反『昭和の日』プロジェクト
Anti Showa Day Project
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プロジェクトについて

2005年5月13日 金曜日、日本はまたひとつ、道をふみはずしてしまった。4・29を「昭和の日」とする改正祝日法が成立してしまったのである。
戦後60年の今年、本来であるならば昭和天皇の戦争責任について再考すべきであるのに、こともあろうにアジア侵略の象徴、昭和天皇を今なぜ亡霊のごとく復活させるのであろうか。小泉政権になってから顕著に見られる日本の右傾化を危惧するひとりとして「昭和の日」なるもののに断固反対する。

天皇制閉止しろ!!!

昭和の日が成立したようですね。残念でなりません。
昭和の時代は光と影があります。アジア諸国には影の部分が60年たった今でも強く残っています。
小泉首相は一体どれほどアジア諸国の人々の気持ちを逆撫ですれば気が済むのでしょうか。まだまだ中国、韓国、北朝鮮の人々の気持ちを無視続けるつもりなのでしょうか?
イラクの人質事件に関して政府の情報収集がまったくできていないことにしろ、日本政府の外交力の無さには幻滅するばかりです。
今更といわれても、私は昭和の日には断固反対です。

「みどりの日」を「昭和の日」に、今変更することには、反対します。天皇制に関しては、日本文化の一部だと思っていますので、反対しません。むしろ私自身は賛成論者だと思います。変更する主旨「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」に関して、私は納得感があります。日本文化の悪い習慣だと思いますが、褒められうべきこと、誇れることは、それはそれとして存在して良いと思います。戦後の復興を支えた人々への感謝や、現在の発展を誇る意味でも、変更の意義自体は素晴らしいものだと受け止めます。が、「戦争責任」という意味では、このタイミングで議会を通過する日本国民の危機感のなさを恥ずかしく思います。国会議員とは言いません、国会議員は国民の代表者なのですから、彼らのモラルの低さや職責に対する意識の低さは、一重に国民の責任です。国民一人一人が責任転嫁をしている結果が、現在の日本社会だと思います。と、主題に戻し、「戦争責任」とよく耳にしますが、どうしたら「責任」がとれるのでしょうか?謝罪・賠償、それを「責任」をとるというのでしょうか?もうここまで対応が遅れた今、優先順位は高いと思いますが、拙速に結論を出すことではないと思います。まずは、事実の把握(誰が、誰に、何をしたのか?)、「戦争責任」とは何なのか?を、国民全体に問いかけ、答えを出すことが必要なのだと思います。前例(ドイツにおける「戦争責任」)に追従、模倣して満足することなく、日本国のやり方を見出すべきなのだと思います。

彼女の誕生日がみどりの日で、昭和天皇の誕生日と天皇が愛したみどりを彼女もとても誇りに思い、大切にしています。同様に、四月二十九日に誕生日の方も多いと思います。四月二十九日はみどりの日以外の何者でもありません!いくら昭和生まれとはいえ、昭和の日でお祝いなんて出来ません。たとえ、昭和の日に変わろうと、僕たちにとってはみどりの日でしかありません。

 二週間程南米を旅行した帰り、ロサンゼルスからソウルに向かう飛行機の中でその日録画された韓国のテレビニュースが流れた。スクリーンには扶桑社版の歴史教科書の表紙や安倍晋三、石原慎太郎等の姿が映し出され、これはまた何か起きたのか、と韓国語を全く理解しない僕はやや不安な気持ちで仁川空港に降り立った。
 街を散歩している時、僕が日本人だと分かると、英語の話せる人が「独島=竹島をどう思うか?」と聞いてきた。その日だけでも3人の人から同様の質問を受けた。
 夜、ホテルの部屋のテレビでも背景に例の教科書が大写しにされ、韓国の識者による討論会が行われていた。翌日、韓国の友人から説明を受け、やっと事情が飲み込めた。領土問題というのは古来ナショナリズムの温床となる危険なテーマであり、軽率な事は言えないが、もし日本側が主張するように1905年の第二次日韓協約成立の頃に「正式に」竹島が日本の領土に組み込まれたのだとすると、日本の主張がかなり危うい。というのも、当時の韓国皇帝や大臣の多くはこの協約に反対で、交渉に当たった全権大使の伊藤博文は王宮を駐屯日本軍で包囲し、「戦争をも辞せず」と恫喝。直接朝鮮政府の閣議の席にのりこみ、これに反対した大臣に対しては暴力までふるわれたからだ。ここでもまた日本人の「歴史認識」が問われている。

松永義明(佐賀・烏栖市)

 これまで「みどりの日」であった昭和天皇の誕生日の4月29日を「昭和の日」に変えるという。政府は昭和天皇の遺徳偲び、追悼しようという目的をもっているらしいが、昭和の時代は日本の侵略戦争を行い近隣諸国に多大な不幸をもたらした時代でもある。どう日本人が主観的に解釈しようと昭和天皇はその最高の地位にあったのであり、世界の常識から言えば完全無罪というわけにはいかない。日本の侵略を受けた国々はずっとこの間日本の動きを見守って来ている。日本の加害者的側面を詳しく記述した家永三郎氏の教科書は不合格にしておいて、戦争を肯定する扶桑社の歴史教科書はパスするというのではアジアの人々は不信感を持つ。
 数年前、鹿児島県議会は県内の高校生が修学旅行で南京虐殺記念館を訪問することを禁止する決議を行った。また、小泉氏は再三の中国、韓国政府の反対にもかかわらず、靖国神社参拝を強行している。政府の重要な地位にある人が「創氏改名は朝鮮人が望んだこと」という発言をした事もあった。よく日本政府は「村山談話」を引き合いに出すが、それはこのような事実を前にすれば、何の説得力も与えない。日本の国連の常任理事国入りには韓国も中国も賛成していない。何故なのか?日本は近隣諸国の信頼を勝ち得る努力を行動で示さなければならない。私はそれゆえに、「昭和の日」制定に反対である。

最近TVを観た友人から4月29日が「昭和の日」になるらしいとのメールが入りました。
僕の誕生日は生まれた当時は昭和天皇の誕生日、物心ついたときからはずっと「みどりの日」でした。
「みどりの日」の意味なんて考えた事もないですが、昭和天皇の戦時中の苦悩をTVなどで見て、「平和とかを考えて昭和天皇の誕生日を祝日にしたんだろうなぁ…」を勝手に思っていました。
なのに、「昭和の日」ってなんなんでしょう?
その日に生まれた人が途中からそういった感じでころころと名前を変えられる気持ちとかもあることわかって欲しいです。
このHPの意見(昭和の日というと戦争開始から終わりまで全てが含まれる)ってもっともだと思います。
今中国があれほどまでに日本に抗議している中で可決する価値があるのでしょうか?
頑張ってこの法案を阻止できるといいです。

ふと思うのですが、1年か2年かけて、「反・昭和の日」署名とか集めてみたら どうでしょう? 「反・右翼」活動として、わりとシンボリックな運動になると思うのですが。

なんとかアジア、特に近隣諸国との緊密な関係をさらに政治的にも修復、発展させなければならない、と日々思いを募らせているときに、なんという(元皇国少年政治家たちによる)さらなる暴挙に失望しています。この運動を特に中国、韓国の真摯に健康な関係を築こうとしている人々とリンク(連帯)していけたら、と願っています。

危機的状況ではありますが、共に闘ってまいりましょう。

アジア侵略の戦争責任をとらないまま、今また天皇の亡霊が歩き出そうとしているのでしょうか。 「昭和の日」への名称変更をうたう「祝日法」に反対し、早急に隣人たちへの誠実な謝罪を求めます。

現憲法で天皇制の廃止を強く訴えます。 諸悪の根源です。 彼等は国を守るといっても人間ではないのです。 戦争に行かない人の、幻想を守るのです。

なぜ、4月29日を昭和の日に改める必要があるのか、理解できません。 それならば、明治の日や大正の日があってもおかしくないような気がしますし、昭和という時代だけを特別に祝日として祝おうという考えが理解できません。

「昭和の日」制定に反対しプロジェクトに賛同します。

※以下のメッセージは2003年度のものです。

「昭和の日」粉砕! 4.29を「平日」に!

いま「環境」というカテゴリーを使った、ヒロヒトのイメージアップが図られています。世論の右傾化が進む中でこういった歴史の塗り替えは、まさに危険な全体主義へと進んでいくものです。
ともに天皇の戦争責任を追及し、天皇制を解体していきましょう!

戦争犯罪人「ヒロヒト」を一体どのように記念するのでしょうか。絶対反対です。

「昭和」時代に「天皇誕生日」だったものをかってに「昭和天皇は緑を愛されたから」と言う理由で「みどりの日」にし、今また「昭和(天皇)を顧みる」という理由で「昭和の日」に変えようとは、何たること。
「昭和を顧みる」ならば「天皇の戦争責任」こそまずなされるべきであって、4月29日は「昭和天皇の戦争責任と天皇制の問題を考える国民の祝日」にまずしましょうや。

「昭和」は植民地支配と侵略戦争の時代の象徴であり、特に在日朝鮮人にとっては、戦後も同化差別政策を延命させ植民地支配と侵略戦争の責任を不問に付した時代として受け止めている。「昭和の日」の制定は再度日本が軍事国家になるための環境作りの一つと捉える。「国民」の休日−「祝日」とすることにも反対する。

戦争社会にノー! の声をあげるものとして、「昭和の日」制定に反対します。ますます大政翼賛会化している国会に抗して、わたしたちは声を挙げ続けていくしかないでしょう。断固、ノーの声を。

趣旨に賛同いたします。
アジアの2000万の人々を虐殺し、今もなお生き延びている戦争被害者の方々にも、言いようのない深い傷を与えた元凶―昭和天皇を讃えるわけにはいきません。
また、中小零細あるいはサービス業で働くもの、そして失業者にとって、「祝日」なるものはあってもなくても同じです。低賃金で、体と心を休める余裕さえない労働者で、この社会はあふれている!「祝日」に休める人間なんて本当は少ないんじゃないのか!
私たち自身を再び恥知らずの「戦争国家の国民」に仕立て上げようとする攻撃に他ならない「昭和の日」に、私も反対します。

昭和天皇を賛美することは、東アジアの全土を巻き込み、想像を絶する多くの死者を出したあの戦争を、そしてその上に築かれた「モノ言わぬ」日本社会、差別社会を賛美することです。私は拒否します。それに、これまでの「みどりの日」って一体何だったのさ!!

王様関連の休日がすでに多すぎる。死んだ王様の誕生日を祝ったりするのは絶対反対。誕生日を祝うのは、子どもの成長を喜ぶ親たちの個人的なものでしょう。個人崇拝は拒否したい。

そもそも、天皇の誕生日を祝う気は自分には無いので、大元の趣旨がそうである。4月29日は平日に戻して欲しいです。

とりくみがおそすぎた。衆議院を通ったこともマスコミで報道されていなかった(いた?)

「昭和の日」制定は絶対反対。天皇制ももうやめたらいいと思う。

「週刊金曜日」no476を読みました。天皇裕仁の戦争・戦後責任は免れません。とくに沖縄県民としては、「鉄の暴風」にさらされた沖縄戦と戦後のアメリカによる軍事的植民地的支配の痛苦な体験、今に続く米軍と基地の被害を思えば「昭和天皇の誕生日」を国民の祝日として祝うことはできません。
日本の民主化を阻む根源は天皇制にあると考えます。「象徴」天皇を第一章に掲げた日本国憲法が公布・施行されたとき、沖縄(県民)は米軍の全面占領下にあり、沖縄(県民)は「日本国および日本国民」から除外されていました。沖縄(県民)は天皇裕仁が「象徴」としてその地位に留まることに同意したことはありません。昭和天皇は「朕は汝臣民とともにあり」といいながら、在位中一度も沖縄を訪れることはなかったのです。

「昭和」は小生の父の青春をまっくろにした“名”です。

天皇の在位に連動させる元号なんてたかだか明治以降のものだし、信教の自由、個人の内面の自由を蝕む悪弊に他ならない。だから、とっとと廃絶すべきだと思うのだが、それは横に置くとしても、「昭和の日」とは! 何と想像力を刺激する呼び名であることか! 侵略・虐殺・性奴隷化・数多の臣民の犬死に、その他もろもろの惨劇の最高責任者であるにもかかわらず、まんまと免責されて、天寿を全うした昭和天皇。その名を冠する祝日を作ろうとは、ひょっとすると、厚顔無恥だが幸運だった元・国家元首にあやかりたい者どもが、「昭和の日」を経過すると過去1年間のあらゆる国家犯罪は免責される、なんていう、これまた厚顔無恥にして恐ろしい法律を一緒に成立させる魂胆なのかも、などと背筋も凍る想像が湧き出してしまう。
きゃ?! 真夏の怪談みたいっ! どうせなら、「詐称神の日」「偽神の日」なんてのが、むしろふさわしい気がする。国家と宗教が結びついた結果招いてしまった悲惨で無惨な現実に思いを馳せる教訓の日とすべく。「せいだん」だって、あまりにも遅すぎたわけだし。

みどりの日を残したい。外交から云っても、三軍の統率者としての天皇を今さら顕彰する云々より、このままそっとしておいた方がよい。私個人としては、戦争を早く止めてほしかった。原爆でやむなく止めたにしては損害が多すぎた。

日本の歴史に永遠の悔いを残す日の制定には絶対反対です。

「激動の日々」をもたらしたのはだれなのか。だれをふみだいにして「復興」を遂げたのか。そんな「昭和の時代を顧み」、どんな「国の将来に思いをいたす」のか。もう将来の日本は「そこまで来ている」ではありませんか。

「昭和の日」に対し反対します。

大事なことは国民投票をするべきと考えます。

明治天皇誕生日を「明治節」と定めたのは1927年。「昭和」の開始と同時でした。そのあとの侵略戦争による内外の被害の大きさを思うと、何としても「昭和の日」は阻止せねば、と思います。

この意見に共鳴する人がますます減って行きそうですが、言うことは言わなければ!

歴史から学びたい。そして闘いのない未来。戦うことなく生存できる程度の未来を構築する努力をしたい。天皇制の問題、軍事力の問題……。必要としない社会になる為にももっと真摯に歴史から学びたい。

「昭和天皇」の戦争犯罪を弾劾する「昭和の日」なら制定賛成ですが、事実は全く反対で、開いた口がふさがりません。いまこの国には「戦前回帰」をねらうファシズムがあの手この手を使って力を伸ばそうとしています(「新しい歴史教科書をつくる会」もその1つです)。
「昭和の日」制定をねらう陰謀も同じ線上のできごとで、絶対反対しなければなりません。

どうしてあの戦争と苦難のつづいた昭和を記念する必要があるのか。日本の侵略戦争の時代をどうして祝う必要があるのか!

俗諺に曰く、バカは死ななきゃ癒らない、と。20世紀のバカ体制「天皇制」は、戦争の失敗によってもう少しで死ぬところを救われました。従って、バカは癒りませんでした。おかげで、19世紀的「大日本帝国」は一旦死んだものの。根治されたとは見かけだけで、死に損なった「バカ病」という癌細胞によって、再び大日本帝国というバカ帝国に蝕まれつつあります。土台、主治医だったアメリカから先に重症の「新型バカ病」にかかっているようですから、これは並大抵のことでは癒りますまい。狂牛病、インフルエンザ、新型肺炎のように、今のバカフルエンザも、まず発生源のブッシュ帝国がつぶれてしまわなければなりません。地球上の良心的な人たちの結束と、病気への自覚と予防意識とが、どれだけ早く、どれだけ高揚するか。地球資源の枯渇と共に、21世紀の大問題と無関係ではないと思います。

敗戦時、日本人が天皇と天皇制についてしっかり考え(占領下でむずかしかったにせよ)その責任を追及し、天皇制が廃止されていれば、今のような日本ではなかったはずです。その天皇の誕生日を祝日とすることはぜったい賛成出来ません。

4月29日を祝日として残すことには反対でしたが、「みどりの日」という名称の祝日になって、少しは平和的なイメージがあるので、まあいいか、と思っていました。しかし、この日を「昭和の日」と変更することには賛成できません。
あの無謀かつ悲劇的な戦争をも「昭和の日」という名のもとに美化しよう、という思惑がありありではないですか。「昭和を反省し悔い改める日」にすべきです!

天皇の戦争責任をごまかし、天皇制を美化する「昭和の日」制定に反対します。

「昭和」という天皇の生死によって歴史を分断する歴史観にも、その「昭和」と呼称される時期がアジア太平洋戦争前・後を通して一貫して差別的・侵略的・抑圧的であることにも、憤りを感じます。許せません。
この「昭和の日」制定は歴史の改竄・修正であり、断固反対します。貴プロジェクトの署名の趣旨に大いに賛同します。

昨年来、マスコミが北朝鮮バッシングを続けています。しかしその同じマスコミが、口を極めて北の「将軍様」を罵倒した直後、その舌先の乾かぬうちに年端もいかぬ自国の皇族の幼児にたいして「様」付け呼称を反復している体たらくを見るにつけ、「おもしろうて、やがて悲しき」気分に陥るのは私だけでしょうか。なんとも野蛮な国に住んでいるものだと実感する今日この頃です。
思うに、日本国の政府、マスコミおよび日本人に、北の「王朝」体制の犯罪を批判する権利など微塵もありません、もし彼らが天皇制を支持し、戦前の天皇制ファシズム、および戦後の「象徴天皇制」が犯した同民族および他民族の人民にたいする国家犯罪の法的責任を否定し、個人賠償を拒否しつづけるのであれば。そして北の「王朝」体制を「王朝」であるゆえに憫笑することも出来ないはずです、なぜなら、日本国にも天皇家という正真正銘の「王朝」による支配が、千数百年以上、紆余曲折を経つつ存続しているのですから。最近の現象を見る限り、あいかわらず日本人民はあわれな天皇制の奴隷だということを実感します。奴隷の本性とは、みずからが奴隷であることを自覚していないことに存します。ダブル・スタンダードを容認する心性は弱者のそれですから。
なお、かくもえらそげな大口をたたくお前も日本人だろうが、と批判を受けそうですが、幸いなことに、私は「在日非国民3世」です。嘘でもハッタリでもありません。父方の親族数名が、1929年の「4・16事件」の件で逮捕されて以来、我が家は天皇制ファシズム体制から「非国民」の称号を賜っているのですから。

元号の中で「昭和」だけを記念日とすることの持つ意味は大きい。昭和の日に断固反対します!

戦争責任云々以前に、特定の故人を奉祝する日を国民の祝日と定めることは、日本国憲法第14条で栄典の授与を一代限りとした精神に反します。また、その人が嫌いの人にとっては、この祝日を過ごすことは内心の自由を奪われたと感じるかも知れません。私はそんな日を祝いたくありません。私は昭和の日を認めません。

最近の重要法案は小泉式であっという間に何の議論もなされずに、着々となぜか戦争に向かって歩むものを国民に目隠しされた状態で成立していきます。教育基本法も危ない、憲法も危ない。何故、天皇の問題とこう絡まっていくのでしょうか。天皇を絶対者とみなす歴史的な誤りに日本国民は先の戦争で懲りたのではないのでしょうか。為政者だけが得をする天皇かつぎ。皆、個性は違っても一人の人間としては同等の重さの命を持っているということを基本に考えていきたいと思います。
天皇の問題に関しては、お好きな人は、天皇制を出来れば、民間で支えるようなシステムにしても良いかも・・・なんて思っています。天皇民営化っていうのは、どうでしょう。「昭和の日」なんてのは、国民的祝日としては、全く無駄であると考えます。

「昭和の日」なんかつくらなくてもだいじょうぶだよ、ヒロヒトのやったことは忘れないよ!

なんか悪い冗談としか思えません。他のも大正の日とか明治の日とかにするんですか。

小泉がおしすすめている日米同盟強化路線と「昭和の日」とはワンセットですね。従属と疑似ナショナリズム。日本を米国に売った元凶が昭和天皇だったことを忘れずにいましょう。

戦争無反省の旗をかかげるような日をつくりながら、北朝鮮との関係改善も何もあったものではないと思います。

「昭和」は私たちの祖父?父たちの世代を侵略戦争に動員した時代であり、またその責任に頬かぶりして、無恥?無責任な戦後の大国化をもたらした恥辱の時代だ。「歴史」「神話」の偽造を企む動きに、繰り返し巻き返し反対していくことが必要だ。

天皇制に関連しながらも「建国記念の日」「海の日」などと一般的にカモフラージュせざるを得なかった「祝日」が、今や堂々と天皇を全面に掲げるようになってきました。今これを許すことは、紀元節等々の復活に道筋を付けてしまうことになります。
今からでも遅くないので、はっきりと反対の声を上げましょう。

日の丸・君が代の押し付けと、それによる外国人排外主義にも反対!

最初に4.29を「みどりの日」と制定した時から天皇賛美の意図はみえみえでした。5.1を祝日にしろ!

とにかく声をあげ続けましょう。

「昭和の日」は断じて許すことができません。政府・自民党はよくお手軽に「みどりの日」と言っておきながら変えられるものだと思います。権力者の無責任さを感じます。ご都合主義ですね。ヒロヒトの顕彰などマッピラです。

なにがなんでも昭和天皇の誕生日を祝日として残したいのでしょうか。天皇がかわるごとに祝日が増えて、祝日だらけになってしまいます。
「昭和の日」というネーミングも噴飯ものです。昭和という時代が祝うに価するとはとても思えません。

1人の方が神社やお墓にまつられるのは戦前と同じになるのでいやです。

昭和天皇がアジアの国々に多大な被害をもたらした事実も面積になった政治的歴史的背景を考えるとき、まず責任問題をきちんとするのが、記念日を作るより前にすべき事です。

昭和天皇は自己の戦争責任について一切口をつぐんだまま亡くなった。戦争中は、われわれはお国のために身を鴻毛の軽きものとして捨てることを求められ、戦争で死ぬ時は、「天皇陛下バンザイ!」をとなえて死ぬことを求められた。又天皇の支配をより広くするためにと侵略戦争にかり出された。
天皇の戦争犯罪性は明らかなのにどうして「昭和の日」を設けて祝う意味があるか。ましてや「昭和神社」など論外である。断固反対!

日本国民を侵略戦争にいざなった戦争責任を棚上げにして、科学者、平和を愛す人などの虚構をおしつけ、理性的、歴史的な検討を認めない「昭和の日」制定に反対です。

「昭和」は国家主義のもと、言論の自由が弾圧され、無謀な戦争で内外の幾多の尊い人命を奪い、しかもそのことへの謝罪と反省を先送りにした恥ずべき時代であり、祝日として祝うべき対象ではありません。
私は絶対祝いません。

有事法、イラク出兵、日の丸、君が代、昭和の日等々、一貫して見られるものは狂気の戦中、戦前への逆行のみですが、国民の大多数がこれを“改革”と勘違いして、自民党の逆行、欺瞞政治の本質を見抜けない限りその潮流は止まるところを知らず。憲法改悪、朝鮮半島へ先制攻撃…と日本の前途は絶望的です。10がつにあるとかいう総選挙が一つのターニングポイントになると思います。

『週刊金曜日』で知りました。日本政府は今からでもおそくない、昭和天皇に戦争責任があったことを公的に認めるべきだと私は思っています。歴史を直視する目を曇らせる「昭和の日」制定は、それと全く逆行することです。
国家や時代に自分を同一化することで、安心する人も多いのかも知れません。しかし、これからは世界市民として考えたり感じることが、何より大切だと私は思っています。

昭和の日を制定し、ヒロヒトをしのぶという事は、ヒロヒトラーとしての戦争の加害責任を反古にする歴史の記憶の暗殺であり、認めることは出来ません。

週刊「金曜日」9月26日付に報道された貴会の趣旨に全面的に賛同します。「ヒロヒト」(昭和天皇と呼ぶのも汚らわしい)は元凶3人の1人である。ムッソリーニはパルチザンに吊され、ヒットラーは自殺したのに、彼1人生き残って「やぁやぁ」と全国を「平和行脚」(?)した姿は「醜い」の一語。ヒットラーの方がよほど人間的で責任感を持っていたと思う。「昭和の日」などはどんでもない!!
 以下、最近の分町をもじって駄句で心境を吐露します。(改行)拉致拉致では埒が明かない夜長かな/渋腸や脱ダム信州夜明け前/身にしむやキャディーといはれる我が宰相/傲慢な超大国や年暮るゝ

戦後の象徴天皇制については「PUNCH」35号で小倉さんが指摘されているように、表面上非政治的政治性を維持し、「平和」の言説をバラマキながら平和の実態を隠蔽してきたその言動に大衆の意識は慣らされ、私の周囲でも「イラク特措法」では危機感を持つが、「昭和の日」制定にはほとんど関心を示さないという反応がみられる。
私はこの大衆の意識に具体的にどう切り込むかを考えながら、当面の「昭和の日」制定阻止に向けて周囲の仲間に訴えていきたいと思っています。

まったくどうしようもないほど天皇崇拝国家で、これでは北朝鮮と似たり寄ったりだ。

なぜ現在(いま)「昭和の日」なのか問い続けるしかないと思います。

反『昭和の日』プロジェクト