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【集会報告】安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う 4・28—29 連続行動報告

今年の四・二八〜二九連続行動は「安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う」というテーマで設定された。この間、反天皇制を課題とする実行委の行動は、一九五二年四月二八日のサンフランシスコ講和条約と日米安保条約の発効に始まる、沖縄に対する米軍支配の問題を、昭和天皇裕仁の戦争・戦後責任の問題と重ねて提起、二〇一〇年からは「反安保実行委員会」との共闘による連続行動として取り組まれている。今回の闘争は、とりわけ、昨年九月に強行され、今年三月末に「発効」させられたばかりの安倍戦争法下においてのものとして、重要な意味を持つものでもある。施行された戦争法の「集団的自衛権」により、沖縄は米軍と自衛隊の最前線としての存在を、これまでよりさらに厳しく強いられることになった。

四月二八日は、これまでも「沖縄デー」として数々の闘いが重ねられてきているが、この日、実行委は、文京区民センターにおいて屋内集会を開催した。沖縄から日本基督教団うるま伝道所牧師の西尾市郎さんをお招きして「沖縄『構造的差別』の歴史と現在」と題した講演をしていただいた。

現在、自民党は改憲の突破口として、東日本大震災や現在も続く熊本・大分の大震災を利用し、憲法に「緊急事態」条項を挿入しようとしている。これが実現すると、災害などをきっかけに憲法を停止した独裁がすぐに行使されるだろう。西尾さんは、この「緊急事態」法と辺野古における闘いが一つのものだというところから語り起こされた。
沖縄における反戦・反基地の闘いの基底には、沖縄戦における苛酷な経験が語り継がれ、共有されていることが存在する。「蛆が人間を食う音」「人間が腐っていく強烈な臭い」などのリアルな体験が沖縄戦の記憶としてあり、これらが「平和」を希求する意思をつくっているのだ。人の痛みに共感する人間性こそが、辺野古をはじめとする現在の沖縄における闘いの根本だ。だからこそ、私たちの闘いは分断され対立させられてはならない。こうした体験をもとに、平和をアジアとの連帯の中で実現していくことの重要性が、講演の中で何度も強調された。

引き続き、今回の実行委から天野恵一が発言。いま、昭和天皇の「沖縄メッセージ」による沖縄の米軍への売り渡しの事実や「尖閣」諸島など「領土」問題が、歴史修正主義者たちの主要な論点として浮上しており、なかでもR・D・エルドリッジによる歴史解釈の読み替え(「オキナワ論」新潮新書ほか)については、今後も批判的検討が重要になることが、集会資料の解説とともに報告された。

引き続き、会場発言として、一坪反戦地主会関東ブロックの大仲さん、辺野古への基地建設を許さない実行委員会の中村さん、ストップ辺野古埋め立てキャンペーンの芦沢さんから問題提起。さらに、明治公園野宿者への攻撃への反撃を訴えるアピールが反五輪の会よりなされて、集会は締めくくられた。この日はいろいろな行動と重なることもあってか、参加者は七五名だった。

明けた四月二九日には、新宿柏木公園からデモ行動が行われた。出発前の公園において、まず実行委の国富建治から、前日の集会を要約する報告とともに「この『昭和の日』は、天皇制の延命のために敗戦を遅らせ、悲惨な沖縄戦を招いたばかりか、戦後における『構造的沖縄差別』の成立に対しても大きな役割を果たした昭和天皇を賛美する日だ」と提起、さらに前日に引き続いて西尾さんからも発言を受けた。参加者からは、「自由と生存のメーデー」実行委、「伊勢志摩サミットに反対する実行委」による新宿デモの提起、G7茨城・つくばサミット反対を取り組む戦時下の現在を考える講座、「三多摩メーデー」への参加を呼びかける同実行委からのアピールがなされ、デモに出発した。

今回のデモに臨んでは、二月一一日のような不当な規制がなされないように強く申し入れをしていたこともあってか、警察による弾圧は、これまでのなかでは比較的小さいものだった。もちろん、右翼はつきまとい、妨害・暴行をねらう挑発を繰り返したが、私たちは毅然として行動を貫徹することができた。解散地の柏木公園においては、明治公園弾圧の救援会からのアピールを受け、この日の成果が確認されて行動を終えた。参加者は約九〇名だった。

(のむらとも)

*共同行動報告集(2016年6月10日発行)より

【学習会報告】天野恵一「マスコミじかけの天皇制」(インパクト出版会、一九九〇年)

今回のテキストに収められた諸論文は、反天皇制運動連絡会の活動の中でも、とんでもなく慌しかった「Xデー」前後の二年間、八八年の初めから八九年末にかけて書かれたものばかりである。八七年の裕仁の沖縄訪問予定が流れ、政府と宮内庁の情報隠蔽の陰からも、裕仁の重病を明らかにうかがわせる情報が伝わり、「Xデー状況」が政治の前面に躍ることになった時期だ。

この時期、天野は反天連第一期のニュースと日本基督教団の靖国・天皇制情報センター通信に、合わせてほぼ月に三回の連載を書き、インパクション・新地平・クライシスなどの雑誌にも天皇制に関する原稿を多数書いている。この本は、それらを集めたものであり、したがってこの時期の天皇制に関するクロニクルという性格のものとなっていることで、唯一無二のものといえるだろう。

書かれているテーマを拾うだけでも、一つひとつが再考に値する、現在もなおアクチュアルなものだ。たぶん著者も含めて忘れかけているだろうこれらを、あらためて記憶喚起しておくことは、近い将来に訪れるはずの明仁「平成」のXデーについて考えるためにも重要だ。

裕仁の重体が顕わになって国家とメディアによって演出された「自粛」を、天野は全社会的な「天皇儀礼」として掴みだす。この天皇儀礼は、「非政治」的な政治の貫徹であり、「非宗教」的な宗教行為として、国家神道を否定し政教分離を実現したはずの戦後国家を席巻したのだ。そして裕仁の死後、即位・大嘗祭といった天皇制の儀式が、日本国憲法のもとで、当然のように国家儀礼、政治行為として解釈され、その根拠も疑わしいものが詐術により麗々しく権威づけされて登場したのである。さらに、明仁による「護憲」発言はいまなお価値づけされ、決して天皇主義者ではないはずの知識人たちの足元を危ういものとしている。その具体的な形相を、この時期の歴史事実や人々の発言とともに、捉えかえしておかなければならない。いまの私たちの「民主主義」についてのスタンスも、この時期に、天野を含む各地の反天皇制の活動家たちとともに組み立てられたものだ。

この本をン十年ぶりに再読するとき、かなり危うく古い内容になっていないかと心配でもあった。読み直してみて、(留保はあるが)内容面ではそんなことはない、と言っていいと思う。これは収穫だった。

次回テキストは菅孝行編著『Xデーがやってくる!』(柘植書房)。六月二八日七時から。

(蝙蝠)

【設立目標】【運営の申し合わせ】

【設立目標】
① 予想される明仁天皇「Xデー」および「Xデー」状況との闘いを準備する。
② 「全国戦没者追悼式」や「震災追悼式」をはじめとする、マス・メディアに支えられた国家による追悼儀礼、天皇出席の国体・植樹祭・海づくり大会などの天皇儀礼、「皇室外交」や「昭和」の賛美などと持続的に対決する大衆的な反天皇制運動をつくる。
③ 「天皇元首化」や「日の丸・君が代」を明記し、立憲主義を否定する国家主義的な改憲策動と対決する。
④ 原発推進、「日米同盟」の強化、「恒常的派兵」国家化などに向かう日本政府の動きと対決し、各地の反原発・反安保・反基地運動と「連帯」しうる反天皇制運動をつくる。
⑤ 天皇制国家の植民地支配責任、戦争・戦後責任、「領土ナショナリズム」や差別・排外主義を撃つ闘い、治安弾圧、「日の丸・君が代」強制、オリンピックをはじめとする排除と統合のナショナルイベント、天皇制の安定継承のための皇室典範「改正」、教育の国家による統制などに抗する運動などとの豊かなネットワークづくりと、他のテーマの運動との有機的連携を作りだす運動のメディアの強化。
⑥ 80年代からの反天皇制運動の歴史的な体験を思想的に対象化する作業の持続。

【運営の申し合わせ】
① 基本方針は、定例(週1回が原則)の事務局会議で決め、会員全体に提起する。事務局会議は月1回は拡大事務局会議(会員に開かれた会議)とする。
② 事務局メンバーの推薦と本人の自発的意志があれば、誰でも事務局員あるいは「事務局協力者」(コンスタントに事務局会議には出られなくても「協力」の意志のあるメンバー)になれる。ただし、政治党派のメンバーは遠慮していただく。
③ 会員とは、主旨に賛同し、会費を納めた者である。「ニュース購読会員」(年間4000円)とより積極的な「協力会員」(年間7000円)の二種類がある。
④ ニュースは原則として月1回発行で、購読料は年間4000円とする。
⑤ 会は、大衆運動の原則にしたがって運営する。
⑥ 期間はとりあえず3年間とする。

【呼びかけ】反天皇制運動連絡会 第Ⅹ期への呼びかけ(二〇一六年六月)

第Ⅱ期以降、三年ごとにいったん解散・再結成という区切りを設けながら、Ⅸ期まで活動を重ねてきた私たち反天連は、いま第Ⅹ期にむけてスタートしようとしている。反天連は、ヒロヒト「Xデー」状況との闘い、大衆的政治闘争としての反天皇制運動を目ざして、一九八四年に結成された。当時、中曽根首相が打ち出した「戦後政治の総決算」というスローガンや、「不沈空母発言」「靖国公式参拝」などに象徴されるような日米同盟の強化、新自由主義的・新国家主義的な政治志向のもとで、民衆統合支配の装置としての天皇制の「浮上」が、運動圏においても強く意識され始めていた。その後の反天皇制運動は、私たちもその一翼を担いつつ、八九年のヒロヒト「Xデー」と新天皇の「即位・大嘗祭」反対運動の全国化・大衆化として、大きな広がりを作り出していった。

それからすでに三〇年以上もの時間が過ぎた。非自民連立政権の成立や右派勢力の巻き返し、政権交代などのジグザグを経て、いまや、解釈改憲によって集団的自衛権行使を解禁し、違憲の安保法制を強行可決し、緊急事態条項をひとつの突破口として明文改憲をすすめようとする安倍政権によって、八〇年代以来の政治方向が完成させられようとしている。

これにたいして、現在、国会前やさまざまな場所で、安倍政権の強権政治に対する人びとの声、立憲主義の蹂躙を許さない運動の大きなうねりが続いている。しかし、そこに「反天皇制」ということばが占める余地は、ほとんど無に等しいかのようだ。そこには、私たち自身の主体的力量といった問題以上に、「Xデー」以後の天皇制、すなわち「アキヒト・ミチコ天皇制」というものの性格が反映しているといわなければならないだろう。

戦後天皇制は、一貫して非政治的、平和主義的なものであるというイメージでとらえられてきた。それは、天皇の「人格賛美」を日々繰り返すマスコミによって支えられ、総じて現実政治に関わらない、戦後民主主義体制に適合的な支配のシステムとして合意されてきた。とりわけアキヒト・ミチコは、ヒロヒト時代に十分果しえなかった「開かれた皇室」、戦争責任からクリーンであり、「皇室外交」にも積極的な「国際化時代の天皇制」として登場し、さらには海外を含めた戦争被害者の「慰霊」、原発事故や自然災害の被災地を精力的に回ることによって、「祈り」と「癒し」の担い手としての顔をも前面に出していった。「宗教的」とさえいえる「無私の祈り」に励んで見せることが、人びとの間に、天皇の権威を再組織していることを無視することはできない。そういった意味において、私たちは、アキヒト・ミチコ天皇制は、象徴天皇制に期待される役割を果すことにかなり成功しており、その「国民統合」のあり方は「象徴天皇制の完成形態」であるとさえ考えている。

そのことは、現在、安倍政権に批判的な人びとの中から、アキヒト・ミチコを「リベラル」であり平和憲法秩序を大切にしていると評価し、それと比較して安倍を批判するというロジックが繰り返し登場していることにも現われているだろう。天皇主義者である安倍を、実は天皇も批判していると言いたいのかもしれないが、それは政治的に演出された天皇の「無垢性」に依拠しつつ、その権威を前提とする議論でしかない。

私たちはまず第一に、国家の政治的なシステムとして天皇制を考える。

三年前、第Ⅸ期の開始にあたって私たちは、「国家の機構でありながら、それとは独立して超然と存在しているかのようにふるまう象徴天皇制は、そのふるまいにおいて、文化的・平和的な場面における民衆統合の装置であり続けるだろう。……それゆえに私たちは、運動の中においてさえ繰り返し登場する『リベラルな天皇への期待』なるものをも批判していかなければならない。そしてそれは、多くは八・一五、さらには三・一一などに象徴される『追悼の政治』の場面において発動される天皇制の批判ともなるだろう」。そして、第二次安倍政権の登場が「右翼的・神権主義的な天皇制の強化に繋がると考えるべきではない」と主張した(「第Ⅸ期への呼びかけ」二〇一三年三月)。
それより以前、民主党政権の時代にも私たちは、むしろ「ソフト・イメージの〈アキヒト─ミチコ〉天皇制は……民主党政権の方にマッチしている。こちらの方こそ、私たち反天皇制運動の正面の敵ともいえよう」とも主張していた(「第Ⅷ期への呼びかけ」二〇〇九年一二月)。戦後象徴天皇制は、アメリカの占領体制のもとに、サンフランシスコ体制=日米安保体制を軸として作りだされた戦後日本の構造の一部にほかならない。「国民統合の象徴」として戦後憲法に制度化された象徴天皇制にとって、戦後憲法体制に適合的な民主党政治のほうが、天皇制のあり方をも含めて変えていこうとしている自民党の改憲政治よりも、当然にも戦後憲法下の天皇像を積極的に演じてきたアキヒト・ミチコにとって「意に沿う」ものであっただろうという判断もあった。民主党の凋落と自民党の再登場によって、天皇制の権威化が予想されるが、本質的には政権政党の「政治利用の対象」としての天皇という役割は変わらないであろう。「天皇元首化」を掲げた自民党の改憲草案においても、天皇は依然として「象徴」であるように、けっして「統治権の総覧者」としての天皇制の復活を志向するものではありえない。

象徴天皇の役割は、さまざまな国家的儀礼において「国民統合の象徴」という役割を担うことであり、国家の行為を権威づけ正統化し、「国民」の幻想的共同性を担保することである。天皇家や皇族の人間に対する無条件の絶対敬語と人格賛美は、そのまま統合された国民によって成り立つ国家の無条件の賛美にほかならない。それはまた、皇室の「私事」とされる「皇室祭祀」の祭主であることとも連動して、日本の文化・伝統の体現者ともみなされることになる。

私たちは、第Ⅹ期を、「次」の「Xデー」状況の開始を見すえつつ、このようなアキヒト・ミチコ天皇制の現段階をこちら側から「総括」し、国家・社会の再編にともなう天皇制の再編=再定義の方向性をとらえ、その中から、天皇制の生み出す「現実」に対する批判と行動を持続していきたいと考える。

私たちがなすべきことは、天皇制廃絶を一般的にスローガンとして語ることではありえないし、「国民運動」における天皇批判の不在を嘆くことでもない。私たちの運動は、「慰霊」や「皇室外交」における戦争責任・植民地責任の隠ぺい、天皇の移動などにともなって常に起こる人権侵害や治安弾圧、「日の丸・君が代」強制、世襲の特権的身分制度にともなう差別、靖国問題や国家の宗教性、ナショナリズムと排外主義の問題など、天皇制に関わって具体的に日々起きている事象との具体的な対決をおいてほかにない。それらは、反「Xデー」闘争以来の闘いを通じて、私たちも含めた反天皇制運動がつかみ取った「運動としての民主主義」に関わる課題であり、したがってそれは、さまざまな運動とのつながりと相互の協力関係なしにはなしえない。

一人でも多くの方の参加、協力、支援をお願いします。

(反天連事務局)

【表紙コラム】

とうとう、Ⅹ期をスタートさせる時間に入ってしまった。平成天皇制のXデー状況とXデーと闘う。これがこの期の軸である。「反天連」は昭和天皇Xデー及びXデー状況に抗するという運動課題をかかげて結成された運動体である。30年以上の運動の持続があり、まさか天皇Xデー闘争を、もう一回体験するなどということはまったくの想定外であった(特にこんな病体のままで)。

この間、私たちの「読書会」のテキストに、私の『マスコミじかけの天皇制』(1990年・インパクト出版会)が使われた。それは新聞・週刊誌・TV・雑誌に洪水のごとくあふれた「皇室情報」の中を私自身が独力で泳ぎきった記録である。読みなおして気がついた。

私たちは「代替わり」のスタートの時点で、平成天皇制(アキヒトーミチコ天皇制)は、ずいぶん遅れてやってきた象徴天皇制の、かなりスマートな(平和憲法にマッチしたという意味での)完成形態であることに、それなりに自覚的であった。

いいかえれば、今、天皇主義右翼安倍政権に抗する様々なテーマの政治的社会運動の中に、アベの暴走に不快感を表明しているアキヒト天皇一族の「護憲=平和発言」への期待を口にする人が少なくないという、とんでもなく倒錯した事態がうまれる必然性。これを、いち早く予感しながら、反天皇制運動を持続してきたのである。〈護憲・平和イデオロギー〉こそが象徴天皇制のナショナリズム(国民的一体感づくり)の中心軸なのだ。「即位」の時点の「護憲」発言に、期待をにじませた、戦後民主主義派知識人の登場と、それとの論戦。この記録に、その点は象徴されていよう。そう、私たちは〈象徴天皇制デモクラシー〉の内在的批判を課題として突きだし、個人の自己決定権を奪還する相互主体的な活動としての〈民主主義〉を〈象徴天皇制デモクラシー〉に対置して闘い続けてきたのだ。そして、戦後憲法との関係でいえば、国家(天皇)のごとく戦争(軍隊)を前提にする「平和」などではなく、9条の理念通りの〈絶対平和主義〉理念の積極性を、この点はまともな9条護憲派より、ずいぶん遅れて発見し、右翼の公然たる暴力の日常化の中で〈非暴力直接行動〉をしゃにむにつみあげてきたのである。中心にかかげ続けた政治テーマは〈天皇制の植民地支配・戦争責任・戦後責任を問い続ける〉であった。この長い長い自分たちの象徴天皇制批判の、〈運動体験〉を、次のXデー状況に抗する運動の中で、あらためてはじめてXデーを経験する世代とともに、どう〈思想化=運動化〉するか。これに自覚的であり続けたい。

(天野恵一)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 0号(2016年6月 通巻382号)

第Ⅹ期反天皇制運動連絡会への呼びかけ
設立目標・運営の申し合わせ
野次馬日誌
集会の真相 ◉  5・27 講演会「心は支配されたくない」報告
学習会報告 ◉ 天野恵一「マスコミじかけの天皇制」(インパクト出版会、一九九〇年)
反天日誌
集会情報

 

*2016年6月7日発行/B5判8ページ/一部50円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/