に基づく明らかな政治的発言であり、公的行為を拡大解釈するものであると批判。この発言を後追いで固定化させていった「退位等に関する皇室典範特例法」は、天皇発言を合憲化し、批判的立場を無視して強制するものであるということや、戦没者追悼式での明仁の発言は、裕仁の戦争責任も、戦後のアメリカへの戦争加担とともにあった「平和」の問題点をもないまぜにするものであることが指摘され、最後に自民党の改憲案に対する批判が展開されるなど、網羅的で親切な講演だった。

会場周辺には早い時間から二名の右翼団体の構成員が登場し、トラメを使用して街宣を実施。今回の会場は住宅地の真ん中で、この騒音に住民からの苦情もなされていたが、一〇名ほどの公安警察官は遠巻きにするだけだった。小規模な学習会すら圧殺されかねないこうした状況に、なんとか反撃していきたい。

次回は一〇月二五日、立川自衛隊監視テント村の井上森さんを講師として開催する。今回の参加者は四四名だった。

(蝙蝠)

【集会報告】「元号いらない」の声、新宿アルタ前に響き渡る

八月一九日、〈元号はいらない署名運動〉に集まる首都圏の友人たちと、新宿アルタ前で情宣と署名行動をおこなった。灼熱コンクリート地獄を覚悟しながらも少しは涼しさを求めて夕方からの行動。珍しく当日は三〇度を切り、夕方からの行動は思いのほか快適(?)だった。

天皇の代替わり状況に対して反天皇制の立場から声を上げていこうと、昨年春くらいから、首都圏枠の緩やかなネットワークがつくられてきた。このネットワークはこれまでにも、集会実行委をつくっては集会やデモを呼びかけたりしてきた。〈元号いらない署名運動〉もそのネットワークが呼びかけて始まった運動だ。いまでは全国で多くの人たちが署名集めに参加している。集約先に届けられる署名は、個人、小さなグループ、労働組合、宗教者と、掲げられている課題も実に多彩な人たちからで、地域的にも北海道から沖縄まで拡がっている。現在集まった署名は五〇〇〇筆を越したところ。よく集まっていると思うが、でも目標は一万筆。先はなかなかに遠いのだ。

というわけで、新宿情宣とあいなった。署名を集めることもさることながら、なぜ元号に反対するのかを道行く人たちに伝えることが大きな目的の一つ。参加者はみな熱のこもったスピーチをそれぞれに展開し、らっぱさんの歌「元号やめよう」も新宿アルタ前に響き渡った。しばらくすると、通りの反対側からビルに隠れてこちらの様子を伺う公安警察の姿も……。すかさず”Police on my back”(The Clash)のカバーソングも。みんな大喜び。

署名は一一月一五日が最終集約日だ。それまでに何とか一万筆を集め、署名提出行動自体もメッセージ性の強い行動にしていこうと相談中。集約最終日まであと二ヶ月だ。さらなる署名への協力、署名運動への参加を呼びかけたい。ちなみに新宿で集まった署名は二〇弱……。まだ署名していないなあ、と思っているみなさま、一筆分だけでもかまいません、署名をして送り返してください。

(大子)

【集会報告】「明治150年」天皇制と近代植民地主義を考える8・15行動

八月一五日、在日韓国YMCA・9階国際ホールでタイトルの集会を行った。会場は一八五人の参加者で埋め尽くされ熱気に溢れるなか、今回、四つの課題をたて、それぞれに発言してもらった。

最初に安倍・靖国違憲訴訟の弁護団である酒田弁護士は「即位・大嘗祭訴訟に関する問題提起」。三〇年前の訴訟の確認。そしてヒロヒトとアキヒトをめぐる社会情勢の違いに触れ、最後に今回準備されている訴訟の理論構成について報告された。

次に「北方領土の日」反対!「アイヌ新法」実現!全国実行委員会(ピリカ全国実)の黒岩さんは、アキヒト・ミチコの利尻島訪問・北海道一五〇年式典出席への反対行動の報告。アイヌモシリ侵略は天皇制国家による他民族侵略・支配の「原型」と話され、戦後のヒロヒトの「人間宣言」内の「五箇条の誓文」が戦後民主主義の「原点」かと問う。

続いて「元号はいらない署名運動」の井上森さんからは、アキヒトの「社会の停滞を懸念」発言で始まった平成代替わりから、中央官庁、JR、警察からの元号「撤退」の実情の報告があり、最後にオウム大量処刑に触れ、日本において最高度の国家暴力を正当化する論理は天皇制しかないとしめくくった。

最後に反天連の新さんは「『平成の三〇年』=明仁天皇との『対決』の三〇年」について。アキヒトの言動の微妙な変化から、「時代とともに変わっていく」天皇の政治の役割を分析した。今回の天皇主導の「退位」で見せつけられた、天皇による天皇制の再定義は、明仁天皇制が三〇年かけてそこに収斂していった、天皇像の到達点だと集約した。

質疑応答の時間が取れなく残念であったが、「道徳教育」の問題性に言及されている北村小夜さんから「新しい教科書をつくる会」の流れの教育出版が唯一、アイヌ問題に触れていることを補足され、そこにどのような魂胆があるのかと問われた。

その後、沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック日韓民衆連帯全国ネットワークオリンピック災害おことわり連絡会、米軍・自衛隊参加の防災訓練に反対する実行委員会から連帯アピールをもらい、靖国神社に向け元気にデモに出発した。手作りの幟や横断幕、反天龍(?)、そして参加者二五〇人、何も誰も欠けることなく「天皇制はいらない!」のコールを響かせた。交流会では懐かしい仲間、新しい仲間の発言もきけて、ワイワイガヤガヤとにぎやかに。今年も無事に終わって良かった。

(実行委/桃色鰐)