【集会報告】第29回政教分離訴訟全国集会

七月一五日・一六日の両日、東京で「第29回政教分離訴訟全国集会」が開かれた。毎年、各地持ち回りでおこなわれている交流集会で、今回は「大阪判決を打ち破ろう!」をテーマに、安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京と、ノー!ハプサ訴訟が受け入れ団体となり、初日は全水道会館で六〇人、二日目は御茶ノ水のクリスチャンセンターに三〇人が集まった。

初日はまず、一橋大学の吉田裕さんの記念講演。吉田さんは、安倍の靖国参拝がアメリカからすぐに批判を浴びたように、日本の歴史認識そのものが国際的に問われた。戦争体験世代の激減とともに、靖国神社を支える財政状況は厳しくなっている。ただし、若い世代の中で、今世紀に入ってから、かつての戦争を「やむを得ない戦争だった」と、消極的に肯定する人が増えていることは見逃すことはできないと指摘。

続いて、大阪と東京の弁護団によるシンポジウムがもたれた。報告者は大阪安倍靖国参拝違憲訴訟弁護団の加島宏さん、同東京訴訟弁護団の碇由利絵さん、ノー!ハプサ第二次訴訟弁護団の浅野史生さん。

不当判決に対して控訴した大阪、人証調べの段階に移り、一四名の原告本人尋問が予定される東京訴訟、靖国神社と原告らの父の死との直接的な関係性を具体的に問うている、ノー!ハプサ第二次訴訟の現段階と問題意識が話された。
二日目は各地からの報告。北海道、大阪、東京(靖国訴訟とノー!ハプサ訴訟)、山口の取り組みと、それぞれの課題について報告された。会場からは松山と沖縄からの参加者の発言もなされた。

二日間の論点は多岐にわたったが、私としては、訴訟をはじめ、粘り強く取り組まれてきた政教分離違反に対する反対運動が、一面では靖国公式参拝路線を挫折させたこと(法廷では「私的」参拝と言わざるを得ない。もちろんそれ自体が欺瞞)、「政教分離」の意味するところは宗教的少数者や非宗教者の信条を抑圧する「おそれ」からの自由の保障であることをあらためて確認できた。天皇制自体の宗教性(非宗教的な儀礼も含めて)を、この問題と重ねて考えることが必要であると痛感している。

(北野誉)

【今月のAlert】天皇主導のXデーがやってきた! ─8.15反「靖国」行動へ!

七月に行われた参院選は、改憲勢力が非改選を含め改憲発議に必要な三分の二を超える議席を獲得する結果で終わった。八月三日には内閣改造と自民党役員人事が行われ、主要な閣僚は大半が留任し、防衛相には稲田朋美を起用した。新聞は「首相が考える安保政策をそのまま自衛隊の活動に反映させていく体制をつくった形」と評し、防衛相経験者による「防衛相の振る舞いを周辺国はよく見ている。有事がエスカレートすることもある」という危惧するコメントを紹介している。

連合国が戦犯らを裁いた東京裁判を不当だと訴え、「伝統と創造の会」を設立し、以来毎年、サンフランシスコ講和条約が発効した四月二八日と八月一五日に靖国神社を参拝しているウルトラタカ派である。

女性の防衛相は小池百合子に続く二人目だが、「日本会議」の副会長を務める小池は都知事選で大差で勝利している。その都知事選で、「在特会」の前会長である桜井誠が「選挙の自由」を盾にヘイトそのものの選挙演説を行い、一一万票余の票を獲得した。その結果に正直驚愕したが、安倍や稲田、小池の本音がむき出しの形で表れているのが、桜井と言えるわけで、少なくない数の人々が、彼らを支持するこの状況だからこそ、私たちは歴史に向き合い、検証していく作業を粘り強く継続する努力がなお一層求められていると改めて強く思う。落胆している暇などないのだ。

参院選の直後に、沖縄高江のヘリパット建設が本土から五〇〇人という機動隊を動員して暴力を伴い強行・再開された。福島の原発事故などなかったかのように、川内原発に続き八月に伊方原発の再稼働も行われようとしてる。老朽化が進む原発も次々に再稼働へのGOサインを規制委員会は出した。

歴史修正主義者たちが権力の座を占めている。これは本当に恐ろしいことだ。彼らには歴史から学ぼうとする姿勢が全くない。日本の侵略戦争・植民地支配における天皇制の責任も、すべて自分たちに都合のいいように解釈し、まったく同じ過ちを繰り返そうとしている。個人の尊厳など邪魔なだけで駒に過ぎないという「国体護持」の思想が、現在の沖縄の問題や原発の問題に如実に表れている。

今年も8・15に向けて、私たち反天連も参加する実行委は、「『聖断神話』と『原爆神話』を撃つ8・15反『靖国行動』」を準備し、七月三〇日には日本近現代史研究の千本秀樹さんをお招きし、前段討論集会を行った。

その集会の前の七月一三日、反天連も予期していなかった天皇の「生前退位」の意向が突然NHKから報道された。
私たちはこれを、天皇制が主導する「Xデー状況」と位置づけ、声明をだしたのでご覧いただきたい。【反天連からのよびかけ】01としたのは、今後のあちら側の動きに対して、そのつど声明を出していこうと考えているからだ。

ちょうど一年前の八月一五日の「全国戦没者追悼式」や、その二ヶ月後の「全国豊かな海づくり大会」でアキヒトは手順を間違った。反天連声明に記したように、年齢のせいで「公務」が十分果たせなくなったという思いが今回の「生前退位」の意向表明の背景にある、とマスメディアは一致した報じ方をしている。国民のことを一身に思い、高齢にもかかわらず激務をこなしおかわいそう――という論調である。

「四年後の東京五輪を、新天皇のもとで迎えるべきだともお考えになられ、数年以内の実現を望まれている」と宮内庁関係者の話として週刊誌で紹介されている。オリンピックがヒロノミヤのデビューを飾る場として用意され、「天皇を頂点とする日本国」が世界中にお披露目されるというわけだ。新天皇即位に向けた時間はすでに流れだしているだろう。

発言の違憲性については声明を読んでいただくとして、アキヒトが考える「象徴天皇制」の完成体が天皇主導で行われようとしていることは確かである。八月八日には、天皇自らの「お気持ち」が表明されるという。「天皇条項」「皇室典範」という文字が踊り出している。「民主主義」や「立憲主義」が議論される時、すっぽり抜け落ちていた憲法条文。「大日本帝国憲法」と「日本国憲法」の連続/断絶の関係性を問うということがなされなければならない。反撃の時は始まった!

まずは8・15反「靖国」行動にぜひ参加を!

(鰐沢桃子)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 2号(2016年8月 通巻384号)

今月のAlert ◉天皇主導のXデーがやってきた!─8・15反「靖国」行動へ(鰐沢桃子)
反天ジャーナル ◉ はじき豆、まおう鳥、映女
状況批評 ◉ オバマ広島訪問と伊勢・志摩サミット(関千枝子)
書評◉ピープルズ・プラン研究所パンフレット特別号『非暴力直接行動への宿題 反戦交友録』(有馬保彦)
ネットワーク ◉ 9・4各エリアにおける監視・抗議行動、報告集会へ(藤田五郎)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈75〉  ◉ 「beautiful Japan!!!!!」に何の因果関係を見るのか(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈02〉 ◉ 天皇代替り〈Xデー〉の政治が始まった!—完成された〈違憲天皇制〉のヘゲモニーの下に(天野恵一)
【反天連からのよびかけ】01 天皇制が主導する「Xデー状況」への反撃を開始しよう!──天皇も皇族もやめろ、そして天皇制は廃止せよ!
野次馬日誌
集会の真相 ◉7・15-16 第29回全国政教分離訴訟全国集会7・18 天皇行事の「海づくり大会」はいらない!海づくりは、海こわし7・30 「聖断」のウソ─天皇制の戦争責任を問う
学習会報告 ◉ 『昭和の終焉 1988.9—1989.2 天皇と日本人』
(朝日ジャーナル編、朝日新聞社、一九八九年)
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

*2016年8月9日発行/B5判18ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【反天連からのよびかけ】01 天皇制が主導する「Xデー状況」への 反撃を開始しよう! ──天皇も皇族もやめろ、そして天皇制は廃止せよ!

●これは「自粛なきXデー」の始まりである

7月13日、明仁天皇の「Xデー」状況がはじまった。しかもこれまで全く予想されなかったかたちで。

天皇という地位についている人間の生物学的な死としての「Xデー」へのカウントダウンが始まったわけではない。しかし、天皇の「代替わり」にともなう、新たな天皇制像の演出としての「Xデー状況」は、すでに開始されたと見るべきだ。

反天連は昭和天皇「Xデー」との大衆的な闘いに向けて1984年に結成された。昭和天皇の「Xデー」においては、病状報道から天皇の死にいたる時期の「自粛」と「弔意強制」が、列島全体を巻き込んだ社会現象となった。それは経済状況にも影響し、何よりもその「息苦しさ」への反発が、天皇制に対する批判的な感覚を広げた。このことはおそらく、天皇制を演出する側にとっても総括すべき点であったはずである。今回の、いわば「自粛なきXデー」状況の開始は、われわれにとっても、前回とは異なる反天皇制運動の展開を要求している。そのことを見すえながら、私たちは多くの人びととの共同の作業として、開始された「Xデー状況」に反撃する闘いを、さまざまなかたちで準備し開始することを呼びかける。

●天皇が事態を主導している

われわれは、今回のそれがまず、天皇自身による「生前退位」の意向表明として始まったことに注目しなくてはならない。これはたんに年老いた明仁天皇が、現役を退きたいと希望しているといった話ではない。NHKによってそれが報じられてすぐに、宮内庁幹部や政府は「報じられた事実はない」「承知していない」と打ち消して見せたが、各メディアは事実としてそれを後追いで報じ、宮内庁もまたNHKへの抗議などはしていない。さらに、首相官邸では、限られた人間しか知らず、何を検討しているかについてさえ極秘のチームが、皇室典範改正に関する検討をすでに進めていたとされる。それをも飛び越えて、天皇の「意向」が唐突に明らかになったのは、明仁天皇自身そして徳仁や文仁らの強い意向がそこに働いていたからであると判断される。

今回の件は、明仁天皇自身が、「次代」の新しい天皇制を演出する、その主導的な担い手の一人として立つという明確な意思を表明したということを意味する。摂政をおくのではなく、皇室典範の改正が必要な「生前退位」を、明確に希望したこと、それは象徴天皇制を、明仁天皇みずからが主人公となって、積極的に変革し再構築するという宣言なのである。

●「国民の天皇」の政治的行為

「生前退位意向表明」は、昭和の天皇制とは段階を画した「国民の天皇」としての、明仁天皇制をしめくくるものである。

その即位以来、マスコミ等を通じて演出されてきた明仁天皇制の姿とは、アジアへの外交や沖縄訪問による戦争責任の和解に力を尽くし、国内外の戦跡で死者への祈りを捧げ、さまざまな自然災害の被災者を慰問するなどの「公務」を精力的に行なう、「常に国民とともに」ある明仁と美智子といったイメージであった。しかし、これら一見すると「非政治的」で平和的な、問題ともならないように見える天皇の行為は、現実にはすぐれて政治的な役割を果し続けている。

たとえば、アジア訪問などにおける天皇の発言は、実質的に天皇制国家の責任も日本軍の責任もなにひとつとらず、ただ口先でだけ「謝罪」のことばを発して終わったことにしようとする日本国家と基本的に同じものである。それがたんなる「口先」ととらえられないのは、「国民統合の象徴」とされる地位に立つ者のことばであり、マスメディアが絶対敬語で無条件に賛美することばであり、ある人たちにとっては侵略戦争の責任者であった昭和天皇の息子のことばであるからだ。国家の儀礼を受け持つのが天皇の役割だが、それは天皇であるからこそ、他の国家機関ではなしえない何ものかを有するものとして演出される。しかし、繰り返すが天皇は国家の機関である。だから天皇のことばを賛美することは、国家のことばを無条件で賛美することと同義である。天皇はそのようなかたちで政治的な役割を果しているのだ。

●天皇の「公務」の拡大は違憲だ

年齢のせいで「公務」が十分果せなくなったという思いが、今回の「生前退位」の意向表明の背景にある、とマスメディアは報じている。明仁と美智子によってさまざまにおこなわれてきた天皇の「公務」を「誠実」に果していくこと。「生前退位」の意味することは、自らが体現してきたそういう象徴天皇制のあり方を、その権威も利用しつつ、明仁天皇から徳仁天皇へと意識的につないでいくことに違いない。それは、息子の妻の病いも含め「不安」の中にある次代の天皇制を、ソフトランディングさせていくという意図に貫かれている。

だが、憲法で規定された「国事行為」以外の「公務」なるものは、そもそも違憲の行為である。かつて「統治権の総覧者」であった主権者天皇を、「国民主権」のもとでの象徴天皇に衣替えするにあたって、天皇の役割を法的に限定したのが憲法の天皇条項である。認められた「国事行為」以外に「公的行為」なる区分を立て、天皇の「公務」としてひとくくりにすることは、いわば天皇条項の「解釈改憲」にほかならない。そうやって勝手に「仕事」を増やしておいて、それを十分に行なえないから「退位」して代替わりが必要だなどと、「政治に関与しない」はずの天皇が言い出すことは、二重に違憲の、ふざけた言い草なのだ。個人的な事情で国家の制度の変更を迫る。ここにあるのは、身体を有する特定家系の個人を国家の「象徴」とする制度自体の矛盾である。

今後、天皇の意思を「忖度」して皇室典範改正作業が本格化されていくであろう。すでに、退位後は「上皇」になるのか、今回限りの特例法で、などといった議論も始まっている。皇室制度を安泰にするための「女性宮家」の検討も再浮上するだろう。右派の抵抗も予想されるが、皇室典範の不合理な部分を、合理化しなければならないといった議論が、「陛下の意思」を背景に、「国民的」になされる場がつくりだされようとしている。

問題なのは、そうした議論の中で、拡大されてきた天皇の「公務」自体の違憲性を、正面から問う言説がほとんど見られないことである。逆にそれを前提とし、それらをより積極的に行なうことが天皇の役割であると言うのである。

私たち反天連の立場からすれば、体制としての戦後民主主義のなかに埋め込まれた象徴天皇制は、民衆の自己決定としての民主主義とは矛盾するシステムである。生まれによって、特別な身分が保障されるような制度はおかしい。私たちは天皇によって「象徴」され統合された「国民」であることを拒否する。膨大な経費と人員を使って、各地に移動するたびに、人権侵害をひきおこし、批判的な少数言論を抑圧する制度は迷惑である。そうであるからこそ、新たな天皇制の再編強化を意味する「生前退位意向表明」に私たちは注目せざるを得ないし、その違憲性を批判し、そこで具体的に生み出される天皇制の政治と言説に批判的に介入していく。

天皇も皇族であることもやめよ。徳仁も即位するな。皇族という存在はいらない。そして天皇制自体は廃止されなければならない。

2016年7月28日
反天皇制運動連絡会

【集会案内】「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ 8.15 反「靖国」行動

■「聖断神話」と「原爆神話」……この二つの大嘘によって戦後が始まった。

■この大嘘(神話)は、日本の侵略戦争・植民地支配における天皇制の責任と、無差別大量殺戮という米国の戦争犯罪を隠蔽するためであった。そして、戦後の米国による核・軍事力を背景とした世界支配戦略を可能にし、日本では、天皇制の象徴天皇制というかたちでの延命(戦争責任を取らない体制)を可能にした(それによって「靖国信仰」も延命させた)。

■米大統領がヒロシマ訪問で謝罪しない、日本政府も謝罪を求めない……この歪んだありようも二つの大嘘に起因する。こんな戦後は一刻もはやく終わらせなければならない!
71 年前に時間を巻き戻し、天皇制の戦争責任を追及し、あるべき戦後の姿を作り直そう!

■二つの大嘘(神話)を撃つ、8.15 反「靖国」行動に是非参加を!

[前段討論集会]
「聖断」のウソ  天皇制の戦争責任を問う

講 師 千本秀樹 さん(日本近現代史研究)
[日 時] 7 月30 日(土) 17:45 開場/ 18:00 開始
[会 場] 文京区民センター 2A 会議室(地下鉄春日・後楽園駅)
[資料代] 500 円

8.15 反「靖国」デモ
[日 時] 8 月15 日(月) 14:30 集合/ 16:00 デモ出発
[集合場所] 在日本韓国YMCA 3 階
(JR 水道橋駅より徒歩9分、地下鉄神保町駅より徒歩7分)

主催 ●「 聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8.15 反「靖国」行動
連絡先 090ー3438ー0263
【呼びかけ団体】
アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/ 「 日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動評議会

【学習会報告】反天連学習会 菅孝行編著「Xデーがやってくる! 危機の中の天皇制攻撃」(柘植書房、一九八四年)

六月の反天連学習会で読んだのは、結成前後の反天連をもその内に含む、一九八〇年代前半の運動状況を色濃く反映したテキスト。

反天連ではこの間、ヒロヒト「Xデー」に関連した本を読んでいるのだが、そもそも当時、「Xデー」はどのようなものとして想定されていたかということを確認したいと考えたのが、この本を選んだ理由であった。

その課題は、巻頭の菅孝行の論文と、巻末の山川暁夫の論文を読むことで果される。菅は言う。一九八三年以来、天皇・皇族のシンボルの下での国民統合を強化しようとする権力の動きが急速に露骨になってきた、そしてそれに呼応するように、山谷や日大に代表されるような、天皇主義右翼=民間武装反革命の本格的活動が始まっている。天皇制攻撃の本格化は、日本帝国主義の危機の深化による。それは「第三世界」諸国人民の反帝国主義闘争の前進によって規定された西側世界=統合帝国主義の危機である。アメリカの対ソ限定核戦争戦略、中曽根政権の登場もそうした危機への対応である。「利害の思想としての国益主義から倫理としての殉国の思想へ」、それは天皇以外の統合軸を見いだし得ない。

山川は、「Xデー」を通して「『戦後』意識が国民から消え、新時代意識が扶殖される」と分析した。巨大な「世替り」意識によって、現憲法は「昭和憲法」として相対化され、「『昭和史の終わる日』こそが、改憲実現への決定的跳躍台にならないと限らない」、と。

いまやアキヒト天皇が戦後秩序の「擁護者」とさえみなされていることを考えれば、これと異なった展開をしたことは明らかである。天皇の戦争責任の解消は、「代替わり」によって「自動的」になされたのではなく、新天皇の、それを自覚的に果たす「努力」の持続の姿の繰り返し(という演出)によってなされ、平和主義・護憲天皇というイメージを強化していったはずだ。

学習会でも、まずはこのように予期された「Xデー」が、現実に展開したそれとはかなりずれていることの確認から始まった。もちろん、そのことの指摘はたやすい。冷戦構造の変容・帝国主義と第三世界の位置の変化という時代の流れに、現実の「Xデー」がぶつかったことは大きかったと思うが、想定されていた危機の条件が変わっていたのだ。そしてそもそも、ある種「危機論」的な分析視角や、天皇制強化=「復古反動」論とは一線を画していたとはいえ、戦前的天皇制に連続したイメージで捉えられていたところの天皇観に、バイアスがかけられていたこともあっただろう。この本ではほとんど論じられていない「大衆天皇制」状況も含めて、現代資本主義における天皇制のリアルな認識作業が必要だった。けれども、「Xデー」に向けての「切迫」した気分というものは確実に存在した。天皇制が天皇制であるかぎり、本質的には変わらない天皇制攻撃の質というものが確かにあり、それぞれの運動現場における「天皇体験」は、ソフトな顔の下に露出するハードなものであったということだ。

このような現代天皇制の二重の構造は、何よりも現実の反「Xデー」闘争の過程で、天皇制の実像に迫る中であらためて見出されていったことであっただろう。

この本では、菅、山川の論文以外のすべてが、現場と課題からの運動報告である(愛知・管理教育、立川・動員、戦争責任、警備、山谷・右翼テロ、精神障害者差別など)。この本の初版のあとがきで、反天皇制の「先駆的な闘い」とされてきたそれらの実践は、このときすでに、それぞれの現場における反撃が、同時に反天皇制運動とならざるをえないことの発見の過程を示している。現実に登場した天皇制の姿は多少は違ったものであれ、それへの反撃は、形を変えて持続しているのだ。 次回は七月二六日。テキストは朝日ジャーナル編『昭和の終焉:天皇と日本人』

(北野誉)

【集会報告】第Ⅸ期から第Ⅹ期へ 反天連討論集会 どうなる!? どうする!?天皇制と反天皇制運動の現在

反天連が第10期を迎えるにあたって運動の今後を考える討論集会が七月二日、14時からピープルズ・プラン研究所で開催された。

トップバッターは伊藤晃さん。日米同盟下での国際協調による世界平和という主流の意識に民衆の平和意識を折り合わせていくのが象徴天皇制の機能だったが、安倍の積極的平和主義はそれを突き崩そうとしている。さらに大東亜戦争下の国民一体の継承と戦後平和意識の矛盾を慰霊行為で解決しようとしたが、戦後民主主義に内在した侵略性、排外主義、人種主義、男権主義に対する象徴天皇制の隠蔽が行き詰っていることを指摘した。こうした二つの矛盾を乗り越えようとする象徴天皇制は決して戦前の復古ではなく、私たちは様々な民衆運動をつなげて自立的な社会的共同をいかに形成できるかが課題であることを提起された。

立川テント村の井上森さんは、二〇一五年のSEALDsに見られる「戦後の選び直し」が実は「戦後批判」の忘却を意味しているのではないか、という重要な問題提起を行った。そして「戦後批判」を東アジアの民主化運動の(屈折した)一部として自己定位し、新たな「国民運動」の中に投げ返していくこと、それはとんでもなく細い道だが、不可能ではないと。

最後は天野恵一さん。象徴天皇制体験の思想的総括が必要であること、それは歴史として客観化してみる作業である。象徴天皇制と対決する民主主義という土俵で、様々な歴史体験がクロスする必要があるという問題提起。

その提起を受けて後の討論では、昭和天皇Xデー状況における自粛問題が戦後でも初めての天皇制体験として捉えられたという天野さんの発言を契機として、あの時代を様々な角度から検証する議論が出された。しかし、次なるXデー状況に対する予測はかなり発言者によって異なり、自粛状況が再現されるか否かについても意見は大きく分かれた。

わたし的には井上さんの戦後批判の隘路と天野さんの民主主義論をもう少し関連させながら議論したいとの思いが残ったが、今後の議論に期待しよう。

最後に井上さんからこの反天連通信が質の高いメディアであってほしいという注文が出され、ますます「ALERT」に対する期待が高まり、多くの仲間で支えていかなければならないという思いを強くしたのであった。

(宮)

【書評】ピープルズ・プラン研究所パンフレット 連続講座記録『象徴天皇制国家の70年』

本紙ではおなじみの伊藤晃さんと、反天連の天野恵一を講演者として立てて、ちょうど一年ほど前の昨年七月二五日におこなわれた講座の記録がパンフレットになった。といっても、反天連のパンフではない。天野恵一が運営委員を務めるピープルズ・プラン研究所で、昨年から今年にかけておこなわれた連続講座の第2回「象徴天皇制国家70年」の講演記録である。

「象徴天皇制国家の七〇年」とは、敗戦・占領以来持続している〈象徴天皇制デモクラシー〉にほかならない。このパンフレットは、まず伊藤が「戦後天皇制は何を象徴してきたのか─安倍政権と明仁天皇」として、こうした構造について論じている。

憲法に位置づけられた制度としての象徴天皇制のもとで、ヒロヒトとアキヒトが「天皇による国民一体」を積極的に作り出す天皇として行動してきたこと、しかしそれが現在の時点で「天皇と国民の関係のなかの綻びの可能性」をみせていること、現在の安倍がすすめる政治は、「戦後的国民一体」を乗り越える志向性をも示しており、天皇自身そのことに不安を抱いているのかもしれないが、その場合の天皇の言動は結局のところ、「安倍の刺激的な政策を国民の心の中で中和させるように働く」だろうと伊藤はいう。

これに比べると、天野恵一の「象徴天皇制と『八月革命』─象徴天皇制デモクラシー・占領デモクラシーという問題」のほうは、そのタイトルにふさわしく、占領と象徴天皇制の成立という起源にさかのぼり、そこでつくられたロジックが、天皇制の戦争責任を隠ぺいし、「無責任のシステム」を構造化していったことを明らかにしたものである。いままさに私たちが8・15の行動として準備しているところの、戦争終結をめぐる「原爆神話」と「聖断神話」の背中合わせの関係についての指摘、宮沢俊義の「空中の論理」めいた議論から、それに対する違和の表明ともいえる大熊信行の「虚妄の戦後」論と、それを批判した丸山真男の議論のうちに、丸山自身の被爆体験をふまえた議論のやり取りがなされていれば……と仮定してみせるところなど、実に興味深い論点もあった。

この講座がおこなわれたのは、まさに安倍の戦争法案強行に対して、反対運動が広がりつつあった時期だった。いまそれを読みなおして見てあらためて思うのは、ここで指摘されている、戦後憲法秩序=戦後民主主義に関わる問題である。いうまでもなく、伊藤も天野も、それらを乱暴にまるごと否定したり肯定したりする立場にはない。もちろん、欽定憲法の改正手続きというかたちをとった憲法の成立過程は問題である。伊藤は、それを「日米合作による民衆の憲法創設行為の封じ込めの過程でもある」とし、憲法第一条が「国民が……全体としてまとまりを作る時には、自分たちが社会的共同の形を自主的につくり出すのではなく、国民という形を取ってしか自分たちを表現できないというあり方を選んだということ」すなわち、国民というまとまりを天皇によって象徴されるという「天皇による国民一体」こそが、戦後日本の「国体」であったと指摘する。だが、これは、伊藤がその著書『「国民の天皇」論の系譜』(社会評論社)などで強調する、民主主義あるいは共和主義の積極的な可能性を議論する際に、その前提として確認されるべきことの指摘だろう。天野はさらに、「戦後の人権をめぐる闘いあるいは平和をめぐる闘い。戦後憲法の宮沢的リベラリズムが積極的に押し出したプラスの部分、そのこととの関連の中で、民衆運動自体が蓄積していた力量。これに依拠する以外には、僕たちには積極的遺産はほとんどない。だからこそそれが象徴天皇制に組み込まれてあったという問題。このシステムをいかに分解させながら蓄積されてきた『平和と民主主義』エネルギーを解放しつかみなおしていくか」と課題を提起している。これは昨年の国会前において、あるいは今も毎日のように問われている問いにほかならない。

このパンフは、ほかに伊藤と天野の、関連論文(反天連ニュースほか運動メディアに掲載されたもの)も収録されている。天野も言うように、「戦後レジーム」は間違いなく「象徴天皇制レジーム」であった。われわれはこれを安倍とは異なる方向でどう超え、脱却していくのか。そのことを考える上でも手ごろなパンフレットである。

(ピープルズ・プラン研究所パンフレットvol.3/二〇一六年六月発行/四〇〇円)

(北野誉)

【今月のAlert】7.18,7.30,8.15と続く反天皇制行動へ! ─諦めず、ねばり強く、頑張るぞ!

私たちは第X期突入後、本紙一号もなんとか無事発行を迎えられ、少しホッとしている。

X期スタートのため議論は、初期反天連のそもそもの課題であった「Xデー」を再度迎えつつあるという認識から、過去と現在を行ったり来たりしながらのものとなった。その議論の成果については、本紙0号(先月号)の呼びかけに詰め込まれている。ぜひ参照されたい。その事前議論も踏まえ、七月二日、第X期スタートを期して討論集会を持った。パネリストは近現代史研究者の伊藤晃さん、立川自衛隊監視テント村の井上森さん、反天連の天野恵一。パネリスト間での議論、参加者をまじえた全体討論、それぞれが今後の活動に示唆となるものばかりであった。いわば第X期のためのウォーミングアップといったところで、議論は始まったばかりだが、どのような形であれ、今後も議論は続けていきたい。

とはいえ、日々私たちの眼前に深刻な事態として性急に迫ってくる出来事は、一般的には天皇制課題とは無関係であるとされ、いつ起こるかわからない「Xデー」とはそれこそ無縁のこととして起こっている。私たちはこれまでどおり、反戦・反基地、反原発、反差別、反弾圧、反安倍の運動の現場で、反天皇制の立ち位置から、できるだけ声を発し意思表示していくことで、自分たちの反天皇制運動を作り出していくしかない。

しかしそれにしても、第X期準備のためにニュース通常号を一号スキップしただけのこの二ヶ月で、言及しきれないほどの恐ろしくも深刻な問題が矢継ぎ早に起こり続けている。五月二〇日に判明した在沖縄元米兵によるレイプ・殺害・死体遺棄事件。五・二六─二七の伊勢・志摩サミットとその直前のサミットに抗議する人びとへの不当弾圧、G7各国首脳の伊勢神宮訪問(神宮側は「参拝」といっている)、そしてサミット終了後の二七日のオバマの広島訪問。五月三〇日、シリアで行方不明となった安田純平さんからの「最後通達」と読めるメッセージと明らかに彼を見捨てたと思える日本政府。七月一日には、バングラデシュで日本人七人を含む「外国人」殺害。日本が「テロ」の対象であることを知らしめる事件だった。これらはごく一部である。この状況の推移には正直目がまわる。

過去の侵略戦争・植民地支配に対する政治的・道義的責任を完全に終わらせること(果たすことではなく)を目指す安倍政権は、一方で新たな戦争国家の形を作り出す動きに加速しているが、目もくらむような現在の事態は、この安倍政権に行き着いてしまうような戦後日本の政治を、根底から見据えることができなかった運動側の長い歴史の結果でもあるのだ。そこにこそ、反天皇制の課題も繋がってくる。

一方で、五月三一日の根津公子さんの最高裁の画期的な判決があった。「君が代」不起立を通すことで、学校現場から日本国家を相手に闘い続けてきた根津さんの、粘り強く続けられた運動の成果だ(本紙「状況批評」参照)。それは、暗い諦念の気持に陥りそうな運動への大きな励ましと勇気を与えてくれる快挙であった。もちろん根津さんの勝利は、決して容易ではない「諦めない」活動の結果であることも忘れてはなるまい。そういう意味でも、根津さんに続け!という思いを多くの人が抱いたに違いない。

また、国会前にも相変わらずたくさんの人が集まっている。六月一九日の「怒りと悲しみの沖縄県民大会に呼応する『いのちと平和のための6・19行動』」では、駅から国会正門前を目指して歩く道中の人の少なさに気持は暗くなりかけていたが、正門前の憲政記念公園に足を踏み入れると、実にたくさんの人が国会と対峙していた。一万人が集まったという。諦めている場合ではない、という思いの人は実は少なくないのだと思いながら歩いた。七月四日、第八回口頭弁論を迎えたばかりの安倍靖国参拝違憲訴訟も元気に闘われている。どれも負けるわけにはいかないのだ。
明日は参院選、一週間後には都知事選。「選挙で社会を変えよう」というスローガンにはまったくリアリティを感じられないものの、このひどい状況で安倍政権に勝たせたくないという思いは強い。だから選挙には行く。そして、私たちの当面の課題は八・一五だ。実行委は七月三〇日、その前段集会を開催する。また、七月一八日には今年の海づくり大会開催地の仲間の呼びかけで、実行委も集会を持つこととした。そして八・一五デモだ。

多くの方の参加を呼びかけたい。ともに元気に声をあげよう!

(大子)

【表紙コラム】

わけあって伊勢神宮に行くことになってしまった。でもあにまるの端くれとしてはねぇ、言い訳でもしないことには……、ということで、「ななこのお伊勢さん体験記」。

まず周辺も含めて勉強のためにガイドブックを購入。いや、すごいのね。江戸時代からの一大テーマパーク。「正しい参拝の仕方」も書いてある。「入口の鳥居をくぐる前に会釈をし、手水舎の水で心身を清め、お賽銭を入れ、二礼二拍手一礼の作法で拝礼する」。「正しい」ってなにさ。

先日の伊勢志摩サミット、G7の面々は宇治橋で待ち合わせ。もちろん一般の人は入場禁止、「……安倍総理大臣は、神宮附属幼稚園の園児46名による歓迎を受け到着したG7各国首脳を宇治橋前で出迎えました。……安倍総理大臣及びG7各国首脳は、神宮の荘厳で凛とした空気を味わいつつ、正宮を訪れました」(外務省HPより)。

だけど、なにしろ平日でも老若男女がいっぱい。それらがけっこう長い砂利道をジャリジャリ、しかもおしゃべりしながら歩く。広い敷地のなかで樹齢の古い杉の木などが堂々としてるし、森の奥はひんやりいい感じなんだけど、ジャリジャリやかましい。私には彼らが感じたかもしれない「荘厳で凛とした空気を味わう」ことはできなかった。正宮ってのれんみたいな幕がかかった建物が目の前にたちはだかっていて、普通には見られないのね。みんなのれんに向かっておじぎしてる。正宮ってどこ? 20年で造りかえる建造物はちょっと見てみたかったのに。

外務省は政教分離に抵触しないように、公式発表を「参拝」ではなく「訪問」で統一するように指示を出したり、けっこう苦労したらしい。そうだろう。間違いなく宗教的な空間である。でも、それをあまり感じなかったということは、それを誤魔化すことにも成功してるっていうことかぁ?

(中村ななこ)